スライム保護活動家兼抜歯屋

雨 白紫(あめ しろむらさき)

0話 「苦痛の門」が開かれるとき(前編)

 わたし鈴木すずき いづる

 おじいさんです。

先生せんせい」とばれる仕事しごとをしていましたが、いま老後ろうご日々ひび一人ひとりしずかにごしています。

 「アクティブシニア」とばれる、社交的しゃこうてきなおじいさま、おばあ様とはことなります。

 スポーツはわかころにはやっておりましたが、もう何年なんねんも「スポーツはテレビ観戦かんせん応援おうえん」ですね。

 ひとかかわるよりも、自然しぜんながめているほうくのです。

 それじゃあ、旅行りょこうきなのかとわれると……そうではありません。国内外こくないがい個人こじん旅行も、バスツアー旅行もあまりにはなれません。

 山登やまのぼりも、登山とざんサークルや山仲間やまなかまにどうかと、おこえがかかっていましたが。

 私はただただもりが好きなのです。

 夢中むちゅうで、森をあるくのが好きでした。


 最近さいきんはスーパーマーケットや市場いちば以外いがい外出がいしゅつしていませんでした。

 新聞しんぶんんでいるときも、テレビをているときも、スマートフォンで地元じもと情報じょうほう検索けんさくすると。

 かならず、「世界せかいブリリアント絵画展かいがてん」のCM《シーエム》がながれたり、広告こうこく表示ひょうじされます。


 会期かいきなかばをぎていますから、平日へいじつならばんではいないでしょう。

 前売まえうけんっていませんから、当日券とうじつけん美術館びじゅつかんで買いますか。

 風景画ふうけいが一点いってんでもあれば、私でもたのしめますね。



 「世界ブリリアント絵画展」鑑賞当日かんしょうとうじつ

 美術館内びじゅつかんない学校がっこうかよっているであろうしょうちゅう高校生こうこうせいの子どもをのぞく、小さな子どもと若々しい青年と、大人たちが入場にゅうじょうれつをつくっていました。

 未就学児童みしゅうがくじどうさなどわかるのか?そう疑問を持つ人もいるかもしれません。

 絵の良さがわからなくても、教養きょうようとして鑑賞させているのかもしれませんね。親がれてなければ、子はなかなかこういう芸術げいじゅつの世界をらずれずにそだつのですから。

 地方ちほう美術館の平日へいじつならば、子どもの目線めせんでもゆっくり鑑賞出来る程度ていどの、混雑こんぜつ

 すでに、絵画展の出口でぐちから朝一番あさいちばん干渉かんしょうえたアクティブシニアの皆さんが大きな声で「見ごたえがあった」とか、「もう一度いちどに来たい」とか、話し合っています。そうして、ギフトショップに流れて行き、展示てんじされた作品のポストカードやガイドブックを買っていくようです。

 その後ろで不満ふまんそうに、退屈たいくつそうに、トボトボあるく……いえ、おかしな歩きかたの五、六歳くらいの男の子。母親にきちんと歩くように注意ちゅういされています。たった一度、つよくシニアグループの女性の一人を見つめ、きそうなかおみんなに見られたくなくて、母親にきつきました。

「すみません」

 私はいてもたってもいられず、美術館のスタッフを呼び止めました。

「どうかなさいましたか?」

「あの男の子の歩き方がおかしいのです。ほねれているかもしれません。

 あの男の子の前を歩いていたシニアのグループの女性にあしまれたのかもしれませんよ」

「そうですか……」

「貴方で対応たいおうが出来ないのなら、貴方の上司じょうしか、警備員けいびいんに引き止めてもらいなさい。絵画展で子どもがひどにあったなんてことがあってはよろしくありません」

一応いちおう、こちらで確認かくにんいたします」

「何もければ、私の勘違かんちがいですから。私がみなさんにあたまげますよ」

 警備員がシニアの女性を呼び止めた瞬間しゅんかん、女性は早歩はやあるきで美術館を出て行こうとします。

 とうとう我慢がまん出来ずに泣き出す男の子。



 女は美術館を出た直後に、警備員三人に拘束されて、守衛室しゅえいしつれて行かれました。

 絵画展の中にある防犯ぼうはんカメラ映像えいぞう確認かくにんしたところ、女が男の子の足をむ、「暴行ぼうこう」の一部始終いちぶしじゅうがはっきりとうつっていたようです。

 わたしもけつけた警察官けいさつかん簡単かんたん事情聴取じじょうちょうしゅけ、「男の子の足の具合ぐあいがおかしかった」ことと、「男の子が何も言えず女を見つめていた」ことをつたえました。

 男の子は救急車きゅうきゅうしゃに初めて乗せられ、いたいのやらうれしいのやらパニック状態じょうたいで行ってしまいましたね。

 入館にゅうかんして一時間がちました。予定外よていがいのことがきましたが、に入場のれつならなおしました。


 当日券を購入こうにゅうして、絵画展のぐちとおります。

「はじめに」というおおきなしろいパネルには、日本語にほんご英語えいご国語こくご主催者しゅさいしゃからのメッセージがいてありました。

 宗教画しゅうきょうが風俗画ふうけいが肖像画しょうぞうが静物画せいぶつが風景画ふうけいが。さまざまな油彩画ゆさいがのジャンルをテーマ「ブリリアント(かがやき)」にしぼって、あつめられているようです。


 宗教画。

 教典きょうてん伝説でんせつもとに、えがかれた宗教画。

 たった一枚ので、劇的げきてき場面ばめん再現さいげんしています。

 宗教画を見たのではなく、「目撃者もくげきしゃ」となるべくえがかれたような臨場感りんじょうかんのある宗教画もおおくあったとかんじます。



 風俗画の展示てんじコーナー。

 宗教画とたいする、風俗画。

 帽子ぼうしかぶったおとこたちがごときょうじていたり、男たちが着飾きかざったりしていますね。


 風俗画「抜歯屋ばっしや」。

 民衆みんしゅうの絵でしょうか。

 いえ、そうではありませんでした。民衆がなにかを中心ちゅうしんひかえている絵でした。

 たった一人の人間にんげんくちけ、男にさえつけられています。

 そして、もう一人の男がペンチで、口の中から何かをきました。


 

 歯根しこんまではっきり。

 根腐ねぐされをおこしていなかったんでしょうか。

 れてもいません。

 きれいに抜けぎていませんかね。


本物ほんものだよ、ぼっちゃん】


 絵の中の抜歯屋さんにはなしかけられました。

【あの悪女あくじょ、子どもの足をわざと踏んだんだ。何度も、何度もな。人気にんきの絵の前では人だかりが出来る。

 子どもの頃から絵画展に来るなんて、贅沢ぜいたくなんだろうな。だから、二度と来ないように痛めつけるのさ。自分たちだけでこの世界を独占どくせんしたいんだとさ。

 母親は母親で絵に夢中で、あの子が悲鳴ひめいをあげる度に、さわぐなと注意ちゅういしていた】

 抜歯屋さんは私を知っているのでしょうか。

 そう、私はいつも誰かと話すたび不安ふあんなんです。

 きっと、この絵の中の抜歯屋さんはふるい方ですから、私の過去かこなど、過去のうちに入らないでしょうね。

【俺様は苦痛のことなら、何でも知ってるんだぜ。

 坊ちゃんはむかしたすけをもとめていただれかを見殺しにしたよな?】と抜歯屋さんに見破みやぶられました。

俺様おれさまは抜歯屋。歯を抜き、断末魔だんまつまびるのが仕事しごとだ】


 どこからかこえてくるのは、助けを求める悲痛ひつうこえ

【【【タスケテ……】】】

【【【殺サレタクナイ】】】


「ん?」


「抜歯くらいで殺されませんよ……はは。

 ふる作品相手さくひんあいてなにかたっているんでしょう」


【聞こえるか、坊ちゃん】

「『坊ちゃん』ですか?」

 絵の中の抜歯屋がニヤリと笑っています。

【俺様は中世ヨーロッパに実在じつざいした抜歯屋の……まあ、名前なんて良いさ。

 抜歯屋エーってことにでも、しておくか。

 かねっているやつ道楽どうらく依頼いらいしたか、蒐集しゅうしゅうしたか、保管ほかんしているか。

 とにかく、俺様という存在そんざいあかしはこの絵の中にきざみつけられた。

 抜歯を希望きぼうする庶民しょみんいたみと。

 大衆たいしゅう野次やじと。

 俺様が抜いた歯によって】


【だが、坊ちゃんがいまきている時代はどうだい?

 拷問ごうもん以外で抜歯屋なんて存在しなくなった。

 絵にのこされた俺様はこの世界とはむすびつきがほそくなっている。

 だから、つながっちまうのさ。

 される灯火ともしび悲鳴ひめいと、な】


【【【死ニタクナイ】】】


【よしよし。

 かわいそうに。

 そうだ。

 坊ちゃんがたすけてやれよ】

「……」

ゆめか、幻聴げんちょうか。

 それでも、坊ちゃんは見捨みすてないよな?】


「どうやって、助けるとうんです?

 絵の中の世界なら、抜歯屋さんがおすくいになればよろしいとおもいます」


苦痛くつうもんひらかれる。

 どこの世界に繋がっているかはわからない。

 門のこうがわは、坊ちゃんの世界でも、俺様の絵の世界でもい。

 どこかの世界へびこむんだ。もどっては来れない。

 だが、坊ちゃんはすくい手となれる】

 その声は「苦痛の門」と呼ばれる、さまざまな世界の苦痛を呼び寄せる不思議ふしぎな門から聞こえてきます。


 絵画の中のあるじたちが一斉いっせいゆびをさしています。

 さした方向ほうこう視線しせんを向けると、「苦痛の門」が開かれた状態じょうたいでありました。

「抜歯屋さん」

【何だい、坊ちゃん?】

「私のたましいだけを門の向こうへれてってくれませんか?」

【魂を抜く趣味しゅみなんて、どう見破った?】

「この世界には、私の遺体いたいのこしてください。

 出来れば、絵画展の出口付近でぐちふきんで、たおれるような細工さいく可能かのうですか?

 絵画展を見終みおわってすぐ亡くなったことにすれば、絵画展にご迷惑めいわくをかけなくてむでしょう。

 関係者かんけいしゃ方々かたがたが苦しまないように配慮はいりょをよろしくおねがいします」

 抜歯屋さんにうながされ、私さんはつぐないのたびることにしました。

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