第41話 運命の相手

ってまさか……)


前世の記憶の中にある物語の中で使われていた言葉が思い浮かび、目の前が暗くなっていく。


「エリアス殿下、落ち着いてください。そちらのご令嬢だけでなくランドール第二王子殿下方も驚いております。ここがどこかお忘れになっては困ります」


傍に控えていた従者の声に腕の力が緩んだが、サーシャが離れようとした途端再び強い力で抱きしめられる。


「エリアス殿、彼女の名誉のためにも放してやってくれませんか。屋外でそのような振る舞いは看過できるものではありません」


身分差があり、どう対応するのが正解なのか分からず抵抗出来ずにいると、強い口調でアーサーが抗議してくれた。

渋々と言った様子で身体を離してくれたが、片手は腰に添えられたままでもう一方の手はサーシャの手を握り締めている。


「驚かせてしまってすまない。俺はシュバルツ国の王太子、エリアス・フォン・ルドルフだ。君の名を教えてくれないか」


手の甲に唇を落としながら、熱のこもった瞳で自分を見つめている男性は隣国の王子だった。緊張と込み上げてくる恐怖に耐えながら、サーシャは必死で口を動かし自己紹介を行う。


「ガルシア子爵家の娘、サーシャでございます」


片手を掴まれているが、不敬にならないよう視線を伏せて腰を落としてカーテシーの形を取った。


「サーシャ、可愛い名前だな」

嬉しそうな声とともに身体が浮き上がるのを感じて、サーシャは息を呑んだ。


「エリアス殿!」


アーサーの声を無視して抱きかかえられたサーシャが腰を下ろしたのは、エリアスの膝の上だ。遠くで悲鳴のような声が聞こえたのは気のせいではないだろう。

あまり注目されないように会場から少し離れた席になっているが、人目がないわけではない。男性の膝上に腰掛けるなど淑女としてあるまじき行為で、ふしだらだと思われても仕方がないことだ。


「ああ、もう話が進まないのでせめて隣に座らせてください!エリアス殿下は陛下の名代としてランドール国に訪問しているのですよ。番を知らないこの国の方々にとって貴方様の行為は蛮行でしかないのです」


それでもサーシャを解放する様子のないエリアスに業を煮やしたのか、従者の青年はエリアスの耳元に何事かを囁いた。


僅かに顔を顰めたあと、エリアスは隣の椅子を真横に引き寄せてそこにサーシャを座らせた。相変わらず片手は繋がれたままだったが、過剰な接触が減ってサーシャはようやく息を吐く。

しかし安堵したのも束の間のこと、従者の青年――レンが告げた番の内容は、サーシャを絶望に突き落とすものだった。


シュバルツ国は竜を祖先に持つと言われており、その王族に時折現れる運命の相手、「番」と呼ばれる存在がいる。番に対する反応は本能的なもので、ひとたび巡り合えばどんな理性的な持ち主であっても、相手に惹かれずにはいられなくなる。もっと言えば番と傍にいられないことなど耐えられない状態になるため、過剰ともいえる求愛行動を取ってしまうらしい。


「普段のエリアス殿下は非常に理性的で真面目な方なのです。気安く他人を、特に女性を寄せ付けないほどの冷淡な態度を取られますので、我が国では氷雪の王子と評されています。それが番相手には本能が抗えず、このような行為を取ってしまったようです。ご令嬢におかれましては、ご不快な思いをさせてしまい大変申し訳ございません」


レンの言葉も謝罪もどこか遠くから聞こえてくるようだ。


強制力から逃れるため攻略対象候補たちからの興味を削ぎ、婚約者との仲を改善すべく行動し、ようやく自由になったと思ったのに、今度は他国の王太子の番だと告げられてしまった。シュバルツ国のような歴史も長く隆盛を誇るような国の王族相手に、ただの子爵令嬢が拒否などできるわけがない。


(どうしてこうなるの?私、頑張ったのに……)


そう思ったらもう駄目だった。こらえる間もなくぽろりと涙がこぼれ落ちていた。


「サーシャ?!」


動揺したようなエリアスの声に続いて、冷たい指先が頬に触れる。王族の前で見苦しい真似をしてはいけない、と半ば反射のように必死で涙を止めようとぎゅっと目を閉じた。


「申し訳…ござい…ません」

途切れ途切れだが謝罪の言葉を口にして目を開けると、俯いた視界の先に不安そうなエリアスの顔が映った。


座っている自分よりも低い位置にエリアスがいることに驚愕し、次に王族を跪かせている事実に卒倒しそうになる。慌てて席から立ち、深々と頭を下げた。


「シュバルツ王太子殿下、どうかご容赦ください」


「サーシャが泣かせたのは俺だろう。番に出会って浮かれてしまった。許してほしい」


衝撃のあまり涙はすっかり引いていたが、子爵令嬢ごときが王族を許すなどおこがましい。どう答えていいか言葉に詰まっていると、背後から冷ややかな声が聞こえた。


「アーサー殿下、これはどういうことでしょうか?」


そこにはいつもの笑みが消えたシモンが、責めるような眼差しをアーサーに向けていた。



剣呑な空気を察知してレンとユーゴがほぼ同時に動いたが、ユーゴのほうが一歩早かった。


「シモン、落ち着いてくれ。事情を説明するから」

「ありがとうございます。ですがその前に、――サーシャおいで?」


焦った表情を浮かべるユーゴを気に掛けるでもなく、シモンはサーシャに優しく語り掛ける。そんなシモンの呼びかけに答えようにも気づけばエリアスに肩を抱かれて身動きが取れない状態だ。

更にはそのエリアスも冷ややかな眼差しをシモンに向けていることがサーシャを逡巡させた。


「……お義兄様、私は大丈夫ですわ。ユーゴ様、ご説明をお願いできますか?」


安心させるように口の端を上げたが、シモンはじっとサーシャを無言で見つめている。

埒が明かないと思ったのか、ユーゴはそのままの状態のシモンに小声で状況を説明することにしたようだ。こちらまで声が届かないが、シモンの顔つきがますます険しくなっていく。


(お義兄様、すごく怒っている)


サーシャのことを想ってくれているこその怒りだが、それがひどく恐ろしい。たかだか子爵家が賓客である他国の王子に対して、本来ならば意見どころか口を利くことさえ許されない。だが過保護であるシモンがどう暴走するか分からないことが、サーシャの不安を煽る。


「事情は分かりました。それでアーサー殿下は私の義妹に何をさせているのですか?」


話を聞き終えたシモンが、満面の笑みを浮かべてアーサーに訊ねた。笑っているのにその目は極寒を感じさせるほど冷え切っている。

その様子に息を呑んだユーゴがすぐさま叱責の声を上げた。


「シモン、下がりなさい。それ以上は不敬に当たる」


アーサーが仕組んだことではない。だがこの場でエリアスを止められるのはアーサーだけだ。それなのにただ傍観しているのかとシモンは婉曲な表現でアーサーを責めている。ユーゴもそんなシモンの心情を理解しつつ、これ以上シモンの立場が危うくならないよう遠ざけようとしたのだ。


「お義兄様、子爵令嬢でありながら恐れ多くも殿下方と同席させて頂く機会を賜りました。私のことで煩わせてしまって申し訳ございません。お義兄様もミレーヌ様とどうぞごゆっくりお過ごし下さいませ」


王族のいる席に乱入し、歓談の邪魔をした狼藉者と捕らえられてもおかしくない。常識的で頭の良いシモンが気づかない訳がなかったのに、それでもサーシャを守ろうとしてくれたのだ。シモンを庇うために少しだけ事実を変えて伝えたが、それがシモンを傷付けることになるとは思いもしなかった。


「……不甲斐ない兄ですまない」


その表情でサーシャは自分が選択を間違えたことを悟ったが、一度口に出した言葉は取り消せない。強く拳を握り締めてシモンは儀礼的に一礼して去っていった。


(お義兄様を傷付けてしまった……)


今までサーシャがどんなことを言っても困ったように笑うことはあっても、あんなに苦しそうな顔は見たことがなかった。見ているだけで辛さが伝わってくるような表情をさせたのが自分であることに激しい後悔に襲われる。今すぐ追いかけて謝りたいのに、理性がサーシャをその場にとどまらせた。


これ以上ガルシア家の人間が不敬を働けば家に迷惑が掛かるかもしれない、そんな打算的な自分がひどく醜悪に思えてくる。


「……義兄が申し訳ございませんでした。遅くなりましたが、お茶をご準備いたします」


「そんなことを貴女がする必要はない」


込み上げてくる感情を抑えるため、本来の仕事に戻ろうとするがエリアスはそれを望まず、レンに給仕をするよう指示をする。


王族にとってお茶を淹れる仕事など使用人がすべきことで、その程度の認識であることは分かっている。だけど自分の好きなことをそんな風に軽んじられたことが悲しくてたまらない。


大切なものを奪われていくような喪失感にサーシャはひたすら耐えるしかなかった。

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