13




それから時間は過ぎ。リンクサイドのベンチの前で、ひとり憤慨する多々羅たたらがいた。


「店長!どういう事ですか!」

「どうもこうも良かったな、スケートが滑れるようになってさ」

「そういう事じゃなくて!」


リンクから上がり、多々羅はにっこり笑う愛を前に、地団駄を踏みたくなった。

この短時間の間で、多々羅は子供達にさんざん振り回された結果、持ち前の運動神経の良さを発揮し、スケートが滑れるようになっていた。子供達にも感激されるレベルまで上達したのだから、大したものだ。

とはいえ、多々羅としては、勝手に氷の上に放り出され、その後放置されていた事実は変わらない。だが、多々羅がいくら憤慨しても愛はどこ吹く風で、さっさとベンチから立ち上がってしまった。


「とりあえず、一旦切り上げよう。今は人が多いし、暗くなってからもう一度来た方が良いだろう」

「ちょっと!俺の話聞いてます!?」

「多々羅君のお陰で、とても有意義に時間を使えたよ」

「それ、俺が邪魔って事ですか!?それでも俺は帰りませんからね!」

「はいはい」


多々羅には、まだまだ言いたい事はあったが、愛は気にせずさっさと歩き出してしまう。不満を顔に貼り付けながらも、ここで置いていかれる訳にはいかないと、多々羅は急いで靴に履き替え、慌てて愛を追いかけた。


昔はあんなに可愛かった愛が、こんなに意地悪く育っているとは。愛と再会してから、こんな思いばかりが更新されていく。

だが、早速出口が分からなくなっている愛を見れば、胸に渦巻く不満も勢いを失くし、多々羅は溜め息を飲み込んで、愛を出口へと誘導するのだった。






それから、二人は適当に街を散策したり、カフェで時間を潰し、日が暮れた頃、再びスケートリンクに戻ってきた。

太陽が沈むと、涼しさを伴った夜風が、肌を心地良く撫でていく。昼間の暑さを知っているだけに、ほっとする涼しさだ。


「でも、店長。夜は貸切でしょ?入れるんですかね…忘れ物したって言えば入れるのかな」


建物の前で首を傾げる多々羅だったが、愛はそれには答えず、何故か入り口を素通りしていく。さすがの方向音痴でも、目の前の入り口を見失う事はないだろう。多々羅は困惑しながら、愛の後を追いかけた。


「どこに行くんですか?ネックレスを探すんじゃないんですか?」

「探しに行くんだよ。多々羅君がスケートで遊んでた間、それっぽいのを見つけたんだ」

「え?…ていうか、あなたが勝手に遊ばせたんでしょ!その前に俺は遊んでませんよ、どっちかって言ったら遊ばれてましたよ」

「それで、彼女が現れた方角を探してみたんだけど」

「聞いてないし…」

「清掃は入ってる筈だろ?だから、あんまり見なさそうなとこ、観葉植物の鉢の中とかしか見れなかったけど、やっぱり無くてさ。まぁ、自動販売機の裏は流石に見えなかったから、こっちを見て見つけられなかったら、中に入る方法を考えないといけないけど」

「こっちって、何処です?外ですよ、ここ」


愛が向かったのは、建物の裏側だ。スケートリンクの隣には別の施設の建物があり、二つの建物の間には、狭いが空間があった。そこには、人が入れないようにフェンスが立てられてあったが、愛は眼鏡を外すと、躊躇う事なくさっさとフェンスに足を掛けて中に入ってしまった。


「え、ちょっと!これ、不法侵入になりませんか!?」

「大声出すな、それこそ何か落としたとか言い訳すりゃいいだろ」

「えー…」


頭を抱えつつ、多々羅は仕方ないと、足を掛けてフェンスを飛び越えた。


「足元に注意して、何処にあるか分からないから」

「え?」

「それから、人が来ないか見てて」

「はい…」


多々羅は足元に注意しながら、フェンスの外側を伺う。陽が暮れて辺りは暗くなっている上、ここは隣の施設との間のスペース。男二人がやっと並べるかという位の、暗く狭い場所だ。入り口のある表通りと違って、フェンス前の通りは人通りもない、先ず人目につく心配は無いだろう。

建物の裏側は雑草が生い茂り、換気口や裏口のドア位しか見当たらない。そんな中、愛は地面に膝をつくと鞄を開け、中からパイプを取り出した。

煙草を吸う為のパイプだ。木の深い色は艶がある、よくある形の物だった。


「え、パイプ?煙草吸うの?」

「こんなところで吸う訳ないだろ。俺は煙草呑みは苦手だ」


確かに、愛が煙草を吸っている所は見た事がない。


「じゃあ、それは?」

「魔法の道具」


何の恥じらいもなく、愛はさらりと言いのける。多々羅は怪訝な表情を浮かべたが、黙っておくことにした。ここで言い合いになって、もし誰かに見つかって警察沙汰にでもなったら、正一しょういちに顔向け出来ない。

そう考えると、もしもという事もある、ここで誰かに見つかり不審者扱いされたらどうしようと、多々羅は内心ハラハラだったが、愛は気に留める様子もなく淡々と作業を進めていく。


愛は取り出したパイプを咥えると、今度は手のひらに収まるくらいの小瓶を取り出した。コルクの詮で閉じられたその小瓶の中には、金平糖のような可愛らしい粒が入っていた。愛はそれを一粒取ると、パイプのボウルに入れた。


「え、」


その様に、多々羅は驚いた。金平糖のようなものを入れただけなのに、愛の口元から白い煙が吐き出されたからだ。

驚いて固まっている多々羅をよそに、愛は、彩が名前と連絡先を書いた紙を取り出し、パイプの煙をその紙に吹き掛けた。紙に煙がかかると、どういう訳か、吹き掛けた以上に煙がどんどんと増えていく。煙は愛の手の中でもくもくと動き出し、紙を十分に包み込むと、白い煙はやがて灰色へと姿を変え、その煙は地面へと落ちていった。


「え、これ、どういう状況ですか?」

「すぐに形になる。野島さんの思いが強いならな」


困惑しながら、多々羅は愛に倣って地面を見つめる。少しすると、地面に止まった煙の中から足跡が現れた。よくイラストで見る、犬の足跡のような形をした、黒い跡だ。

だが、多々羅にはそれが見えない。見えるのは、地面に落ちて消えた煙の姿、そこまでだった。多々羅の目には、ただの地面しか見えなかった。


「上手くいったな」


ホッとした様子の愛に、何も見えていない多々羅は首を傾げるばかりだ。


「さ、行くぞ」

「え?今、何が起きたんですか?」

「多々羅君には見えないだろうけど、今、パイプの煙が、地面に足跡を作ったんだ。

このパイプに入れた鉱物には、物の思いを嗅ぎとる力がある。パイプは、その力を使う為の道具だ、煙にしないとその力は機能しないからな。

野島さんに書いて貰ったこの紙、それからインクには、彼女の思いを残す力がある。

この足跡が、ネックレスと持ち主の思いを嗅ぎ取り導いてくれるんだ。物には意思があるけど、持ち主とその物の思いというのは、同じ匂いがするものだから」

「…へ、へぇ…」


なかなか理解が追いつかないのも、見えない多々羅には仕方のない事だ。だが、例え見えていたとしても、なかなか現実として呑み込めなかったかもしれない。

愛の目には、地面に浮かび上がった足跡が、まるで本当にそこに犬がいて、匂いを嗅ぎ取っているかのように歩き回っている。うろうろと、暫しその場で右往左往した後、足跡は建物に沿って真っ直ぐ歩いていく。先に進めば進む程、フェンスと建物の距離が狭くなっていくので、愛達は窮屈さを覚えながら進んでいくと、雑草の茂みに差し掛かった所で足跡が止まった。足跡は、その場で円を描くように歩き続けている。愛は、その円の中にある雑草を掻き分けた。


「あった」


その雑草を掻き分けた地面の上に、星形をしたクリスタルのネックレスが落ちていた。


「え?本当に?」

「恐らくな」


愛はネックレスを手に、多々羅を振り返る。多々羅は、ネックレスが見つかった事もだが、何故こんな所にと疑問を感じずにはいられなかった。こんな建物と建物の間、先ず人は入らない。それこそ、犬や猫なら話は別だが。


「…駄目だな、出てきて貰おう」


愛はじっとネックレスを見つめていたが、ややあって肩を落とすと、もう一度パイプを咥え、その煙をネックレスへと吹き掛けた。

すると、先程の紙同様に煙がネックレスを包み込み、愛はネックレスから手を放した。通常なら、重力に従ってネックレスはすぐに地面に落ちていく筈。だが、不思議な事に、ネックレスは宙に浮いていた。


「え…」


まるで手品でも見ている気分になり、多々羅がぽかんとしていると、ネックレスを包む煙が瞬く間に膨れ上がり、それが愛達の背丈程まで達すると、その煙は一瞬にして消えてしまった。

多々羅が見えるのは、やはり、この煙が消えるまでだった。


「初めまして、お嬢さん。私は、“宵ノ三番地”店長代理の、瀬々市ぜぜいちと申します」


愛が微笑み、丁寧にお辞儀した。愛と向かい会う形で立っていた多々羅には、まるで自分に挨拶しているように見えただろう。だが、愛の翡翠の瞳には、二人の間に、もう一人、女性の姿が見えていた。


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