第02話 祖父江の期待

 亮太からの連絡は、球団の会長であり、同時に日本の経済と政治に大きな影響を与える、日本有数の経営者、祖父江が会いたがっている、というものだった。


「思ったよりも目を付けられるのが早かったなあ」

「ですが、本当に優秀な人なら、自分たちの配下に変わったことが起きていれば必ず気づきます」

「そうだよ。むしろ遅いぐらいじゃない?」

「お姉様、規模がわたくしたち傭兵団の千倍以上あるのですよ。注目を集める相手とはいえ、さすがに管理しきるのは無理ではないですか?」


 渡の相談相手は自然とマリエルたち奴隷になった。

 下手に日本の知り合いに相談すれば、それだけ話が漏れる恐れも大きくなるし、祖父江への先入観が邪魔をして、判断が変わってしまいかねない。

 マリエルは次期領主として教育を受けていたし、エアとクローシェも傭兵団の団長の娘だ。


 三人とも渡よりも年下だが、人をまとめる役割を頼んだら、よっぽどうまく熟してくれるだろう。


「遠藤さんについて、ご主人様は、どのように考えていられるのですか?」

「特になにも。俺を紹介したのを気にしていたけど、別に契約内容について話したわけじゃないみたいだしね」

「最低限の守秘義務は守ったわけですね」

「そうだね。向こうも突然交渉の打診をするより、知り合いを間に噛ましたいと思うのも普通のことだろうから、亮ちゃん自体には悪感情は抱いてないよ」

「問題はどこから情報が漏れたのかだよね。口の軽い奴ってどこでもいるから」

「エアたちの仲間にもいたのか?」

「ううん。そういうやつはすぐに大切な情報には触れさせないようにするし」


 意外と厳しいんだな、と渡は驚いた。

 だが、情報が命を左右する傭兵なら、それも当然なのかもしれない。


 エアの話には、濁していたが続きがある。

 組織全体に危害を加えかねない者は、他の分野で貢献できないと、損耗率の高い最前列に配置されるようになっていた。

 命を懸けている以上、彼らはとてもシビアな判断を下さざるを得なかった。


「あるいは具体的な内容については知らない可能性もあるけどな」

「そんなことがありえますの?」

「そりゃ、自分の所の選手が次々に回復してたら、興味を抱くだろう」


 祖父江が最先端医療に投資しているのは、度々ニュースでも報道されているぐらいには、よく知られた話だ。

 もともと強い興味を抱いている分野で珍しいことが起きれば、注目しておかしくない。

 具体的な方法は分からなくても、それこそ自分が、知人が治療を受けたいなどと言って、渡にたどり着く可能性はあり得た。


「問題はそこよりも、どういう話になるか、どういう交渉をすればいいかだなあ」

「本人や、販売先の紹介の範囲なら受けても良いのではないですか?」

「それはそうだな。守秘義務の重要性は一番理解しているだろうし、紹介してくれる人も、身元のしっかりした人に限定されるだろうし」


 話の内容がそれだけなら、何も問題ない。

 だが、創薬に一枚噛みたい、という投資としての相談なら、話は変わってくる。

 渡は憂鬱な気分で溜息を吐いた。


「現時点ではどれほど良い条件を提示されても、受ける余地がないんだよな」


 まだ再現性がまったくないのだ。

 異世界と行き来できることを秘密にしておきたい以上、交渉の余地は一切なかった。


 〇


 一台の車が大阪の街を走っている。

 黒塗りの高級車は祖父江の会社が持つ数少ない社用車だ。

 ピカピカに磨き上げられた車内には、会長である祖父江が後部に、運転席に秘書の綿部が、そして助手席には警備の男が座っている。


 ぜひとも直接会って話がしたい。

 祖父江の申し出に対して、渡たちは自分たちの本拠地である喫茶店にまで来ることを求めた。

 わざわざ出向くまでもない、という強気の態度にも思えるし、自分の投資に魅力を感じていない様にも思える。

 なんとも勇ましい態度だと、祖父江には好印象を抱けたのだが、部下は違うようだった。

 車を走らせる綿部は不満そうだった。


「ふふふ、これまで私も色々な工場などに出向いたものだし、店舗にも赴いたものだが、自前の喫茶店に招かれたのは初めてだな」

「堺は製薬関係なのですよね。なぜ喫茶店を経営しているのでしょう」

「本人は趣味のつもりかもしれないし、実は秘密の製薬工場なのかもしれないぞ?」

「そんな馬鹿な……。それじゃ麻薬じゃありませんか」

「魔法の薬でマヤクなのは間違いないな」

「……会長が貴重な時間を割いてまで会う価値があるのでしょうか?」


 言葉遊びにも綿部の機嫌は直らない。

 綿部の質問とも言えない愚痴に、祖父江は断言した。


「ある。起きている現象を考えれば、数兆円、いや、数十兆や百兆円規模の価値があってもおかしくないと私は考えてるよ。創薬の革命が起きるかもしれない」

「本当にそんな都合の良い薬がありえるんでしょうか。それも大手の製薬会社ではなく」

「今時、大手の製薬会社がどれだけ創薬をしてるのか知ってるだろう。共同開発と言えば聞こえは良いが、ベンチャー企業が開発して、成功のあてのあるものを大手製薬会社が臨床試験に向けて環境を整える。まあそれだけコストが割に合わなくなってきている証拠だけどね」

「……そうでしたね」


 祖父江の声には熱が帯びている。

 一代で巨万の富を得た祖父江は、資産への興味は今やほとんど薄れてしまっている。

 それよりも新たな時代を開拓するベンチャー精神こそが情熱の矛先になっていた。

 投資家としての活動は、経済的にも、自身の生きがいとしても自分に合っている。

 だからこそ、渡の持つ薬への期待は高かった。


「会長、到着しました」

「ありがとう」


 祖父江はスーツの襟を正した。

 自分がどれだけ偉くなっても、ただ偉ぶるだけでは人はついてこない。

 姿勢を正し、胸襟を開き、誠実な態度で交渉に及ぶ。


 一体どんな情報が出てくるのだろうか。


 遠藤亮太の知り合いのようだが、なぜ野球選手を中心に薬を販売しているのか。

 他の有名人や資産家ではダメなのか?

 そもそも認可は受けているのか?

 他の製薬会社の手は伸びていないのか?


 気になる点や、突けば交渉に有利になりそうな疑問点がいくつかすぐに思い浮かぶ。


 場合によっては全面的な投資で傘下に収めてもいいし、一部の株式の保有に留めてもいい。

 硬軟を織り交ぜて、柔軟に対応しなければならない。

 とにもかくにも、ヒトとモノを見極めることが第一だ。


 かつて、祖父江自身も、インターネットや携帯電話といった通信業界で世界を変えた一人だった。

 時代の最先端を掴んだことで、一代にして莫大な富を手に入れた。


 遺伝子を標的とした抗がん治療や、造血幹細胞を用いた軟骨や半月版の培養移植など、医業にも遺伝子治療をはじめとした、新しい波が来ようとしている。

 ヒトの遺伝子を直接編集するクリスパーなど、夢のような技術も実用化されようとしている。

 ただ、大量生産が難しかったり、コストが高くつきすぎたり、あるいは細胞障害性があったりと、大きな壁を乗り越える必要があった。


 渡のもたらす治療もまた、新時代に欠かせない薬になりえる。


 らしくもなく強い高揚感を覚えて、祖父江は喫茶店のドアを開く。

 天使を象ったカウベルが祝福するように鳴り響いた。


――――――――――――――――――――――――

今回の更新で45万字を超えたそうです。

薄めのラノベだと4冊分ですね。(川上稔先生だと2冊ちょっとかな)


そして、もうすぐ作品フォローが9000人を突破しそうです!

良かったら紹介や拡散などしてもらえると助かります!


なにせ現代でファンタジー要素を広める作品が珍しく、より多くの方に読んで欲しいと常々思っています。そして私自身が読みたいので、もっと流行ってほしいです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る