第34話 王都への船旅
目の前で交通事故を目撃した渡は、その衝撃がしばらく抜けなかった。
全身をガチガチに緊張させて裏通りを走り、ようやくお地蔵さんの前に到着できたときには、全身にずっしりとした精神的疲労を感じる。
鉄の塊を超高速で移動させているという自覚が足りないんじゃないか。
年寄りでまともに運転するのも危ういんだったら、免許を返納しろよ。
国ももっと認知能力とかの検査を徹底したら良いんだ。
言いたいことはいくつもあった。
ただ、渡にはそれよりも正体がバレないか。
あるいはポーションの存在がバレないかの方が今は重要な懸念だ。
変身の装身具は魔術的な作用によるものか、人の認知を歪めるだけでなく、カメラや鏡といった光学的な欺瞞もしてくれる。
そう考えるとバレる要素は極めて少ないのだが、同時に直接的な接触にはとても弱いという弱点も抱えている。
あるいはエアのような超感覚の持ち主の場合、なんとなく違和感を感じ取られるというケースもなくはない。
また姿は誤魔化せても、声や身振り手振りの癖などは、渡の場合変えられない。
助けた少女自身に意識が残っていたとすれば、見た目との違和感に気づく可能性はゼロではなかった。
とは言え、変身の装身具には多方面で驚くほど役に立っている。
もはやこれ抜きで活動することが考えられないぐらいだ。
「あの女性は何だったんだろうな……」
「ご主人様、どうかされましたか?」
「ああ、いや。この変身の装身具を売ってくれた人の店が、一瞬にして消えたことがあっただろう」
「あれは不思議な体験でしたねえ」
「エアはなにか気付いたことはなかったか?」
「分かんない。アタシにはごく普通の女に思えてたから、驚いた」
「無茶な質問かもしれないけど、不思議な気配とかって感じられないものなのか? ほら、魔術師っぽいとか」
「分かる。アタシは魔術は使えないけど、対策は知ってるし、魔術師かどうかの区別はつく」
だとすれば、なおさらエアの観察力でも見抜けない能力は、よくよく考えるとかなり怪しい。
だが敵対的というよりも好意的で、買ったものが不具合を起こすということもない。
なんとなく作為めいた出会いを感じる。
あらためていつかお礼を言いたいと渡は思った。
ともかく今はできることをやるだけだと意識を切り替える。
せっかくの王都観光を前に、悩みを抱え続けたくはない。
おまけにこれから砂糖を大量に運んで、ウェルカム商会に顔を出して在庫補充と料金の回収まで行わなくてはならない。
かなり忙しいのだ。
「これで荷物は全部運べたかな。エアはご苦労だったな」
「重たくはないけど何度も往復するのは面倒くさいよね。この車? でそのままゲートを潜れたらいいのに」
「いや、それは流石に騒ぎになるだろ。台車を押して通れるだけ助かってるよ」
「馬車と似たようなものだって見逃してくれないかな?」
「ふふふ、それは無理でしょう。でも私もやってみたいわ」
「注目を浴びて楽しそうだな。よし、エアはよくやってくれたし後で肉の串焼きでも買うか」
「おっ、ありがとー、主」
よく働いてくれたなら、それに多少は報いてあげたい。
コロッと機嫌を良くしたエアに抱き着かれる。
ふにふにの谷間に腕を挟まれ、ふわっと甘い香りに包まれた。
このあたりのスキンシップはエアは頻繁にしてくるが、いまだに渡は当たり前に感じられない。
つい、毎回のようにドキッとしてしまい、それをエアに見透かされていた。
まあ、渡が興奮したり、目線が胸やお尻に行っているのがバレているのは、昨日今日の話ではない。
手玉に取られているようにも感じるが、諦めるしかないのだろう。
ウェルカム商会に砂糖をお届けして、現金を受け取った。
今回は間が空いてしまい、一度に大量の在庫を補充したということで、金貨が五百枚にもなってしまった。
正直な所、これだけ多くの硬貨を抱えるのは重たいし嵩張るし、数えるのも大変だしで、紙幣のありがたみを強く感じた。
五百円玉ぐらいの大きさで、比較するとかなり重たい硬貨を五〇〇枚も持つのだ。
こちらでは布袋に入れて持ち運んでいるが、コインケースを持ちたくなった。
いつものように財布の番をするのはエアの仕事だ。
彼女から掏りを働ける人間がいるとは思えない。
渡が持ってふらふらと歩くよりもよっぽど信頼がおける。
渡は歩きながら、コインケースについて真剣に考えてみる。
金貨の大きさや金の使用割合などは定められているはずだから、実際に作ってみてもいいかもしれない。
大量のお金を扱う組織なら、どこでも数えるのに重宝するだろう。
知ってしまえば当たり前の道具も、意外と思いつかないものだ。
アイデア商品に限らず、たとえば洗濯板の発明は大正時代。
ボタンもまともに普及したのは、十二世紀から十三世紀と言われている。
それまでは帯や紐で括って留めていたのだ。
こういった商品開発は渡がひいこら言いながら作るよりも、外注するに限る。
百個単位、千個単位なら製造してくれる製造工場もあるはずだ。
心配なのは、類似品が出回ることだが、精度や軽さ、なによりも最初に大量受注から大規模に売りさばいてしまえば、偽物をわざわざ買うものも少なくなる。
新しい儲けの種ができたと喜びながら、渡は南船町を川に向かって歩いていった。
途中でマンガ肉の串焼きを堪能した後。
これから船に乗って王都に向かう直前、渡は奴隷商の店に来ていた。
「主、これから奴隷商にところに行くの?」
「そうだが、どうかしたか?」
「も、もしかして、アタシたちに飽きちゃった……?」
見てみればエアがビクビクとしている。
急に消沈したような態度で、おどおどと渡を見上げていた。
「エア、奴隷の私たちが、十分に貢献できなかったのです。新しい奴隷を購入させて、寵愛されても、恨んではいけませんよ」
「う、うん……」
「ちょ、ちょっと待て」
急にとんでもない話になりだしたな!?
渡の予想外の話の成り行きに驚いていると、マリエルが気丈にも口元には微笑を浮かべながら、はらはらと涙を流し始める。
「それとも、私たちは不要になって売り払われるのかもしれませんが……」
「やだー! アタシもっと頑張ってお仕えするから、どんなエッチな命令だってちゃんと聞くから、売らないで!!」
「売らないよ! 急に何を言い出すんだ!」
「どうかもう少しだけチャンスをいただけませんか、ご主人様」
「違う違う、売る気なんてないし、ちゃんと満足…………なんだその顔は。お前ら、もしかして俺をからかったのか!?」
慌てて意図を説明しようとした渡は、マリエルとエアがニマニマと笑っていることに気づいて言葉に詰まった。
ちくしょう、思いっきり騙された!
本当に売ってやろうか、とは思えないぐらい情が移っているのが悔しい。
こうなったらとことん卑猥な命令でもしてやるからな。
覚えとけ。
この店に来たのは、エアのためにモイー男爵への紹介状を書いてもらって以来だ。
あの時はとても世話になったので、最初にお礼を述べる。
「あらん。お久しぶりね」
「お世話になっています。エアのために紹介状を書いていただいて、ありがとうございました」
「上手くいったようね。顔を見ればすぐに分かるわ」
「おかげさまで。エアも万全の状態になりました」
「それで、今日は新しい奴隷をご所望かしらん?」
「ええ。ただ条件が結構厳しいかもしれないんです」
「聞くだけ先に聞いておくわね。どういう奴隷を希望するの?」
「急性や慢性ポーションを作れる薬師か、魔術師の奴隷です」
渡の要求にマソーは難しい表情を浮かべた。
もとより専門職の奴隷ということで、難しいかもしれないと予想していた渡だが、事前の予想以上に難題なのかもしれない。
「あー……それは、本当にかなり珍しいわね。普通は奴隷になるようなことがないもの」
「やっぱりそうですか」
「ええ。基本的によっぽど腕が未熟か商売下手でもない限り、潰れることのない職だから。奴隷に落ちるとしたらレアなケースになるわよ。それならフリーの人材を探した方が良いのでは?」
「そんな人がいるんですか?」
「ええ。ギルドに所属するにも会費が払えないとか、枠自体が空いてないなんてこともあるわ」
「枠が空いてない?」
「客の取り合いになるでしょう? だから街によって在籍できるギルド員の数には制限があるのよ」
日本でもほんの少し前までは、酒屋や煙草屋は過当競争を避けるため、許可を取るのが非常に難しかった。
コンビニエンスストアが酒や煙草を取り扱うために、煙草屋や酒屋の跡地に営業するケースもよく見られた。
現代においても酒屋や煙草屋、その他にも衛生管理の問題から銭湯といった業種は、直線距離ごとの制限がかけられている。
それと同じように、過当競争を防ぐためにギルドが制限を課しているのだろう。
せっかく技能を収めても独立するには、定員が空くのを待つか、あるいは火事やモンスターの襲撃といった災害で人手を求めている街に移住する必要があった。
親方は自分の子供や愛弟子に後を継がせたいだろうし、独立する職人はなかなか大変だ。
そういった説明を聞いた渡だったが、それでもできれば奴隷が欲しいと思った。
奴隷契約を結ばないと、異世界を移動する秘密を話すのはかなり勇気がいる。
日本で作った薬草でポーションが作れるのか?
あるいは異世界の人々が地球に来て、魔術が使えるのか。
奴隷を使って知りたい、試したいことは山のようにある。
「時間がかかっても構いません。見かけたらキープしてもらえませんか?」
「分かったわ。他に何か条件はあるかしら?」
「ご主人様、借金や家族などの累罪はともかく、本人が罪を犯した者を購入するのは止められた方が良いかと。どのような薬を作るか分かったものではありません」
「それはそうか」
「ますます厳しい条件ね……。分かったわ。できるだけ希望に沿えるように探してみるけど、高くつくのは間違いないわよ?」
マソーの言葉に、渡は自信を持って頷いた。
今なら大抵の金額ならなんとかなる。
せっかく稼いだ大金なのだ、より次につながる使い方なら、ドンと使いたい。
「お金に糸目はつけません。ぜひ素晴らしい人材を探してください」
一度はこういう言葉を言ってみたかったのだ、と渡はひそかに満足していた。
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今回は先につながる下準備と以前にあった謎の再確認の回でした。
結局商人の女、尾行していた探偵は何者か? 地球でポーションは作れるのか?
宮崎医師は? 資格を取った後はどうする? などなど色々な謎を巡らせておりますが、ちゃんと今後伏線を回収していく予定です。その日を楽しみにお待ちください。
あと、24万字、80話、4900フォローになりました。
ここまで続けていられるのも、応援いただいてる皆様のおかげです。
ありがとうございます。
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