捨て騎士団長を拾いました

亜逸

前編

 太陽が西の空を茜色に染める中、エリア・アルストイが箱馬車に乗って屋敷に戻っていた途上のことだった。

 ゆっくりと流れゆく景色を車窓から眺めていたエリアは、路地で蹲っている男を認めた瞬間、逼迫した声音で御者ぎょしゃにお願いする。


「止めてください!」


 すぐさま箱馬車を降り、「お嬢様!?」と驚く御者の声を背に受けながら男に駆け寄る。


「リットン様……ですよね?」


 恐る恐る訊ねると、男――リットン・レイスターは億劫そうに顔を上げる。

 そうして露わになった、憔悴してなお精悍さが目を引く顔立ちを見て、エリアは「やっぱり……」と呟いた。


「どうして、騎士団長の貴方がこのようなところに?」

「一週間後にはもう騎士団長ではなくなる。だから捨てられた。それだけの話だ」


 前半の言葉はエリアも耳にしているので特段驚くことはなかったが、後半の言葉は初耳だったがゆえに驚きを隠せず、つい質問を重ねてしまう。


「捨てられたって……それはどういう意味ですか!?」

「言葉どおりの意味だ。騎士団長の座から引きずり下ろされた挙句、公爵令嬢カミラに婚約破棄を言い渡された私は、レイスター伯爵家にとっては汚点以外の何ものでもないからな。兄や弟たちと違って剣しか取り柄がない私など、さぞかし捨てやすかったろう」


 自嘲めいた笑みを浮かべるリットンに、エリアは知らず形の良い眉をひそめてしまう。


 以前の彼は、今とは比べものにならないほどに自信に満ちあふれていて、文武ともに自信に違わぬほどの実力を有していた。

 だからといってそのことを鼻にかけることはなく、品行方正な在り方は騎士の中の騎士と呼ばれるほどだった。


 そんな彼が若くして騎士団長に選ばれるのは必然であり、縁談の話が山ほどきたこともまた必然だった。

 恥ずかしながら、リットンのことを密かに慕っていたエリアも、父に頼んで縁談の話を持ちかけてもらった一人だが……選ばれたのは、エルネーゼ公爵家の令嬢カミラだった。

 その選択にリットンの意志は微塵も介在せず、全ては彼の父であり、旺盛な野心で有名なレイスター伯爵が決めたことだった。


 そうしてリットンはカミラと婚約を結んだわけだが、そこからが転落の始まりだった。


 カミラはリットンのことを、騎士団長という箔が付いたアクセサリーとしか見ていなかった。

 騎士団長として多忙な日々を送るリットンを事あるごとに連れ出しては、皆に見せびらかした。

 それだけならば、見ようによっては騎士団長と婚約できたことをはしゃいでいるようにも見えるので、まだ微笑ましい話で済んでいたが……。

 公爵の娘ゆえか尋常ではなく我が儘に育てられたカミラと、品行方正なリットンとでは何かと馬が合わなかったらしく、カミラは日を追うごとにリットンに対して、やれ見かけ倒しだの、やれ名前倒れだの、やれ脳筋だのと、あらぬ誹謗を浴びせるようになった。


 わずかな余暇の全てをアクセサリーとして駆り出され、毎日のように誹謗を浴びせられたリットンの心身は、少しずつ着実に疲弊していった。

 心身の疲れはミスを誘発し、度重なるミスがリットンの評判を落とし……ついには騎士団長の座を退かざる得ないところまで追い詰められた。


 そしてカミラは、リットンが騎士団長ではなくなると知った途端に、彼との婚約を一方的に破棄した。

 騎士団長ではない貴方に何の価値もない――そう言い捨てて。


 同じように思っていたのはカミラ一人だけではなく、今までリットンにお熱になっていた令嬢たちも、潮が引くように彼への興味をなくしていった。

 騎士団長であろうがなかろうが、リットンを慕う気持ちに何の陰りもなかったエリアには何とも腹立たしい話だった。

 本来はリットンの味方で在り続けるべきレイスター伯爵家が、カミラと同じように彼を捨てたことも含めて。


 だからというわけではないが。

 気がつけば、こんな言葉とともに、リットンに手を差し伸べていた。


「行くところがないのでしたら、わたくしのところに……アルストイ家の屋敷に来ませんか?」








 最早何も考える気はないのか、リットンは何も言わずにエリアの手をとり、箱馬車に乗り込んでくれた。

 そしてそのままアルストイ家の屋敷に戻ると、


「まさか、茶会の帰りに騎士団長を連れてくるとは……」


 エリアの父であるアルストイ子爵が、リットンを見て露骨に渋面をつくった。


「リットンくん。レイスター伯爵に捨てられたという話は本当かね?」


 大雑把な経緯を聞いたアルストイ子爵の問いに、リットンは無言で首肯を返す。

 自然、渋面に渋みが増す。


「お父様……リットン様のこと、しばらく屋敷に置いておくことはできないでしょうか?」


 無意識の内に上目遣いになりながら、エリアは懇願する。

 自然、アルストイ子爵の口から重々しいため息が漏れる。


「このまま突き返すというわけにもいかぬからな。彼の身の振り方が決まるまでの間くらいは面倒を見てやろう」

「ありがとうございます! お父様!」


 感極まってエリアがアルストイ子爵に抱きつく。

 しょうがないなと言わんばかりに頬を緩めている時点で、子爵がなんだかんだで娘に甘いのは明白だった。


 その後、路地で蹲っていたリットンは相応に汚れていたため、エリアは彼を浴場にお連れするよう使用人にお願いした。


 そうして待つこと一時間。

 体の汚れを落とし、真新しいウエストコートに着替えたリットンがエリアの前に姿を現した。


「やはりリットン様は、こうでなくてはいけませんね。よく似合っていらっしゃいますよ」


 依然として彼の表情は憔悴したままだったが、だからこそ笑顔で褒めちぎった。


 面映おもはゆかったのか、リットンはそれとなく視線を逸らしながらも応じる。


「これだけきっちりと身なりを整えてもらったのだからな。似合わない方がおかしい」

「それでも、です」


 逸らされた視線を覗き込み、ニッコリと笑みを深める。

 そんな好意すらも恐れるように、リットンはさらに視線を逸らした。


(あのリットン様が、わたくしのような小娘とすらも目を合わせられないなんて……。カミラ様はいったい、リットン様にどのような仕打ちをしていたのですか……!)


 憤りを覚えるも、他ならぬリットンの前で顔に出すような真似はしなかった。


 代わりに誓う。

 リットンが今までカミラに受けた仕打ちを帳消しにするくらいに、彼に優しくしようと。




 ◇ ◇ ◇




 ――あら、リットン。

 ――騎士団長のくせに、わたくしに口答えすらできないのかしら?

 ――まあ、本当に口答えなんてしようものなら。

 ――すぐさま、この婚約を破棄してぇ。

 ――貴方のお父上の顔に思いっきり泥を塗って差し上げるけど。



 ――貴方、本当に剣しか取り柄がない愚図ね。

 ――わたくしと添い遂げるよりも、剣と添い遂げた方が余程お似合いよ。



 ――いい加減連れ回すのはやめてほしい?

 ――仕事に支障が出る?

 ――情けないわねぇ。

 ――騎士団長なんだから、ほんの一~二ヶ月休みがなくなったって平気でしょ。



 ――あらあら?

 ――ワインが滴が床に落ちちゃったわ。

 ――そうだリットン、貴方が舐め取りなさいよ。

 ――最近騎士団長としても評判を落としてる貴方には。

 ――お似合いの仕事だと思わない?




「……………ッ」




 夢の中でさえも虐げてくる元婚約者から逃げるように、リットンは上体を跳ね起こす。

 身を横たえていたベッドも、調度品も、床も、壁も、天井も、全てが見慣れないものであったことに困惑しそうになるも、すぐにアルストイ家の厄介になっていることを思い出し、疲れ切ったため息を深々と吐き出した。


「カミラの言葉ではないが、我ながら情けない話だな。もう彼女とは縁が切れているのに、いまだに夢の中で苦しめられるなど」


 知らず、自嘲を浮かべる。


 騎士である以上、女性に手を上げるなどという発想は初めから持ち合わせていない。

 それ以前に、婚約を結んだ父――レイスター伯爵の面目を潰さないために、カミラに口答えすることすら許されていなかった。


 とはいえ、騎士団長ともあろうものが、この程度で心身ともに追い詰められてしまったことには、我が事ながら本当に情けないと思わずにはいられない。

 その情けなさが原因でカミラに婚約を破棄され、レイスター伯爵家に義絶されたのだから、なおさらに。


「それにしても……」


 悪夢を見たせいで寝起きは最悪だが、久しぶりに長い時間眠ることができたおかげで、昨日までに比べて思考が明瞭になっていた。


 思い返せば、騎士団長としての激務に加え、カミラの我が儘に振り回されていたせいで、日々の睡眠時間は二、三時間程度しか確保できていなかった。

 しかし今は、四日後の騎士団長退任の日までは謹慎となっているため激務からは解放され、アクセサリーとして自分を連れ回す公爵令嬢もいない。


 そのおかげで、久方ぶりに長時間の睡眠がとることができ、ここ数ヶ月は霞がかっていた思考も明瞭になったわけだが……だからこそ、自分を拾ってくれたエリアとアルストイ子爵への感謝と申し訳なさでいっぱいになっていた。


「厚意は嬉しいが、さすがにこれ以上厄介になるわけにはいかない。すぐにでもこの屋敷を出て――」


 コンコン。


 控えめなノックが、部屋唯一の入口となる扉から聞こえてくる。

「どうぞ」と促すと、微笑を湛えたエリアが中に入ってきた。


「おはようございます、リットン様。昨夜はよく眠れましたか?」

「おはよう、エリア嬢。おかげさまで、久方ぶりに充分な睡眠をとることができたよ」

「久方ぶりに……ですか」


 エリアの微笑が陰るのを見て、自分が余計な口を滑らせたことに気づいたリットンは、自分の愚鈍さに頭を抱えそうになる。が、滑らせたついでだと思い直し、突き放すような物言いを意識しながらも彼女に告げた。


「昨日は世話になった。私のような厄介者はすぐに屋敷から出て行くから、その点はどうか安心してくれ」

「厄介者だなんて……」


 いよいよエリアの頬から微笑が消えるのを見て、女性に不快な思いをさせたことへの罪悪感を覚える。

 しかし、レイスター伯爵家に義絶され、騎士団長という肩書きすら失おうとしている自分に関わってもろくなことにはならないので、罪悪感を噛み殺しながらもエリアに告げた。


「紛うことなく厄介者だよ、私は。それも、関わるだけ損をする手合いのな」

「そんなことは……!」


 悲痛すら混じった声音でエリアは否定してくるも……いったい何を思いついたのか、不意にニンマリと笑い、こんな質問を投げかけてくる。


「リットン様は、自分が厄介者だからこの屋敷にはいられない……そうお考えなのですね?」


 意図がわからず、「あ、ああ……」と曖昧に答えると、エリアの笑みが目に見えて深まった。


「ということは、わたくしたちがリットン様のことを厄介者でも何でもないと思っているのであれば、このまま屋敷にいてくださると解釈していいんですよねっ?」


 語気を強めるエリアに気圧されたのか、「あ、ああ……?」と先と同じ返答を疑問符付きで返してしまう。


「それはよかった」


 手を打ち鳴らし、満面の笑みで喜ぶエリアに、今さら前言撤回することもできなかったリットンは、どうにか軌道修正を試みる。


「とはいえ、長居しすぎるのは私としても良心が咎める。明日明後日には出ていくことを約束しよう」

「出ていくとは仰いますが、行く当てはお有りなのですか?」


 思わず、口ごもってしまう。


「それに一週間後のことを考えると、昨夜のような汚れた姿で皆の前に出るわけにも参りませんでしょう。どうかここは、わたくしたちに甘えてください」


 こちらを気遣ってか、明言はしていないが、彼女が言わんとしていることをリットンも理解していた。

 一週間後――正確には今日より六日後に、自分は騎士団長を退任することになる。


 いくら失態だらけの情けない騎士団長とはいっても、退任の際は相応に人が集まり、次の騎士団長を任命する――とはいっても儀式上の話でリットンに任命権はなく、あらかじめ国王と大臣が話し合って決めた人物を名指しするだけだが――という、最後にして大事な仕事が残されていた。

 昨夜のような小汚いなりでは、顰蹙ひんしゅくを買うのは必至だろう。

 さらに言えば、婚約破棄された挙句レイスター伯爵家に義絶された失意のあまり、一日二日であんなザマになったと聞いたら、エリアにすらも顰蹙されることだろう。


 リットンは短くない黙考の末、諦めたように答える。


「……わかった。お言葉に甘えさせてもらうとしよう」



 こうしてリットンは、アルストイ子爵家のお世話になることになったわけだが、



「リットン様。まだ疲れが抜け切っていないのですから、決して無理はしないでくださいね」



「お父様にお願いして、滋養強壮に良い食べ物を用意してもらったの。これで少しは英気を養うことができるでしょう」



「何もしないのはかえって申し訳ない? いいのですいいのです。今リットン様に必要なのは休息なのですから」



 過保護といっても差し支えない扱いに困惑すること二日。

 エリアの誘いで庭先でティータイムに興じていたリットンは、疑問をそのまま彼女にぶつけた。


「エリア嬢。どうして貴方は、こんなにも私に良くしてくれるのだ?」

「そんなことを訊いてくるということは……リットン様は、このアルストイ家から縁談の話があったことをご存知ないのですね」


 言葉の意味を理解したリットンは色を失う。


「す、すまない! 言い訳に聞こえるかもしれないが、縁談については全て父が……いや、レイスター伯爵がお決めになられたことで、私は沢山の縁談の話が来ているということを聞かされただけで、どの家の誰からきていたかまでは把握していないのだ」

「謝ることはありませんよ。どうせそんなことだろうと思っていましたから、わたくしは『やはり』と言ったのです」


 言われてみれば、彼女が『やはり』と言っていたことを思い出したリットンは、決まりが悪そうに口ごもる。が、


「さらに言えば、リットン様がカミラ様に婚約を破棄された後も、お父様にお願いしてレイスター伯爵家に縁談の話を持ちかけていただきましたが、まさかこのようなことになっているとも知らず……わたくしの方こそ、申し訳ありませんでした」


 続く言葉に、思わず目を見開いてしまう。

 騎士団長を退任することが決まり、カミラに婚約を破棄された自分に、貴族の令嬢のほとんどが興味を失ったという話はリットンも聞き及んでいる。

 だからこそ、落ち目になってなおエリアが縁談を持ちかけてくれたという話は、リットンにとっては衝撃的だった。


「それはつまり、君は真実私のことを……」


 明言は避けたものの、こちらの言わんとしていることがしっかりと伝わってしまったらしい。

 自分が告白に等しい言葉を言っていたことにようやく気づいたエリアは、顔を真っ赤にしながらも紅茶を一気飲みし、


「ここここ紅茶も飲み干しましたのでっ! ティ、ティータイムは終わりにしましょうっ!」


 勢いよく立ち上がると、脱兎の如き勢いでリットンの前から逃げ去っていった。


「……まいったな」


 そんな言葉とは裏腹に、頬が緩んでいることを自覚する。


 もともと優しい女性が好みだったという理由もあるが、カミラに散々虐げられていた反動もあって、リットンの目には、エリアがこれまで出会ったどんな女性よりも魅力的に映っていた。


 おまけに、他の女性が見向きもしなくなった中、彼女だけは一途にこちらのことを想い続けてくれていた。

 一人の男として、これほど嬉しいことはない。


「……いかんな」


 思いがけず良い思いをさせてもらっているというのに、これ以上高望みするのは贅沢がすぎるというもの。

 落ち目の自分に、エリアのような素敵な女性は勿体ないと何度も言い聞かせてから、ティーカップに残っていた紅茶を飲み干した。




 ◇ ◇ ◇




 エリアが自室に戻り、いまだ火照りを帯びる顔を、両手でパタパタと扇いで冷ましていた最中のことだった。

 予期せぬ来客がエリアを訪ねてきたことを、使用人から聞かされたのは。


 すぐさま屋敷の玄関へ向かうと、そこには、


「ごきげんよう、エリアさん」


 リットンとの婚約を一方的に破棄した公爵令嬢カミラと、騎士服に身を包んだ見知らぬ男の姿があった。


 エリアは恭しく挨拶を返しながらも、直截ちゃくさいに訊ねる。


「ごきげんよう、カミラ様。公爵家の令嬢である貴方が、たいした接点もないわたくしにいったい何のご用ですか?」

「あら? 接点ならあるわよ。リットンとかいう情けない男という接点が」


 言外にリットンがこの屋敷にいることはわかっていると言ってくるカミラに対し、エリアは眉一つ動かすことなくとぼける。


「……? カミラ様の仰っていることの意味がわかりませんが」

「惚けるだけ無駄よ。調べはもうついてるんだから。まあ、落ち目のリットンに、貴方ただ一人だけが縁談の話を持ちかけていたという話をレイスター伯爵から窺った時点で、わたくしからしたら調べるまでもなくわかっていた話だけれど」


 これ以上の抵抗は無駄だと思ったエリアは、歯噛みしたい衝動を堪えながらもカミラに訊ねた。


「つまりは、リットン様に用があってきた――ということでしょうか?」

「半分アタリで半分ハズレよ。わたくしはただリットンに伝えに来ただけ。騎士団長退任の日に、わたくしがお父様に頼んで提案させてもらったを催すことが決定したことを。だから、わざわざあんな情けない男と顔を合わせる必要なんてないの」


 カミラがリットンではなく自分を訊ねてきたのはそういうことかと、エリアは得心する。

 同時に、彼のことをどこまで貶めるカミラにどうしようもないほどの憤りを覚えるも、どうにかこうにか抑えつけ、表情一つ変えることなく話を続ける。


「とある趣向とは、いったいどういったものなのですか?」


 カミラは得意げな笑みをつくると、今の今まで会話をただ黙って聞いていた騎士服の男を視線で示した。


「そこの彼――オルソンは次期騎士団長にして、わたくしの婚約者でもあるの。そのオルソンとリットンを決闘させることが、わたくしが考えた趣向よ。リットンがただ騎士団長を退任するよりも、皆に代替わりを印象づけることができる素晴らしい案だと思わない?」

「それは……リットン様が勝った場合は、逆効果にしかならないと思いますが」

「リットンが勝つ? ぷっ……ふふ……あははははっ! エリアさん、貴方何も知らないのねぇ!? オルソンはねぇ、模擬戦でリットンに一度も負けたことがないくらいに強いのよ! リットンが勝つなんてあり得ないわ!」


 カミラの言葉が信じられず、ついオルソンを見やってしまう。

 視線を意味を察したオルソンは、申し訳程度に謙遜した物言いで答えた。


「一度も負けたことがないというのは語弊がある。最近は負けた記憶が全くないというだけで、俺がまだ新米だった頃は、リットン騎士団長には一度も勝てなかったからな」


「全く」という部分だけが、やけに語気が強かったことはさておき。

 エリアは、どうしてカミラが、リットンとオルソンの決闘を仕組んだのかを理解する。

 婚約者のオルソンを引き立てようという思惑もあってのことだろうが、それ以上に、リットンをとことんまで貶めたいという彼女の下衆な意図が透けて見えていた。


「とにかく今の話、ちゃ~んとリットンに伝えておいてね」


 それだけ言い残すと、カミラはもうここに用はないと言わんばかりに踵を返す。


「とはいえ、最早伝える必要もないかもしれないがな」


 言いながら、オルソンはエリアの左後方――玄関広間に伸びる廊下の蔭に視線を送る。

 その視線が意味するところをエリアは理解するも、頭に「招かれざる」が付く類とはいえ、来客を最後までちゃんと見送らないのは貴族の娘としては不調法もいいところ。

 なので、しっかりとカミラとオルソンを見送ってから振り返り、廊下の蔭に向かって話しかけた。


「リットン様。カミラ様とオルソン様はもうお帰りになられましたよ」


 名指しすると、自嘲めいた笑みを浮かべたリットンが廊下の蔭から姿を現す。


「情けない男だと思わないか? かつての婚約者と部下を前にして、こんなところにこそこそと隠れているなんて」


 自嘲を通り越して自傷じみてさえいる言葉にエリアは胸を痛めるも、だからこそ、きっぱりと彼の言葉を否定した。


「いいえ、思いません。真に情けない人は、情けない自分を当たり前だと思っている人のこと。今のリットン様のように、わざわざ人に訊ねたりなんかしません」


 断言するエリアに気圧されたのか、リットンは決まりが悪そうに口ごもる。

 そんな反応とは裏腹に、どこか救われたような顔をしながら。


「お話は、どこから聞いていたのですか?」

「君が、とある趣向が何なのかをカミラに聞いたあたりからだ」

「それは……確かにオルソン様の言っていたとおり、伝える必要がなさそうですね」


 やはりというべきか、オルソンは隠れていたリットンの存在に気づいていたのだ。

 どういう理屈で気づいたのかは、エリアには皆目見当もつかないが、次の騎士団長に任命されるだけあってオルソンが只者ではないことだけを思い知らされた心地だった。が、思い知らされてなお、あえてリットンにこう言う。


「これはチャンスですよ、リットン様。決闘でオルソン様を下せば、国王様や大臣の御歴々が、リットン様の退任を思い直すかもしれません」

「確かに、可能性はあるかもしれないが……無理だ。君も聞いていただろう? 私がオルソンに勝てていたのは、あくまでも彼がまだ新米だった頃の話。すっかり力をつけた今となっては、私など彼の足元にも及ばんよ」

「そのことなんですけど……リットン様、オルソン様に勝てなくなったのは、カミラ様と婚約を結んでからだったりしませんか?」


 いまいちよく憶えていないのか、リットンは顎に手を当てながら考え込み……自信なさげに答える。


「そうだったような気がする」

「なら大丈夫です。リットン様がオルソン様に勝てなかったのは、カミラ様に自信をへし折られた上で、心も体も疲れ切っていたせい。だから、ちゃんと休んで万全の状態で決闘に臨めば、リットン様が負けるわけがありません。わたくしが保証します」


 大丈夫な要素なんてどこにもないし、リットンが負けるわけがないなんて何の根拠もないし、自分の保証なんて何の意味もないことはわかっている。

 それでもエリアは、きっぱりと断言した。

 ただリットンに前を向いてほしい――その一心で。


「……さすがに、戦いに疎そうな君の保証を得たところで、勝利が確約されるとは思えないが……」


 わかりきっていたことだが、いざ言葉にされるとそれなり以上にショックだったので、つい落ち込んだ表情をしてしまう。


 だが、


「不思議と、やれるだけのことはやってみようという気にはなった。ありがとう、エリア嬢」


 真っ直ぐに、こちらの目を見て礼を言ってくる。

 これならきっと大丈夫――そう思ったエリアは、しばしの間見つめ返すも、


「ど、どういたしまして」


 期せずしてリットンと見つめ合っていることに気づいてしまい、慌てて視線を逸らしてしまう。

 そんなエリアの反応を見て同じように気づいてしまったのか、リットンも慌ててこちらから視線を逸らした。


 気まずいようで、妙に心地良い沈黙が二人を包む。


 それからどのくらいの時間が経った頃だろうか。


 リットンはこちらから視線を外したまま、こんなお願いをしてきた。


「君さえ良ければだが……オルソンとの決闘の際は、私の応援に来てくれないか? そうしてくれたら、私としても心強い」


 望外の申し出に、エリアは思わず振り返る。

 こちらを見ようとしないリットンの耳に朱が差し込んでいることに感極まりながらも、嬉しさを隠そうともしない声音で答えた。


「わたくしで良ければ喜んで!」

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