第36話 抱擁したまま匂いを嗅がれる

 ライカさんを尾行し続けて数十分。

 早くも俺とツユは揉めていた。


「遅いですよ、兄さん」

「早く歩いたら見つかるかも知れないだろ? 近づき過ぎてライカさん振り向かれたらアウトだ」


 そんなこと言っていたら、本当にライカさんが振り返った。

 近くにある立て看板に二人して身を隠すのだったが、ライカさんがこちらに向かって歩いてきた。


「や、やばくないか?」

「気づかれましたか?」

「分からない。道を間違えたか、忘れ物をしたかも知れないし!」


 距離が徐々に近づいて来る。

 逃げようと思っても、隠れられる場所が見つからない。


 このままだと見つかってしまう。

 そう思っていたら、グイッとツユに引き込まれる。


「いっ――」


 ツユと急接近する。

 この密着状態だと、確かにライカさんから見たらツユは見えないだろう。

 俺だって背中しか見えないから分からないかも知れない。


 ただ、傍から見たらこれはただ街中でイチャイチャしだす迷惑なカップルにしか見えないんじゃないだろうか。


「おい!」

「仕方ないじゃないですか! 私だって兄さんとくっつきたくないですよ! 汗臭そうですし!」

「ちゃんと毎日風呂入っているからそんな訳ないだろ!」


 この状態だと振り返れない。


 ライカさんがいつここを通過するか分からない以上、声を潜めてやり過ごすしかない。

 抱き合うみたいにしているこの体勢を、ライカさんに観られたら家族会議が始まってしまう。


 頼むから、見つからないでくれ。


「この匂い……」

「な、なんだよ。汗臭くないだろ」

「…………私のシャンプー使ってません?」

「え?」


 昨日の夜を振り返る。


 いつも通り自分のシャンプーを使ったはずだ。

 ただ、俺と父親が使っているシャンプーの隣に、ツユが使っているシャンプーがある。


 覚えはないが、使った可能性もある。

 そういえば、いつもと髪の馴染み方が違った気がした。


「ああ、ごめん。使ったかも」

「変態です! 兄さん! そんなに私のシャンプーを使って私と同じ匂いにしたかったんですか!」

「そっちの発想の方が変態っぽいけど!?」


 自分と妹の髪の匂いを同じにしたいっていう欲求ある奴、この世にいるのか?

 まずその発想が思いつく時点でおかしいだろ。


「お、おい! そろそろライカさんを追いかけないと、見失うから行くぞ」

「ちょっと! 誤魔化さないで下さい!」


 問い詰めてくるツユを引き剥がすると、街角の方にライカさんが移動するを眼にする。

 このままだと曲がってどこかへ行ってしまうと思ったら、ライカさんは慣れない様子で角に会ったお店に入っていく。


「花屋?」

「……プレゼント、ですかね?」


 ライカさんが入店したのは間違いなく、花屋だった。

 男の人が女性にデートでプレゼントをするといった展開は聴いたことあるけど、その逆は聴いたことがない。


 仮に俺が花束を貰っても、あまり嬉しくない。

 ライカさんが会おうとしているのは、花が好きな人、か。

 俺が高校生だから嬉しくないというのもあるけど、もしかしたら大人の人だったら花を貰って嬉しいんだろうか。


「――わっ」


 アラームのような音が響いたので、ツユが驚きの声を小さく上げる。

 その音源は間違いなくツユの方からだった。


「何の音だ?」


 ツユがスマホを取り出すと、


「…………あっ」


 絶句する。


 誰かから連絡でも来たんだろうか。

 それにしては妙に焦っているように見える。


「そういえば、今日、VTuber事務所に行かないといけない日でした」

「え? 事務所に?」

「はい。とりあえず、事務所に所属する条件や環境を聴くために、あちら側がセッティングした日なんです。もう、向かわないと時間がないです」


 いきなり過ぎる。

 そして、なんでそんな大切な日を忘れていたんだ。

 どれだけ自分の姉の交際関係を知りたかったんだ。


「そ、それなら俺も行こうか?」

「大丈夫です。本当に話を聴くだけなので。……それよりも、姉さんのこと、頼みます」

「お、おい!!」


 ツユは走ってバス停の方へ向かって行ってしまった。

 相当急がないと間に合わないらしい。


「マジか……。俺一人になったんだけど……」


 もう、帰ってしまおうか。

 ツユがいたから流れでライカさんを尾行することになったのだが、一人になって急に冷静になってしまった。


 ツユには、ライカさんは見失ってどうなったか分からないと言えばいいか。


 仮にライカさんにこの件がバレたとしても、ツユと一緒にストーカーをしていたから、まだお遊びの範疇で片づけられた。


 もしも、俺一人がこんな所まで尾行したのがバレてしまったら、ガチ感が増してしまう。


 さっさと退散するとしよ――


「どうしたの? ソラくん。こんな所で?」


 油を差していない古いギアみたいに振り向くと、


「ラ、ライカさん……」


 花束を持ったライカさんがすぐ傍まで近づいていた。

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