2・香奈→楡井③

 物理はどうにかしたいけれど、もめ事となると笙子に悪い。


「楡井君の物理、和可奈ちゃんも一緒に受けてよ」

「ごめん。一緒にいてあげたいけど、今日は塾なんだ」


 そうか。高校生だもんな。


「そういえば、わたしたちが通う塾のポスターに、一時期、楡井君が使われていたよね」

「彼、モデルなの? まぁ、たしかに、すっきりした顔をしているもんね」

「そこの塾で楡井君のお兄さんが講師をしているの。その関係で、彼が引き受けたって話を噂で聞いたな。楡井直也先生っていって、格好良くて、人気あるの。楡井君に似ているよ」


 兄弟そろってイケメンか。いるのね、そんな眼福兄弟って。


「笙子だって、そこの塾に通っているのよ。今は、お休みしてるの?」

「わたしが塾に? 和可奈ちゃんと一緒に通っていたの?」

「塾は同じだけど、校舎は別だったから、一緒に通いはしなかったけど」

「そうなのね」


 わたしは学校に通うだけで一杯一杯だったけど、考えてみれば、そりゃ、そうだ。

 笙子だって、塾に通っていただろう。

 けれど、退院してからというもの、わたしは塾なぞには行っていない。

 そんな話は、両親からも出てこない。


「でも、笙子はまだ、塾とかそんな感じじゃないよね」

「うん、そうだね。でも、ちょっと親と相談してみようかなぁ」


 折りを見て、母に聞いてみよう。

 笙子が、戻って来た時のために。






 和可奈は、すまなそうな顔をしながら、塾へ行った。

 放課後の教室に一人。

 時折、廊下を通りすぎていく足音。

 耳を澄ませば聞こえてくる、ギターの音。

 わたしは席から離れ、窓辺に行った。


 校庭では、いくつかの運動部が練習を始めていた。


 そんな様子を、今までよりも少し高くなった目線で見下ろす。

 どんな景色を見るのかを決めるのも、こうして耳を澄ましているのもわたしの意志なのに、この体は笙子のものだ。


 手の平に視線を落とす。

 細くて白い指。

 爪の形は笙子の律儀さか、パツンと切られていた。

 せっかく綺麗な指をしているのだから、マニキュアがはえるような形に切ればいいのに。

 指先一つとっても、わたしとは違う笙子。


 笙子、戻っておいでよ。


 せっかく生きているのに。

 友だちだっているのに。

 お父さんやお母さんだって待っているのに。

 この教室に、こうして立っているのは、わたしじゃないでしょ。


 これは、笙子の場所でしょ。



 で、ないと……。

 笙子。



 わたしが嫌な姉にならないうちに、早く戻って来て。

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