彼女と別れたら周りの女子が慰めて

魔桜

1

第1話 喫茶店で別れ話を切り出したら濡れた


「俺達、別れよう」


 カラン、とジュースに入っている氷が音を立てた。


 古びた喫茶店が、一瞬完全に沈黙した気がした。


「何言ってるの? ソラ。私って凄くモテるのよ?」

「……知ってる」


 星宮 愛ほしみや あい

 俺の彼女だ。


 高校二年生である彼女は同級生どころか、別の学年にもモテる。

 いや、それどころの話ではない。

 彼女の顔を一目見る為に、出待ちをしている他校の生徒までいる。


 それぐらいのモテモテっぷりだ。


 だからこそ、俺とは釣り合わない。


 陰キャの俺とは違って、流行のファッションに身を包み、化粧やネイルもしていて、八頭身の彼女。

 スタイル抜群であり、容姿はその辺の芸能人が霞むほど。


 普通ならば俺なんかが一生口が聞けない程、住んでいる世界が違う。


「私は勉強もできるし、スポーツもできるし、人気もある。この私と付き合えるなんて光栄なことなんだよ?」

「……俺も付き合えて嬉しかったよ」


 最初は、だけどな。


 彼女は天が二物どころかあらゆる物を与えた存在だ。


 でも、言ってしまえばそれだけだ。


「だったら分かるでしょ?」

「何が?」

「別れる必要なんてないってことぐらい」


 俺は盛大に溜息を吐く。


 やっぱりこうなったか。

 だから言い出すタイミングをずっと悩んでいたのだ。


「もう無理だよ。俺はもうアイについていけない」

「何が駄目なの? ねえ? 私に欠点なんてある? ないよね? なのになんで別れるなんて面白くない冗談を言ってくるの? あっ、そこ間違えてるわよ」


 俺達は放課後、この喫茶店に来て勉強をする予定だった。

 宿題をさあ始めましょうとなった時に、俺は別れを切り出したのだ。


 タイミングは最悪だと思う。

 もっとまともな場所でセッテイングすべきだった。


 だが、もう耐えられなくなってしまったのだ。

 こいつの前にもういたくない。


「この間違いは……後で直しておく」

「今直したら? どうせ後から直さないでしょ?」

「今はそんな状況じゃないだろ……」


 俺は宿題を鞄に直しながら、周りを見渡す。


 ここの喫茶店は、いつだってお客さんは少ない。

 それにマスターは優しい人なので、勉強をしていてもとやかく言わない。


 ジュース一杯で何時間も粘れるこの場所は、アイとの思い出の場所だ。

 そして俺のお気に入りの喫茶店でもある。


 でも、きっともうここには来られない。

 アイとの思い出がある場所には極力立ち寄りたくない。

 少なくとも、もうアイとは来ない。


 別れ話をしているのに、宿題の間違えを指摘してくるようなズレた人間とはもう来たくない。


「もう疲れたんだよ」

「何に疲れたのよ。私があなたに何かした?」


 これだけ気が付いていないのなら、ハッキリ言うしかない。

 反論される覚悟をして俺は口を開く。


「……『一分以内にメッセージを返信しないといけない』こととか、『毎日一個はいい所を言う』とか、『食事は絶対に俺の奢り』とか、『他の女子と話すのは禁止』とか、そういう理不尽なルールで縛られるのにはもうウンザリなんだよ」

「そのぐらい普通だから! 女子の間じゃ常識なの! 周りの人だって、私のことを正しいって言ってくれてる!! だから私は正しいの!! 本当だったらもっと言いたい事あるのに私は我慢してあげてるんだからね! あなたのために!」

「……アイの周りにはイエスマンしかいないだろうけど……」


 男だろうと女だろうと、アイの周りには肯定する人しかいない。


 みんな彼女の魅力にメロメロなのだ。


 だから彼女が間違った事を言っていても諫める人間はいない。

 だからこんな化け物が育ったんだろうな。


「ソラ、私のこと嫌いになったの」


 上目遣いでウルウルと瞳に涙を溜めている。

 その表情だけで大抵の男子は心を撃ち抜かれるだろう。

 俺もその一人――だった。


「もう騙されないぞ、そのぶりっ子には」


 俺は思い切り立ち上がる。

 想像以上に勢いがついて椅子が後ろに倒れたが、構わず思いの丈をぶつける。


「俺は別れる! 絶対に!」


 叫んだ瞬間、顔にコーラがかかる。


 アイが机に置いてあったグラスを持っていた。

 数秒の時間差で、アイが俺にコーラをぶちまけたのを理解した。


 咄嗟に目を瞑ったから良かったが、氷も入っていたので危なかった。


 シュワシュワという炭酸の音と共に、コーラがジーパンにまで染みていく。


「目は覚めた?」


 真顔になったアイは普段美人だからこそ怖かった。


 アイの言動は自分が間違っていないと心の底から思っていそうだ。

 それが……そういう所が本当にもう無理なんだ。


「これで私のこと好きって思い出した?」

「ああ、思い出したよ」


 俺は鞄に教科書やら筆記用具を素早く入れる。

 コーラがかかって濡れていたがもう気にしにない。


「――アイのことが心底嫌いになったって」


 一刻も早くここから離れたい。

 アイのことを視界に入れているともっと嫌いになりそうだ。


「ねえ! 嘘でしょ? 私のこと好きなんでしょ? ねえ、待ってよ! 待って! 私を一人にしないで! 後悔するよ! 今から謝るなら許してあげるから!」


 追い縋って服を掴んでくる。


 俺が振り返ると、ホッとしたような表情になる。

 俺が謝ると思っているんだろう。


 いつだって俺はそうしてきたもんな。


 意見がすれ違って喧嘩になりそうになった時は、いつも俺から謝っていた。

 機嫌が悪くなって無視するようになったら、俺が何とか彼女の機嫌が直るように奮闘した。


 面白そうな話題を振ったり、彼女が好きそうな新作スイーツをプレゼントしたりした。

 そうやって尽くすぐらいアイのことが好き――だったのだ。


「俺は絶対に後悔しない」


 腕を振りほどくと、俺は一度も振り返らずに早歩きになった。

 彼女の分の勘定も癖で済ますと、俺は逃げるように喫茶店から飛び出した。

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