第28話 理由
「いい加減人の忠告を聞いてくれませんかね?」
呆れたようなヒューの言葉にサーシャは首を傾げてみせる。
「ご忠告は受け止めておりますわ。ですから警戒は怠っておりません」
閉じ込められること3回、ごみを机にぶちまけられたのは2回、そして陰口や嘲笑は数知れず。
閉じ込められても数分程度、ゴミも生ごみではないため掃除も簡単で、どれも手の込んだものではないため、エスカレートしないよう注意深く動向を見守っているつもりだ。
「こういう時は殿下や兄君に泣きつくものではないですか?」
普通の令嬢ならそうだろうなとサーシャは他人事のように思った。悪意に晒されるのは心身に負担がかかるが、この程度ならまだ何とかなるのだ。
「そんなことしても根本的な解決にはなりませんから」
不機嫌そうに黙り込むヒューには申し訳ない気持ちもあるが、元凶はアーサーにあるのだから我慢してもらう他ない。
放課後、サーシャはシモンに会うために彼のクラスに向かっていた。ソフィーのことはシモンに確認してもらうよう頼んでいたが、あれから一向に連絡がない。そのためシモンはソフィーと話をしたものの、サーシャに聞かせたくない内容だったから黙っているのではないかとつい考えてしまうのだ。
教室には数人の生徒が残っていたが、その中にシモンの姿はない。仕方なく生徒会室に向かうことにした。現在シモンは現会長のユーゴから引継ぎを受けている最中で、本来ならサーシャに構っている暇はないほど忙しい。
「最初から生徒会室に向かったほうが良かったのでは?」
適度に距離を取っていたヒューは人目がなくなると話しかけてくる。これ以上注目を浴びたくないサーシャにとっては有難いが、面倒ではないかと聞いてみたところトレーニングの一環だと言われた。
正直話しかけてくれなくても良いのだが、そう言われてしまうと返す言葉もなく今のような状況を続けている。
「お義兄様がお仕事をしている場所なのだから、あまり押し掛けたくありませんの」
それも理由の一つだったが、本当はユーゴに会いたくないのが一番の原因だ。アーサーのことで頭がいっぱいで、後で話をしたいという約束をすっかり忘れてしまっていた。気まずさもあるが、面倒な予感がしたのでそのまま放置して現在に至る。
それでも罪悪感がずっとつきまとっているし、ソフィーのことも気になっているので仕方なく階上を見上げると、ミルクティーのような柔らかな髪がふわりと風に舞うのが視界に入った。
「―アヴリル様」
サーシャの姿を見た瞬間、アヴリルは背を向けて駆け出した。身を翻す前に見た彼女の表情は今にも泣きだしそうな顔で——。
(アヴリル様の態度は、やっぱりソフィー様が心を痛めていらっしゃるからじゃ…)
迷ったのはほんの僅かな時間で、サーシャはアヴリルの後を追って走り始めた。
「アヴリル様!どうか、お待ちくださいませ」
全速力で走った結果、アヴリルにすぐに追いついたサーシャは息を乱しながら声を掛けた。びくりと肩を震わせ振り向いたアヴリルの瞳は潤んでいて、見間違いでなかったことを確信する。
「……アヴリル様、今まで親しくしていただいてありがとうございました」
ソフィーとアヴリルは家柄や年齢に関係なく優しくしてくれたし、噂を鵜呑みにせず自分たちの目でサーシャを信じてくれた大切な存在だ。
(優しい人たちが傷つくのは嫌だ)
シモンには怒られるかもしれないが、サーシャが学園を去ることで問題が解決できるなら構わない。
「サーシャさん?」
「ソフィー様に直接お詫びを申し上げたかったのですが、これ以上ご不快な思いをさせるわけにはいきません。アヴリル様、もう煩わせることはございませんのでご安心くださいとお伝え願えないでしょうか?」
サーシャの言葉に何故かアヴリルの顔色が、紙のように真っ白に変わっていく。
「駄目です!違うの、悪いのは私なの。ごめんなさい…」
耐え切れなくなったかのように叫んだアヴリルの目から、次々と涙が溢れて止まらない。予想外の言葉に呆気に取られつつもサーシャはハンカチを差し出して、泣きじゃくるアヴリルの背中をそっと撫でることしか出来なかった。
ようやく落ち着いたアヴリルからの話を聞いてサーシャは頭の中を整理した。
(つまり殿下が私をダンスに誘ったのは、ソフィー様に頼まれたからなのよね)
全てはユーゴがサーシャをダンスに誘うことを阻止するためだという。
第二王子であるアーサーのダンスパートナーになれば、侯爵令息であるユーゴが横やりを入れることができない。
その力関係は理解できるが、そんなことをしなくてもサーシャにユーゴと踊るという選択肢は存在してないのだ。
「サーシャさんは学園を辞めようとしていたのですよね?どうか考え直していただきたいの。私はもちろんソフィーだってそんなこと望んでいないわ」
アヴリルの言葉にサーシャは気になっていたことを聞いた。
「ソフィー様はどうしてお話してくださらなかったのでしょう?」
「それはアーサー様が口止めしたからです」
「……盗み聞きは感心いたしませんわ」
サーシャがじとりとした目で睨んでも、ヒューは一向に気にしたようすはない。
「理由が気になるかと思ったので。それがサーシャ嬢をダンスに誘う条件だったそうですよ」
高みの見物のつもりかとアーサーに怒りが湧く。そしてそれはユーゴに対しても同様だった。
(婚約者と別の女性とダンスを踊れば、アヴリル様がどれだけ傷つくか想像もできないの?)
「何だか無性に殴りたいわ」
気づけばうっかり願望を口にしてしまっていた。
「サーシャさんの気が済むなら、構いません」
きつく目を瞑り受け入れる姿勢のアヴリルを見て、サーシャは慌てて弁解する。
「アヴリル様にそんな酷いこといたしません!どこぞの王子と侯爵令息のことですわ」
ぶはっと吹き出した口元を押さえ、笑いを堪えるヒューのことは取り敢えず無視しておく。
「自分の婚約者がどういう目で見られるか分かった上でお引き受けされたなら、最低だと思います。たとえそれを相手が望んだとしても嗜めるべきでしょう。どなたも婚約者の方々を蔑ろにし過ぎで腹が立ちますわ」
「……サーシャさんは怒っていないの?私のせいで貴女に犠牲を強いた形になってしまったのに」
不安げなアヴリルはいつもに増して儚げな雰囲気で、自分が男だったらそのまま抱きしめて守ってやりたいと思うほどだ。
「怒ってなどいません。ただソフィー様には殿下をパートナーの代理に立てるより先にご相談いただきたかったですわ。誰から誘われようと父と踊る予定でしたし」
婚約者を作る気もないので無難に家族と踊る予定だったし、ジュールはとても楽しみにしているようだった。
「ソフィーはユーゴ様が他の女性にダンスを申し込むこと自体、許し難いと思ったのでしょう。いくらサーシャさんが断ったとしてもそれでは私がサーシャさんの代わりになってしまうから」
あの時のユーゴの話が、ダンスパートナーへの誘いだったと考えるとアーサーはギリギリのタイミングだったことになるが、それに素直に感謝する気にはならなかった。
そもそもアーサーが理由をきちんと話してくれれば、色々と考え込まずに済んだのだ。
それぞれの思惑が分かってすっきりしたかと言えばそうでもない。既に殿下がサーシャをダンスパートナーに指名したのは学園中に知れ渡っている。現時点で断れば今度は不敬だと捉えられるし、ユーゴに誘われる可能性も出てくる。
「アヴリル様、現状維持で参りましょう。ただし当日は殿下とソフィー様に踊っていただきます」
幼少の頃から婚約者として決められていたなら、ダンスぐらい一緒に踊ったことがあるはずなので、練習なしでも大丈夫だろう。
サーシャは変わらず父と踊ればいいのだから、色々な憶測を呼ぶことになるとはいえ、外部の人間がいる中で騒ぎ立てる者もいないだろうし、円満に卒業式を終えることが出来るはずだ。
「でも、そうしたらサーシャさんが……。嫌がらせを受けているのではないですか?」
「ないとは言いませんが大したことではありませんよ?殿下が頼りになる護衛の方をつけてくださっていますし」
ヒューに対して多少の申し訳なさを感じていたが、事情を知りつつ静観していたのなら話は別だ。
こうなったら徹底的に活用させてもらおうとサーシャは静かに決意した。
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