綾部奈津希の事件簿

結香

第一章 銀行顧客データ人質事件

アホみたいな設定の漫画に出てくるような元カレ

 私こと綾部奈津希あやべなつきにも、俗にいう『モテ期』というものがあった。

 時の流れは残酷で、かれこれもう十五年ほど前になるが、高校に入学したばかりの、中学生臭さが残る垢抜けない当時の私は、間違いなく『モテ期』だった。それはもう、胸を張って話せる私史上最高にして唯一の自慢話だ。


 その自慢話というのは、私が入学した高校において、学年問わず校内の女子からの黄色い声援を浴びに浴びていた男子とお付き合いをする仲にあったということだ。

 彼と交際をしているというだけで、私のステータスは極限まで振り切れていると思った。

 なにせ私は、校内の女子全員が憧れる男子−−要するにすごく格好が良くて少女漫画に登場する王子様のような男子を射止めていたのだから。正直、当時の私は優越感ハンパなかった。

 一流のブランド品か、あるいは世界で一番大きなダイヤモンドを手に入れたような気分だったと思う。

 いや、それ以上に、彼とは到底不釣り合いな自分に対する嫌悪感やあまり親しくないグループの女子から受ける嫉妬など、優越感よりもそういったマイナスの感情が大きかったかもしれない。

 ただ、彼と過ごした日々は、間違いなく青春そのものだった。


 彼は、容姿が格好良いというだけに留まらなかった。

 彼は頭も良い。校内一の天才と言っても過言ではなく、国内で最も有名な某大学に現役合格している。

 また、彼は運動に関しても万能で、スポーツテストで校内一の成績であるのは当然として、バスケットボールの選抜選手として全国大会で大活躍を収めたほどである。ろくに練習もしていないのに、だ。

 漫画の設定だとしてもやり過ぎだとネット状況だ叩かれそうな、そんなハイスペックの持ち主だった。


 彼、杉崎潤すぎさきじゅんは、私の一つ先輩だった。

 私が彼と恋仲にあったのは、私が高校一年、二年の時で、彼は私より一年先に高校を卒業して大学生となったのち、私たちは遠距離からの自然消滅という結末を迎えたのだった。


 三十路となった今でも、当時のことを思い出してはノスタルジックでセンチメンタルな乙女心が私の中に蘇る瞬間がある。

 インターネットで『ノスタルジック』と検索すると山ほど出てくる画像がそうであるように、大人になると薄れていく若さ故の感覚が、しかし、十代の頃には気づくことのできない感覚−−ふと、それに触れた時、私は何かの喪失感を覚えるのである。


 三十歳、独身、実家暮らし、契約職員。

 潤と付き合っていた頃は、私の人生は幸せなのだと思っていたが、気が付けば友人達の結婚式ラッシュも過ぎ去り、中には子供がランドセルを背負う時期になった者もいるわけで、なにやら黒い感情が芽生えつつある。


 仕事は実家近くの警察署の総務課で経理の事務を行う契約職員で、キャリアを積める訳でもなく、出世できる訳でもなく、給料が上がる訳でもない。毎日、領収書と睨めっこしたり、おじさん刑事のつまらない話の相手をしたり、交通課や生活安全課の年下女子からどう反応したら良いのかわからない愚痴を延々と聞かされたりしていると、いつの間にか定時になっている。

 家に帰るとメーカー不明のジャージに着替えて化粧を落とし、母親からの夕飯の合図を待ちつつソファでスマホを弄る、そんな毎日を送っている。私の女子力はどこにいった?


 楽しみと言えば、毎週、少なくとも二週間に一度、私と同じく何処かに女子力を忘れてしまった地元の友人達と近所の安い居酒屋に集まり、時間が許す限りおしゃべり大会を開くことくらいだ。


 定時まであと五分。忙しそうにしている公務員諸君(特に刑事部)とは違い、今日の仕事を終えた私のスマホにメッセージが入っていた。


『美穂! 祝30歳!』


 メッセージの送り主は敦子だった。

 大浦美穂おおうらみほ白石敦子しらいしあつこ、そして私こと綾部奈津希あやべなつきの三人は、二月生まれの美穂を最後に全員仲良く三十歳に足を踏み入れたのだった。


『7時集合!』


 敦子のメッセージに対し、私はすぐに返信した。

 いつもの居酒屋でおしゃべり大会をしようという意味だが、私達三人には、集合の二文字だけで十分伝わる内容だった。ちなみに、私達はこれ(おしゃべり大会)のことを集会と呼んでいるのだが、それはどうでもいい話だ。


 一分も経たないうちに、私のメッセージに返信がくる。この暇人どもめ。


『りょーかい』


『やっと私もお姉様方の仲間入りね』


『2月生まれうぜー』


 二月−−現在勤める鹿島北署との契約期限が近づいていた。

 ちょうどいい。契約更新するべきか否か、今日の集会で敦子や美穂の意見を聞いてみよう。

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