第33話 前世の記憶

放課後、サーシャは生徒会室に向かっていた。新しい生徒会としての初仕事を終えてささやかな慰労会が行われることになっている。


生徒会長のシモンを筆頭に副会長のソフィー、会計のアーサー、そして書記を務めるレイチェル。顔見知りのメンバーではあるが、部外者のサーシャにまで声を掛けてくれたのはレイチェルとの関係がぎくしゃくしていることをを知って、シモンが気を回してくれたようだ。


生徒会メンバーでない自分が参加することに引け目を感じたものの、レイチェルが望まないならお菓子だけ差し入れて帰ればいいと前向きに考えることにした。このまま微妙な雰囲気を抱えたまま1年間過ごすより、きちんと向き合ってみようと思ったのだ。


「待ってたよ、サーシャ」


義兄のシモンに温かく迎えられて部屋に入ると、ソフィーの侍女であるミラがお茶の支度に取り掛かっているところだった。サーシャは手伝いを申し出るが、丁重に断られ仕方なくお菓子だけを渡して引き下がる。


(せっかく間近で見せてもらうチャンスだったのに)


アーサーはそんなサーシャの心中を見抜いたのか、忍び笑いを漏らしている。


「…あら、レイチェル様はどちらへ?」


サーシャよりも先に教室を出たはずのレイチェルが見つからない。何か雑務をこなしているのであれば手伝うつもりでいたが、シモンは訝しげな表情で答えた。


「いや、レイチェル嬢はまだ来ていないよ」

その時焦ったようなノックの音がして、髪を乱したレイチェルが慌てて入ってきた。


「遅れて、申し訳ございません!」


走って来たのかすっかり息を切らしている。そんなレイチェルに椅子を勧めようとした時、彼女に続いて誰かが部屋に入ってきた。


「もうレイチェル様、意地悪しないでください」


ふわふわとしたソプラノの声にレイチェルが怯えたように身体を強ばらせる。それを見てサーシャは何が起こったのか、何となく予想がついた。生徒会室に行きたいとねだるエマを振り払おうとしたが上手くいかなかったのだろう。


「レイチェル嬢に何か用事があるのかな?」

急に現れたエマを気遣うようにシモンが尋ねる。


「学園を案内して頂く約束をしたのに、ずっと先延ばしにされてしまって……。私はレイチェル様と仲良くしたいのに、やっぱり平民だから嫌われているのかもしれません」


目に涙を溜めて、弱々しく項垂れる様は同性から見ても庇護欲を誘う。


「ああ、君が昨日編入して来た子か。レイチェル嬢は生徒会メンバーでここ数日は入学式準備に追われていたから時間が取れなかったのだろう」


さりげなくレイチェルを庇う様子に、シモンがレイチェルを信頼しているのが分かった。

優秀だったからこそ2年生で唯一の生徒会メンバーに選ばれたレイチェルは、最初は緊張のあまり倒れそうなほどだったとソフィーが話していた。それから一緒に仕事をするうちに徐々に慣れていき、今ではメンバー全員と良好な関係を築いているということも。


「会長は優しい方なんですね。私、エマと言います。仲良くしてくれたら嬉しいです」


先程とは打って変わって、満面の笑みを浮かべて自己紹介をするエマの変わり身の早さに嫌な感情が込み上げてくる。

遠い昔の記憶と感情が入り混じって、無意識に口元を押さえた。


「サーシャ?」


その様子に気づいたソフィーから声を掛けられて、過去に引きずられそうだったサーシャは何とか踏みとどまる。


「お打ち合わせのお時間ですわね。それでは私は失礼いたします。エマ様、よろしければ教室までご一緒しましょうか?」


部外者である自分がここに留まれば、エマも慰労会に参加することになりかねない。それだけはどうしても嫌だと思ってしまったサーシャはエマに声を掛けた。


不満そうな表情を浮かべたエマが言葉を発する前に、何かを察したアーサーが言葉を重ねる。


「サーシャ嬢、ありがとう。頼んだよ」


そう言われてしまえば退室するほかない。暇を告げて生徒会室を出ると痛いほどの視線を感じて振り向くと、案の定エマから睨みつけられていた。


「サーシャ様、どうして邪魔をするんですか?」


今まで嫌がらせを受けた時も平静だったはずなのに、感情的な苛立ちをぶつけられて胸がしめつけられるように苦しい。


「何か邪魔をしてしまいましたか?」


そんな気持ちは表に出さず、だが言い争う気にもなれなかったため、質問に質問で返した。


その態度に言い返す気も失せたのか、そのまま無言でエマはサーシャに構うことなくそのまま階段を下りていく。エマの姿が見えなくなると、ようやく呼吸が楽になり自分が息をつめていたことに気づいた。


(エマ様は苦手だわ…。どうしても前世のあの人たちを思い出してしまう)


今まで自分が転生者だという認識は薄かったが、エマの存在にサーシャは過去を強く意識させられた。



前世の自分は地味で目立たない平凡な容姿だったはずだ。普通だと思っていたけど、いつしか人と関わることに苦痛を感じていた。正しいことを正しいと言えず、空気を読むことが一番大切で、愛想笑いを浮かべることが大人になることだと思っていたことをぼんやりとだが覚えている。


明るく可愛い自分に自信のある子たちが眩しくて、その傲慢さに怯えつつも憧れていた時期もあった。彼女たちに負の感情を向けられるまでは——。


取引先の人気のある営業担当者と会食に行っただけなのに、翌日に陰口や無視が始まった。プライベートでなくただの仕事にも関わらず、子供じみた嫉妬に驚き、その単純さが怖くもあった。今まで良好な関係を築いていたのに、些細な出来事で簡単に変わる他人の感情に傷ついたのだと今なら分かる。


(だからこそ攻略対象たちと恋に落ちたいなんて思わなかったのね)


割り切っていたつもりだったが、思いのほか前世を気にしていたことに気づいたサーシャは抱きしめていた枕にぎゅっと力を込める。

緊張と動揺から自室に戻るなりベッドに横になり、もやもやの原因を考え続けてようやく答えが出た気がした。


居心地の良い自分の場所が奪われるかもしれない、そんな嫉妬とも不安ともつかぬ感情を抱いたのだ。


エマの感情の起伏や人によって変える態度は前世で苦手だったタイプの女子と似ているし、転生者ということも大きいだろう。


「……もし彼女がヒロインなら、彼女の邪魔をする私は悪役令嬢なのかしら」

そんな想像に自嘲めいた笑い声がこぼれた。


悪役令嬢は我儘だが強くて美しい魅力的な女性が王道だが、自分の容姿で悪役令嬢を名乗るのは図々しいだろう。


(前世のことなんて気にしちゃだめよ。今の私に好意を持ってくれている人たちに失礼だわ)


ぺちぺちと頬を叩いて自分に気合を入れる。新しいヒロインの登場はまだゲームが終わっていないことを示唆されているようだったが、サーシャは友人たちと楽しく学園生活を過ごしたいだけだ。強制力が邪魔をするのなら何度だって抵抗してやろう。


過去に怯える自分を叱咤すると、心が落ち着きを取り戻した気がした。

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