確固たるもの
不明瞭な視界を好むのは、火を扱うという祓い屋の負い目から来ており、暗躍はこの生業に不可欠であった。
「それでも、校庭は目立ちすぎませんか?」
彼は不服そうに辺りを見回す。市街地にある学校の校庭で火を扱えば、誰かの目に留まり、通報は免れられない。それでも、今回の一件で求めたのは広い敷地であった。
「最悪、消防車が出動したとしても、その前に事を終わらせればいい」
この一件を大事に見ている私の立場からすれば、太平楽な考えに基づく行動であると言える。だが、目の前の事態について、なりふり構っていられる状況にはなく、大立ち回りに即した広い敷地が何より必要だと強く思ったのだ。
「そう簡単に行きますかね」
感情とは呼応し、惹かれ合い、時には突き放し合う。私が妙に楽観的な振る舞いに興じれば、彼は慎重に身構える。
「なるようになるさ」
私の経験を持ってしても、彼を納得させるだけの材料が見つからなかった。ここまで多大な影響力を持った代物と相対し、計算できる事といったら、自分の生死に関してだけだ。だから私は、この尻尾との距離を測るように燃料を地面に垂らし伸ばし、導火線を作った。
「着けるぞ」
ライターの火を紙切れに移すと、導火線へ落とす。火鼠が走っているかのような速さで火は導火線を辿り、狐の尻尾に火が燃え移るまで、然のみ時間は掛からなかった。
「おっ?!」
警戒していたとはいえ、導火線の火を受け取った狐の尻尾が、爆発じみた勢いで燃え広がって、見上げるほどの炎の塊が距離を取った私達の所まで熱気を運んでくる様に、唾を呑んだ。額に滲んだ汗を拭い、浄化が終わるまで静観していようとしたのも束の間、導火線に灯った火がまるで意志を持ったかのように動き出して、地面を舐めながら此方に向かって来る。
「離れろ!」
私と彼は二手に分かれて、火の誘導を図ったつもりだった。しかしそれは、出し抜けに思い付いた浅ましい考えであった事を程なくして知る。何故ならば、地面を走る火は私達を囲むように大きな円を描いて広がり、更には二つの輪っかを設けて私達の分断を快く受け入れたのだ。
「葛城!」
分厚い火の壁に遮られて、彼の姿を捉えきれず、此方の呼びかけも届いているかどうかも怪しい。無理に飛び込んで彼と合流を図ろうとすれば、身体に燃え移った火で錯乱し、余計事態を悪化させる姿が想像に難くない。
「自分の心配をしたらどうだ?」
不意に、自分の声を火の奥から聞いた。ドッペルゲンガーとはまさに、自己を裏返したような存在である。黒い塊ながら、それが私を投影した存在だと直ぐに悟った。
「出てきたな」
輪郭だけを切り取った影がもし、私の姿をそのまま借りたならば、仕立てた髪型に始まり、ささくれた唇の悩ましさからリップクリームを塗りだして、カラスも目の色を変える金の腕時計がキラリと光るだろう。
「想像しただけで、趣味が悪いな」
「自分のセンスを疑うなよ」
自分の片割れに励まされる奇妙さに苦笑せざるを得ない。
「お前がどうしてそう、派手に着飾るのかは知っているぞ」
影は私を指差して、胸の内を穿つかのような自信に溢れた弁舌でそう言い放ち、火中で肩を抱えて凍えてみせる。
「一人は不安で不安で仕方ない。いつだって人の目に敏感で、飾り立てなければ自己を確立できないほど、意思が薄弱な上、人との結び付きを強く感じる事にやり甲斐を求める祓い屋は、客への依存と変わりない」
息継ぎもなく多言する影の破竹の勢いに圧倒されて、「それは違う」と意見を申した所で戯言のように貶められるだろう。もはや封殺だ。
「友人はいないし、携帯電話の画面にしか笑顔は見せない」
この影は深淵だ。好奇心にかまけて覗いてしまえば、否が応でも自問自答を強制され、鏡と形容するには生易しい。
「だが、もう大丈夫。私に代われ。そうすれば、苦しむ必要もないし、孤独感に苛まれる事もない」
しかし、残念ながら表面をなぞっただけの穀潰しのようだ。
「お前は私じゃないよ、やっぱり。祓い屋を始めて見てきた様々な人の笑顔は、私にとって何よりも幸福だった。お前はどうだ? お前は何を見てきた。私の内側で、私しか見ていない。助けが欲しいのはお前自身だ」
私を取り込もうと近付いてきていた影の期待を裏切って、ライターを再び構える。
「近付いて来てくれてありがとう」
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