第38話 販売拠点

 先日、渡は食品衛生責任者の資格を取得した。

 これは喫茶店の経営を目的にしているからだ。

 異世界で販売する砂糖や珈琲、膨らまし粉、クッキーやチョコなどのお菓子といった物を仕入れるのに、店舗を経営しておくのは都合が良かった。

 また、ポーションの販売場所を定めるのにも便利だ。


「これまではいちいち貸しスタジオとかレンタルスペースを利用してたけど、本拠地がある方が良いよなあ」


 匿名性の確保という点では劣ってしまうが。


 渡としては家とお地蔵さんの近くに居抜き物件が見つかることを期待していた。

 元々の内装のほとんどをそのまま使えるうえ、エアコンや調理器具まで残っているケースもあるためだ。

 開業資金を大幅に抑えられるというメリットがある。

 インターネットで検索した場合には、家賃は下が十五万円ぐらいから、上は一等地で五十万円ぐらいの物件があった。


 喫茶店としての儲けは狙っていない。

 よく創作に存在する、客がほとんどいないのになぜか営業を続けている喫茶店、あのような感じで細々と続けたい。


 というか、ポーション販売の客層を考えると、一般客がたくさん来店している状況はあまり望ましくなかった。

 スポーツ界、芸能界の有名人が頻繁に訪れるような店だ。

 一般客が騒いでしまえば、元々の目的が達成できなくなってしまう。


 渡は資格を取得した日から、不動産会社に条件を伝えていた。

 だが、しばらくこれといった連絡はなかった。

 渡が王都に旅行に行っていた間も、着信やメールがなかったために、難航していたのは間違いない。

 そうそう都合よく見つかるわけがないか、と渡が仕方なくスケルトンからの開業を考え始めた頃に、ようやく待望の連絡が届いた。


「……はい、物件の方見つかりましたか! 早速内見させてもらいます」

「少し裏通りになっておりますので、当社から車でご案内さしあげましょうか?」

「いえ、一度自分の足で駅からどれぐらいの距離か確かめたいので、お時間を合わせていただいたら、徒歩で行かせてもらいます」

「承知いたしました。さっそく住所の方を送らせていただきます」


 メッセージアプリに場所が早速送られてきた。

 渡はポーション販売の予定が入っていない日を改めて、内見の日程が決まった。

 異世界だけでなく地球でも自分の拠点が持てると分かると、ワクワクとしてくる。


 渡の高揚が伝わったのか、電話を聞いていたマリエルたちが話しかけてきた。


「ご主人様、以前言ってた店舗のことでしょうか?」

「ああ、良い物件が見つかったみたいだ」

「苦労して資格を取られていましたから、良い場所が見つかると良いですね」

「そうだな」

「主、アタシも見に行っていい!?」

「わ、わたくしも同行しますわ!」

「うん、良いか。ただクローシェは今回も帽子を被っててもらうぞ」


 変身の付与が二人分揃っていない現状、こればかりはどうしようもない。

 彼女たち獣人にとって、耳や尻尾を隠すのは身体能力を十全には発揮できないらしく、不満も溜まるだろうが、今は我慢してもらうしかなかった。

 はやく次に手に入れる機会が訪れてほしいものだ。


 〇


 仕事をこなして数日後、まだ暑さが厳しく、鰻を食べたからといってすぐさま夏バテが治ったわけではない渡は、汗を拭いながら家から歩いた。


 指定された場所は天王寺駅の南東。

 裏通りに入って商業地域を離れた場所にあった。

 人通りは一気に減り、駅近くの交通量の多さを期待することはできない場所だ。


 看板もひっそりとしていて、ぱっと見て喫茶店と分かりづらいそれが、今回の目的地だった。

 店の前には不動産会社の車が寄せて止められている。


「すみません、大勢で押しかけちゃって」

「いいえ、ぜんぜん結構で……す、よ……」


 賃貸会社の営業が、渡からマリエルたちに視線が移るにつれて、言葉を失っていく。

 その眼が一瞬にして彼女たちに魅了されているのが分かって、渡は誇らしい気持ちになった。

 一緒に暮らして毎日顔を見ている渡でも、度々見惚れてしまうのだ。

 初見ならなおさら衝撃的だろう。


「彼女たちも一緒に働くので、ぜひ一度内装を確認していてもらいたいんですよ」

「も、もちろん大丈夫です。こちらですね、ご案内いたします」


 営業の男が妙に張り切って、扉の鍵を開けた。


 店内は暗かったが、すぐに電気が灯され、明るくなった。

 思った以上に広い喫茶店だった。


 入ってすぐにレジ、その奥にカウンターがあり、五つの椅子が並ぶ。


「四人がけのテーブル席が多いんですね」

「こちらの店舗は個人のお客様よりも、複数人での利用を主にしていたのでしょう。テーブルが六つ、カウンターは五人で最大二九人の収容人数が可能です」


 収容人数は多いが、二人で座ったり、カウンター席が埋まっていればテーブル席に一人で利用することもあるだろう。

 そう考えると、一杯の利益が少ない喫茶店では、回転率が悪くなってしまう。

 ゆったりとした時間を楽しみ、客同士の会話が盛り上がるのは良いが、経営として考えた時は儲けが減ってしまう。

 まあ喫茶店として儲けるつもりのない渡からすれば、大きな欠点にはならない話だが、マトモに稼ごうと思えば苦労するだろう。


 居抜き物件の良さはコストの削減だ。

 だが、同時に内装がすでに決まっていることで、動線が悪かったり、気に入らない部分があっても変えづらい、という問題があった。


 また、経営不振が原因で退去している場合、経営者の力量による変化はあるだろうが、それ以外の地理的な条件、内装や業態など、同条件となることで不利になってしまうという問題もある。


 営業の案内で店の中を歩く。


「トイレとスタッフルーム、こちらは珈琲豆の保管場所と焙煎機もあります」

「うーん、焙煎室はともかく、トイレは新しいのを入れて、スタッフルームも少し拡張したほうが良さそうだな」


 内装を確認すると、気に入らない部分も当然出てきた。

 その辺りは内装屋を呼んで工事をしてもらうことになるだろう。


 とはいえカップやソーサ、スプーンといった食器も揃っていれば、焙煎機まで備えられているのは破格の条件だ。


「こちらが裏口ですね。といっても通り抜けられるだけで何もありませんが」

「タオルとか干してたんでしょうか。あとは室外機か」

「もともと経営者の方が高齢化していたことに加えて、コロナの外出自粛で来客が大幅に減ったことで、手放すことを決めたみたいですね」

「なにか気づいたことはあるかな?」

「……主様、わたくしから一点よろしいでしょうか?」

「なんだ? 何か気付いたなら遠慮なく言ってほしい」

「それでは……」


 すぐさま声を上げたのはクローシェだ。

 意外な人物の意見に面白く感じていると、クローシェは颯爽と動き始めて、手洗い場に移動した。

 少し狭くて、工事を必要としていると感じていた場所だ。


「ここの手洗い場、水漏れがしているのではなくって? わたくしの鼻にカビの臭いがして堪りませんわ」

「な、なんですって。どこにもそんな情報は……」

「アタシも分かるよ。ここだね」

「たぶん壁紙をしているから分からないんでしょうけど、この天井部分ですわ」

「先ほどの案内で、水漏れについては一言もありませんでしたが、把握されているんでしょうか?」


 飲食店で水漏れは衛生管理としてかなり問題だ。

 案外、売上の問題だけでなく、そういった点も営業に支障を及ぼしていたのかもしれない。


 意外な指摘を受けた営業の男は目を剥いて慌て、すぐさまスマホを取り出した。


「か、確認してみます!!」


 店の外に駆け出て、通話を始めた姿を見守る。

 知っていたのか、知らずに紹介していたのか。

 この調子なら別の場所を契約するか、あるいは家賃の減額を条件にすることもできそうだ。


「あれ、知ってたと思うか?」

「どーだろ。慌ててたのは確かだけど、予想してない指摘で慌てたのか、隠してたのがバレて慌てたのか、アタシには心音とか臭いじゃ分かんなかったな」

「わたくしは隠していたに賭けますわ。あの男、この店を紹介しながら、どこか焦ったような臭いをさせていましたもの」

「契約を成立させていくらっていう業態だとはいえ、嫌な仕事のやり方だなあ」


 不動産会社は色々とブラックな手法も話に聞く業態だ。

 今の渡の仕事は人から感謝されつつ、大金も手に入る。

 営業も騙したくて騙しているわけじゃないだろうが、馬鹿正直だとなかなか契約できないだろうし、因果な商売だな、と思えた。


「ひとまず、クローシェはお手柄だったな。よく言ってくれた。ありがとう」

「ふ、ふん。当然ですわ!」

「そうか、当然か。褒美にお小遣いか美味しい肉でも買おうと思ってたが、後日にしようかな」

「そ、それとこれとは別ですわ!! わ、わたくしお肉が食べたいですの……!」

「ははは、そうか。じゃあ帰りに肉屋に寄ろう」


 この契約がどうなるにしても、良い働きには報いたい。

 渡は笑って、肉を買うことを約束した。


 その後、渡は雨漏りの修繕工事を行ってもらうことと、家賃の減額を条件に契約を交わすことにした。

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