第5話 生徒の親に手を出す

心の中で小さく唱えてから、楓はダイニング横の引き戸を勢いよく開けた。

「キャー!!」

「うわぁっ!」

忌々しい白い2つの肉の塊が、勢いよく跳ね上がった。

「やっぱり、ね。」

楓や菜月にとっても、本当はすごく目を覆いたい下品な場面に違いなかった。でも写真を撮るように、しっかり脳裏に焼きけておかなければならない重要な景色でもあった。

「あなたのママの上に乗っかっていたのは・・・。」

「森下先生。」

「痛いくらいに予想通りだったな。」

楓は部屋を見渡した。散乱している下着やTシャツ。見覚えがあるものが楓の心の華奢な部分を容赦なく殴りつけてくる。

「なんで、お前、ここに・・・。」

森下と菜月の母親は、急いで下着などを着用しようとしている。その姿は滑稽ではあるが、十分には笑えない。

「菜月が心配でね。あたし菜月の担任だから。男が来るたびに母親になろうとしない女は娘を外に追い出すわけよ。学校からの電話には出ないし。私の携帯も着信拒否するし。ひどい女だなって思ってさ、どんな男が遊びに来るのかなと思ってね、菜月にiphoneのボイスメモ機能を使って、収録させたのよ。この部屋で行われていることを。」

菜月はポケットからiphoneを出した。そしてボイスメモを再生させた。中からは男女の毒々しい嬌声が聞こえてきた。そして途中の会話もクリアに聞こえる。

「あたし二週間前、そこの電気スタンドの隅に隠して録音したんだ。母さんに出て行けって言われる五分前に仕込んだ。」

菜月はサイドテーブルの上に遠慮がちに座っている、ガラス製の電気スタンドを軽く指さした。

「菜月に聞かせてもらって、愕然とした。聞き覚えのある声が聞こえてきたからね。あなただって確信したのは、途中に入っていた、会話よ。あなたの口癖で“つーか”って言うフレーズ。これが聞こえてきたとき、あたし、膝から崩れ落ちたわ。」

「これはいろいろ事情が・・・。」

「菜月、自分の荷物を今すぐに大きめの鞄に詰めてらっしゃい。修学旅行の時に使っていたものでいいわ。」

「あ、はい。」

楓は森下の声を遮って、菜月に指示を飛ばした。非情な母親は森下の背中に隠れている。

「ここは、子供を育てる環境ではありません。今日、明日は私が菜月を引き取ります。週明け月曜日、児童相談所に連絡をし、児童養護施設を紹介してもらいます。」

「お前、そんなことしたら、俺・・・。」

「あなたの身分なんか、どうでもいいの。菜月なの。菜月にはちゃんと育ってもらわなきゃいけないの。あなたの背後に隠れて、被害者面して黙秘をしている、そんな卑怯なメスのようになってもらいたくない!」

母親は、ほんの少し前まで楓のものだった森下の背中に顔をうずめている。森下はベッドの上で土下座し、シーツに頭をしつこいくらいにこすりつけている。

「これは事故なんだよ、事故。お前そんなことしたら学校全体にも、教育委員会にも迷惑がかかるだろう。そんなこと考えたら分かるじゃないか。」

「お前が言うなよ。事故だというなら過失事故なんだよ。分かっててあんた事故を起こしたんだから。自業自得だよ。免許を取り上げられても、文句言えないよね。」

菜月が自分の部屋から戻ってきた。たいそうな荷物量だ。私に声をかけられる前から荷造りをしていたのではないのだろうか。彼女はこうなる展開を予期していたのか。

はっきりしていることは一つ。

もうこの家に戻ってくるつもりはないという、彼女の固い意思だ。

「お母さん。これで失礼します。今度児童相談所から連絡が行きますから、それだけは着信拒否しないで下さい。もう逃げないで下さい。あと、菜月の腕の怪我、ずっと長袖を着ていること、ご存知でしたか?」

返事はない。女の部分を見られ、ふて腐れているのか。顔を上げる気もなさそうだ。

「おい!」

突然声を張り上げた楓の声にびっくりしたのか、森下の背中に隠れていた母親は、少し顔を覗かせた。瞳には、はっきりと殺意が浮かび上がっていた。

「もういい。菜月、行こう。」

「うん。」

もう白い醜態から何の音も聞こえなかった。楓は後ろ手で頑固に引き戸を閉めた。

 階段を下りて、向かいのコンビニに渡るとき、アパートの前で胡坐をかいている、森下の赤いプリウスが視界に飛び込んできた。

「アパート前に堂々と止めるなんて、家庭訪問に来ている感覚だったのかしら。」

「家庭訪問の内容に母親フォローってあるのかな?」

「あれはフォローじゃない!」

二人は声を上げては笑いながら、向かいのコンビニに急いで渡った。

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