後ろ髪引かれて

 スコップが掘り返す土の匂いから、教室で横並びになって、筆を動かしたいつかの彼女の横顔を思い出す。


「なにを書いたの?」


 したためた紙の内容は、個人的な願望からなる秘密にほど近く、世間話のように聴いた俺の軽薄さが憎たらしい。しかし、彼女は嫌な顔一つせず答えてくれた。


「いつもお父さんに髪を切ってもらってるから、将来、私がお父さんの髪を切ってあげようと思って」


 そんな彼女の望みも、不慮の事故で父親を亡くした今となっては、空しく悲しいものになってしまった。子どもながらに経験した葬式は、どれだけ時間を重ねても鮮明に思い出せる。


 苔のようにひしめく喪服の珍重な渋さに面を食らったが、少しずつその顔色に馴染んでいく。声を潜め、愚鈍な振る舞いが雰囲気を壊さないと知った頃、とめどないお経の囀りに顔を伏せた。


 太陽に多く晒した首筋は、いつしか彼女の髪に覆われて、いじらしさが垢抜けた。花開くはずだった来し方の想いは、芽吹くことはない。土の中でただ、腐らせた。この想いこそ、火中へ放って然るべき積年の情念であるはずだ。


「どれだ」


 無作為に掘り返した土の中から、腐食を見越した銀色の箱を見つける。男は懐中電灯でそれを照らして、さっそく物色を始めた。


「代わってもらっていいですか?」


 俺は彼女が願って記した紙を迷いなく掴み取れた。


「これを燃やすんですよね?」


 ハーモニカを炙るのと、紙を燃やすのとでは話が違ってくる。それもこれは、タイムカプセルに入っていた代物だ。今更ながら、疑念がこんこんと湧いてきた。


「まぁ仕方のないことさ」


 仕事としてこの場にいる男からすれば、顧客の希望に沿った、合理的な判断を下せばいい。だが、俺はそうはいかない。


「ほら、貸して」


 ここで人間らしい情念を体現する無意味さに気付いておきながら、男に紙を出し渋ってしまった。


「君の気持ちは分かるよ。でも、元気になった三咲ちゃんを見れば、こんなのただの紙切れ一枚だと腑に落ちるはずだ」


 体よく引き出された男の言葉が紙をさっさと渡すきっかけをくれた。


「ありがとう」

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