宇宙人探索記

@maho-e03

第1話

真新しいスマートフォンが家族のグループチャットの通知で痙攣している。白色の光が、ワタシを呼ぶ。周囲の音が私をワタシたらしめて、肺の奥から酸素が逃げ出す。不定形な私の名前の無い感情を持て余し、心の赴くままにスマホを枕の下に滑り込ませる。あの自分勝手なヤツに悟られないように静かに部屋を出る。

家を抜け出し、パジャマ姿で裸足のままサンダルを履き、真夏の夜を浮遊する。まばらに位置した街灯と夜空がよく生えていて、閑散とした道路で夜の水母を夢心地のまま追いかける。

今、この闇にワタシを呼ぶ人はいない。産まれたままの私が、足取りを軽くさせて踊りだす。家々の明かりは灯るはずもなく私だけのステージの上でスポットライトを探しては、進み続ける。浮かんだ水母は私を誘い続けている。しかし、ノイズのような呼吸音で現実に引き戻されてしまう。車の鋭いヘッドライトが私を包み込む。「これはいけない。」と思うより先に、誰かに襟首を掴まれ硬い何かに包まれた。疑問よりも先に体が硬直するのを感じとる。脳が電波を送り、本能的に「感覚を遮断せよ」と体に指令を出している。痛覚と共に視覚の電源を無意識的に落とす。

     *

「こちら、探索機。

今日のミッションはお薬を届けることです」


トイレットペーパーの芯とティッシュ箱で作られた手製の銃に薬瓶を入れた。コップに水を注いで、ジーワジワと鳴く蝉に負けないように二階の母さんの部屋まで一歩一歩踏み進める。一号は友達とゴルフ旅行に行っていて居ないし、二号は温泉旅行に行っていない。だから、「私が母さんを助けるのだ。」と意気込んで部屋に入る。回る扇風機に煽られて母さんの髪が靡く。少し扱けた頬を赤く染めている。足元に座り薬とコップを手渡すと、緩慢な動きで錠剤を水で流し込む。

「お薬ありがとう。今日は何作ったの?」

薬を飲んですぐの声があまりに辛そうだったから、元気づけようと明るい声で母さんの問いに答える。

「今日は悪いのをやっつける最強の武器!

宇宙人でもやっつけられるよ!」

「宇宙人?」

「そう!私が守ってあげるね!」

母さんは難しそうに笑って「風邪が治ったらお出かけしようね」って呟いて布団に潜る。山を作った布団が、せき込む度に横に揺れる。覗いた額には、渇き切った冷えピタが見えている。

母さんに張り付いた汗をハンカチで拭きながら「早く元気になってね」と念を込める。浮いた冷えピタを母さんの額にそって優しく抑えつけ、布団のベッドの端で丸くなる。

 もし、お父さんがいれば母さんはもっと楽に過ごせるかもしれない。

でも、難しい。私は知っているからだ。”一号は偽物で宇宙人である”と、だからこっそりやつを一号と呼んでいる。なぜなら、本来父親とは休日には子供と遊び、平日には勉強を見てくれるらしい。一号は、これまでそんなことを一度もしてくれたことは無いし、弾む会話をした覚えもない。父親と言う考えに当てはまらない私の父さんは本物ではない。

だから、本当の父さんを見つける為、秘密の一号観察日記をつけてやつを倒そうと思う。

一号の平日は私が学校に出て行ってから起き、夜は寝付いてから帰ってくる。休日は芋虫のように布団から動かず、ワタシには構わないで繭に籠っている。

腹が哭いたらご飯が並べられるのを傲慢な王様のように待っている。それを見た婆ちゃんは召使いみたいにご飯を運ぶ。婆ちゃんは洗脳された宇宙人二号のようだなと感じてしまう。

一号は地球侵略を企む宇宙人だ。

私は断言して、母さんに一号観察日記の事と共に伝えると、くつくつと堪えるように笑い弾むように答える。

「じゃあ、お母さんはヒーローだね」

「ヒーロー?」

「そう。地球を守るヒーロー」

「私もなれるかな?」

「お母さんにとってはヒーローだよ」

「?うん!」

悪戯をする子供のように笑って、病弱な“ヒーロー”と内緒話をする。

つまり、我が家には宇宙人が巣食っていて、私の親は一人しかいない。休日は外へ母さんと二人きりで家から逃げ出す。平日は、お母さんが帰ってくるまで部屋で宿題を消化する。

父さんのいる寂しくない夢を母さんとの思い出で包み隠し蓋をする。


「こちら第二探索機。

本日は早く帰還します。」


中学校が終わってすぐに、通知表を握り家路に着こうと足速に坂道を登った。母さんの車が停まっていることに気がつき、制服のまま母の部屋に急ぎ扉を開けた。

「お母さん!ただいま!!」

お母さんは確かにそこに座っていたが、存在感が淡く揺らいでいた。母さんのいつも軽快に響く「お帰り」が何も聞こえなかった。蚊の鳴くような声が喉元から漏れていた。状況を飲み込めないまま母さんの横に座り込む、母さんの目からぼたぼたと涙が落ちて床に染み込んでいた。泣いている理由を問おうと口を動かしても声が出なかった。何も言えない自分にも、察しの悪い自分にも、腹が立って。頭より先に言葉が出た。

「ごめん。ごめんね。母さん」

もし、私が大人だったなら、

この涙の理由が分かっただろうか。

理由が分かっても何を伝えることができるのか。何故、こんな時に限って一号は母さんを支えないのか。掻き消えそうな声が零れる。

「なんで謝るの。母さんこそごめんね。弱い母さんでごめんね。あんたは悪くないよ。」

「そんなことない」と口に出すのは母さんを否定しているような気がして、制服のまま母さんをぎゅっと抱きしめた。母さんの骨ばった肩にどうしようもなく涙が溢れた。

「なんであんたが泣くのよ」

子供に言い聞かせるみたいに聞かされた言葉はどうしようもなく優しく苦しい音だった。その日の夜、お母さんの腕の中で寝息が聞こえるまでじっとしていました。

時計の針が真上を指した頃、腕の中をそっと抜け出して夜を駆けながら涙が零れました。虫すら眠った静かな夜の街には答える者はいなかった。ワタシは一人滲む声で問う。

「何で。何で。大人でないのか」

「何故、やつは母さんを助けないのか」

「やはり宇宙人とは分かり合えないのか」

母さんにだけは、迷惑をかけないようにしようと心に決めた。しかし、母さんの目を盗んで夜の街を徘徊する癖がつきました。存外悪くないもので家々が眠りについている姿を眺めながら一人きりの夜を巡るのは私にとって大変な休息でした。

     *

「こちらは探索機、破損はありません。母船に通達します。」

「貴方は誰ですか?」


頭を揺らす衝撃の中で電波の記録を漁る。

車に跳ねられたはずなのに、体の痛みは激しくない。隠していた蓋が歪んでいる。視界の端で一号が写る。

傲慢で、意地悪で、母さんを泣かせるヤツ。

ヤツは本当に宇宙人だったか?

ヤツは何をした?ヤツは何者だった?

ヤツは私に害をなしたか?

今になって溝を埋めようとする可哀想で、大切な誰かじゃないのか?

思考の海に沈んでいく。

メーデー。メーデー。

否。答えは遠の昔に出ていて、辿りついている。

”此方、受信を確認。”

寂しかったとひりついた喉の奥を開く。視界には白いリネン製のワイシャツが黄色の光を乱して反射させている。

”私は”

耳には刺すようで濁すようなサイレンが響いている。歩み寄ってなどいなかったと気付く、先に分かりあうことなど出来ないと線を引いたのは私だ。未だに痛みはないものの声が上手く響かない、それでも答えを告げなければならない。忘れてはいけない、悲しい記憶のこの人を。

「父さん。」

手を伸ばせば触れられる距離の父さんは聞えただろうか。自分勝手でごめんね。私伝えたい事あるよ。誰かが呼んだ救急車に担ぎ込まれる。

 これから沢山呼ぼう。

私が呼べなかった分だけ。母さんとも、ばあちゃんとも、父さんとも。

 一緒に勉強したり、遊びに行ったり、本当は構って欲しかった。ただ、心配を掛けたくなかった一身でワタシは気持ちに蓋をした。

 今度は私が探しに行くよ。

星の数ほどある私達の家族の形を。

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