第20話 バッドエンドルート~ユーゴ~

サーシャがいなくなるとシモンは改めてユーゴと向き合った。


「ユーゴ様、サーシャはああいう娘です。普通の貴族令嬢と比べて物珍しく思われているかもしれませんが、まっすぐで健気な子なのです。ですからどうか――」


それ以上の言葉は非礼に当たると思ったのだろう。シモンは最後まで言わなかったが、ユーゴにはその意味が十分すぎるほど分かった。家格差があり、婚約者もいるのだからたとえサーシャに好意を抱いていたとしても、正妻にはできない。

妹の立場を案じた兄としてのシモンの言動は理解できた。


「ああ、分かっている。私の都合に彼女を巻き込むつもりはない」


安心したように表情を和らげるシモンに、休息を取りたいと告げればすぐに客室に案内された。


静かな室内で身体を横たえると、様々な感情が押し寄せてきた。サーシャが虐げられていないと分かったことへの安堵、勝手な思い違いによる振る舞いに対する羞恥、そして釘を差すようなシモンの言葉――。


夏休みの間ずっとユーゴは落ち着かない気分を持て余していた。サーシャと接触するわけにもいかず、苦肉の策として義兄であるシモンに伝言を託したが、ただ待ち続けるという状態は思いのほか辛い。


(関わるなと言われていたのに未練がましい真似をした。返事が来ないのはそういうことだ)


そんな風に思うようになったある日、侍従と執事が連れ立ってユーゴの部屋を訪れた。何事かと思えば届いた手紙が別の書類に紛れ込んでいたと申し訳なさそうに差し出された

手紙を見て叫びだしたい気持ちをこらえた。差出人はシモンであるものの、待ち望んでいたサーシャからの返事だと分かったからだ。


急ぎ中身を確認すれば、学園が始まる前に会ってくれるという内容に心から安堵した。だが互いの都合を調整するためにやり取りをする時間はあまりなかった。これを逃せばサーシャと話す機会は二度とないかもしれない。そう考えるだけで焦燥感に駆られ、別荘を訪れようと決心した。


別荘なら他の貴族子女の目に触れることなく、余計な噂でサーシャに負担を掛けることもないだろう。そう考えて全ての予定をキャンセルし旅支度を整えると、単独でガルシア領へと向かった。供をつけないのはあの誘拐事件以来のことだが、もう庇護されるような子供ではない。


そうして3日目の朝に別荘近くまで到着し、ユーゴはようやく冷静さを取り戻した。出発前に手紙の返信を出したが、まだ届いていない可能性に思い至ったのだ。しっかりと準備を整えたつもりが、肝心の訪問についての知らせがないまま訪れれば不躾以外の何物でもない。


強行軍で愛馬にも随分無理をさせてしまったと反省し、川のほとりで休憩させることにした。頭を冷やそうと森の中を散策するつもりが、まさかサーシャに遭遇するとは思ってもみなかった。


驚いた様子のサーシャだったが、ユーゴはそれ以上に衝撃を受けていた。見るからに使用人の服装をして、抱えた籠からはたくさんの花や薬草があふれ、ほっそりとした指は土や草花の汁がこびりついている。


(こんな早朝から森で草花を集めるように言われたのか?!)


サーシャの呟きに慌てて稚拙な弁解をしたが、その間も痛々しい指先から目が離せない。話し終えると断りを入れて、近くの水場でハンカチに水を含ませ急いでサーシャの元へと戻った。手を拭くよう差し出したが、僅かに首を傾げるだけで手を出そうとしない。


(もしかして親切にされたことがないのでは……)


8年前、天使のような笑顔を見せてくれた少女は今や人形のような無表情を貼りつけている。長きに渡り心ない扱いを受けていた結果なのではないだろうかと思うと、ますます心苦しくなり彼女の手を取り丁寧に清めていく。


「ただの布だ。それにハンカチなどより君のほうが…」


ハンカチの汚れを気にする彼女に思わず余計なことを言いかけたが、無意識の言葉はユーゴにその感情を自覚させるきっかけとなった。



「私はサーシャ嬢を愛しく想っている」


誰もいない部屋で呟いた自分の言葉に、胸が締め付けられるような感覚があった。

天使のような笑顔を目にした瞬間からずっと好きだったのだと思う。二度と会うことがないと心の奥底に隠していた大切な記憶が、再会したことで輝きを増した。


(彼女のことを想うなら、この気持ちを抑えなければ)


じわりと広がる喪失感を抱えながら、ユーゴは自分自身に強く言い聞かせた。




誤解が解けた後のユーゴは社交性を発揮し、食事の場で話題を提供し和やかな雰囲気が広がった。イリアもジュールに言い含められたのか、サーシャに辛辣な言葉をかけることもなく令嬢らしく淑やかに振舞っている。


時折笑顔を見せるユーゴにサーシャは引きずっていた罪悪感が溶けていくのを感じた。再会した時に嫌な態度を取ってしまったことがずっと気にかかっていたのだ。

翌朝、ユーゴは優雅な所作で礼を告げて去っていった。


それを見てサーシャは肩の荷が下りたような安心感を覚えたのだが――。






「サーシャ」

背後から強い力で腕を掴まれてサーシャはびくりと体を震わせた。


(……これは夢だ)


抱きしめられる直前に目にした海のような青い瞳を見てそう自覚した。


「私の傍から離れないでくれ」

懇願するような響きに顔をあげると、ユーゴは今にも泣き出しそうな顔でサーシャを見つめている。


「地位も身分も捨てるから、二人で一緒に暮らそう」


甘い言葉と優しい声なのに頭のどこかで警鐘が鳴っている。早く起きないと危険だと焦燥感に駆られるが、一向に目覚める気配がない。


「……サーシャは私と一緒にいられなくてもいいのか?」


先程までと異なり感情が抜け落ちたかのような声に肌が泡立った。

無意識に離れようとしたが、そのまま地面に押し倒されてしまう。


「――すまない。でももう君なしでは生きられないんだ。すぐに行くから待っててくれ」

冷たい指が喉に掛かって強い力が込められた。




荒い呼吸音が静かな部屋に響き、心臓はバクバクと激しく打っている。


「…大丈夫、ただの夢だから」


そう言い聞かせても声に力はなく、身体が震えていることに気づいたサーシャは自分の腕でぎゅっと抱きしめる。今まで見た夢よりも恐ろしかった。昨日見た優しい笑顔との落差が怖かったし、首に触れられた指の感触は鮮明に残っていた。


(昨日でユーゴ様の責任感が解消されたと思っていたけれど、逆に好感度を上げてしまったのね)


他の攻略対象候補とは距離を取ろうとしていたが、ユーゴだけは出会いや再会の衝撃のほうに気を取られていた。どうやら過去にこだわり現状を認識していなかったのはサーシャのほうだったようだ。これ以上好意を寄せられれば、いつバッドエンドに進むか分からない。


それでもユーゴが卒業するまであと半年ほどだ。学園では関わらないよう伝えたのだから、これ以上接点を増やさなければ好感度も上がりようがない。


そう思っていたのだが、現実は甘くなかった。

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