第30話 尋問

 騒々しいゲームセンターと比べて、ビルの奥にあるそのトイレは利用者が少ない。

 人が来て面倒なことになる前に、静かに、素早く、目的を達成しなければならない。

 個室に押し込んだエアは、その目に氷のような冷たい意思を宿して、眼前の女を見据えた。


 尾行をしていた集団の一人、その女は三十代ほどだろうか。

 便座に座らされた今は、顔を青褪めさせて、唇をわなわなと震わせていた。

 視点が定まらず、どうしてバレたのかと目まぐるしく考えを走らせている。


(密偵にしては肝の弱い……)


 エアにとって、密偵とは命がけの仕事だ。

 見つかってしまえば命を奪われるだけでなく、あらゆる尊厳を剥脱されてもおかしくない。

 それだけ覚悟ある者・・・・・がやっている印象があった。

 余計なことを考えさせないように、顔に平手を入れた。


「キャッ!? や、止めてください! 何をするんですか!」

「尾行をしていたのは分かってる。お前はこっちの質問に答えていればいい」

「び、尾行? 知りません。なにか勘違いじゃないですか?」

「間違いはない。家から複数人が交代で後を尾けていただろう。五人……いや、六人? もっと?」

「知りません。っていうか、あなたは誰なんですか?」

「そう、六人ね」


 女はなぜ断定できるのかと、表情をほとんど変えずに驚愕していたが、エアには総てが筒抜けだった。

 不安や恐怖から分泌されるアドレナリンなどのホルモンバランスの変化や発汗量の急激な増大、血圧の低下と脈拍の急増、心臓の脈打つ速さ。

 臭いや音は、その人の心理を明確に表している。

 エアに隠し事は通用しない。


「聞いているのはこっち。お前はアタシの言うことに答えたらいい。依頼人は誰か、目的は何か言え。素直に言えば乱暴はしない」

「知りません……あ゛ぐっ!? ~~~~~~!!」

「素直に言えるようにしてあげる」


 女が悲鳴を上げようとして口を大きく開いたが、その声が漏れることはなかった。

 エアが女の口にハンカチを押し込んだ直後、手が閃いた。

 エアの手が女の両肩関節の裂隙に触れると、一瞬にして上腕骨が脱臼し、カコッと僅かに骨の外れる音が響いた。


 腕がだらりと垂れ落ちて、ぶらぶらと揺れていた。

 ただでさえ青褪めていた女の顔色が、漂白された紙のように白くなる。

 ハンカチを思いきり噛みしめていたが、そうでなければ叫び、歯を噛み割っていたかもしれない。


 女にとって一番の予想外だったのは、エアに拷問に対して躊躇する理由がなかったことだろう。

 異世界においてはポーションの存在もあって、拷問に対しての敷居は限りなく低くなっている。

 おまけに戦場で、あるいは闘技場で数多の戦士を死に送ってきたエアにとって、この程度・・・・・は大したものではない。

 むしろ嵌めてしまえば使える脱臼で済ませているあたり、これでもかなり配慮しているつもりだった。


 女からすれば、いきなり関節を外してくる、頭の線が一本切れた、触れてはいけない犯罪やくざ者。

 両者の認識には埋めがたい隔たりがあった。


 エアがハンカチを強引に剥ぎ取った。


「こっちが躊躇すると思った? これでちょっとは口が軽くなると良いんだけど。次は――」

「は、話します! い、依頼人は知りません。ほ、本当に知らない、知らないんです。信じて、お願いします……」

「何も聞いてないの?」

「はい、はい。本当です。ただ上司に誰と会ってるか、どこに行くのかを調べろって言われてただけです」

「そう」


 エアが少し表情を厳しくしただけで、女は大げさに恐れおののいた。

 このままだと殺される、と本気で考えていただろう。

 ガタガタと体を震わせ、震えに便座が音を立てる。

 すでに心が折れているのは明白だった。


(本当に知らないみたい。一番やりやすそうだったから選んだけど、相手を間違えたかな)


 尾行人が男の場合、トイレに連れ込むのは難しい。

 尋問中に無関係の人間に見つかりたくなかったのだが、リーダー格の男を襲えば良かったかと、エアは失敗を悟り舌打ちする。


「じゃあ、今からお前の飼い主・・・に、この件から手を引けと連絡しろ」

「は、はい。で、でも腕が」

「嵌める。声を出すな」

「んっ!! ぐっ……!?」


(これぐらいで失神するとか。こいつが弱すぎるのかな。それともこっちの人たちの密偵ってこんな物なのかな?)

(忍者とかいう凄腕の密偵がいるって話だけど、素人とほとんど変わんないや……)


 外したのと同じ唐突さで、女の右肩がパコンと関節を嵌められる。

 関節構造を完全に理解したエアの脱臼と整復の技術は、女の肩に損傷をほとんど与えなかったが、それを脳がどう感じるかは別問題だ。

 激しい変化に再び血圧が乱高下し、一瞬目の焦点が失われる。

 ペチペチと顔を叩かれて、ようやく気を取り戻した。


 ステルスアクションゲームで身に着けたエアの知識は、大いに誤解があったのは、女にとって本当に災難だっただろう。

 女は必死にスマホを操作し、通話がつながった途端、一気にまくし立てた。


「社長。私です。お願いします。この件から手を引いてください。わ、私、見つかっちゃって、ひぐっ、う、うぅう、お、お願い、お願いします。それかもう、辞めさせてください」

『急にどうした――』

「――聞いたな。お前たちについてはもう知った。次に接近があったら命の保証はしない」

『ど、どういう』

「切れ」

「は、はい……」


 余計な情報は与えない。

 先の上司の怖さよりも、目の前のエアの方が怖い。

 女は抗うことなく、命令に従った。

 エアが女の持ち物を漁ると、電子機器の類をチェックし始めた。

 この世界でエアが護衛関係で自発的に調べた数少ない知識。

 それが防犯カメラをはじめとした録画、録音器具などの情報収集類だ。


「他に記録媒体は?」

「あ……」

「持ってるな。出せ」

「はい……」


 嘘が通じないことはもう悟っているのだろう。

 女はノロノロとした動きで、胸ポケットに入れていた小型マイクを取り出した。

 手に持っていたスマホ、ボイスレコーダー、小型カメラ。

 エアはそれら全てを、目の前で粉々に握り潰した。

 人間技とは思えない力を見せつけられて、女は自分もまた潰される未来を想像させられる。

 エアが鞄を漁って、財布から名刺を取り出した。


「唐沢探偵、水原ちひろ。これがお前の組織?」

「そうです……。お願いします、許してください。命だけは助けてください。もう二度と私は関わりません」

「この街から出て行った方がいい。次に見かけたらこの程度じゃ済まさないから」

「ヒッ、ヒッ、ヒイッ!!」


 エアが殺気を放つと、女は全身を震わせ、過呼吸を起こした。

 チョロ、チョロロロ、と水音が響く。


 エアの忠告は本気であり、それが女にもハッキリと伝わった。

 次は殺される。

 女が激しく顔を上下に振る。


 もはや、やるべきことは終わった。

 警告に従うならよし。

 まだ続けるなら、その時はエアも徹底的に動くつもりだった。


 最後に女の左肩も嵌めてやり、トイレを出る。


「お前、この仕事向いてないよ」


 俯いて震える女に、エアは心からそう言った。




 この間、時間にして十分足らず。

 トイレから出たエアは、厳しい表情を意図的に緩める。

 そして、その外見を元の姿に戻した。・・・・・・・・・・・・・


 『変身』の装身具を用いた変装術で、別人になりすましていたのだ。

 金色のまぶしい髪を茶色に、肌の白さを黄色人種並みに、顔立ちを、体格を。

 女がエアの正体に気付かないように。


「あー、気分悪いなー」


 尋問など気分が悪い仕事は、エアも好きではなかった。

 特に命の覚悟も決めていないような相手に凄むなんて、以ての外だ。


 強張っていた顔をムニムニとマッサージして、エアは意識的に笑みを浮かべた。

 行こう。

 大切な主人と、共に仕える気心の知れた奴隷のもとに。


「主に甘えちゃおっと! ニシシシ、いっぱいいっぱい甘えて困らせちゃえ」


 あとで尾行について報告しなければならないだろう。

 だが、今は渡とマリエルに、この楽しい時間を、周りに気にせず楽しんでほしい。

 エアは駆け足でゲームセンターに戻った。


――――――――――――――――――――

【尋問】グレート山崎たちにも行ったが、異世界の尋問は苛烈。

最悪肉体的には問題がないが、精神的にやられてしまう者も稀によく出る。

エアは尾行相手にポーションの情報を僅かでも与えないため、今回は未使用で尋問を完了させた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る