第8話 ミミックさん「可愛い」を知る

 戦闘訓練は、ストレッチから始まった。

 ミミック先輩が教えてくれた、始業前ストレッチの長尺バージョンだ。


 宝箱の蓋を開け閉めする運動

 宝箱から伸びる舌を伸ばす運動

 宝箱から覗く目をギョロっとする運動……


 普段働いている時は造作ない歩行も、戦闘時には大袈裟に跳ねて動かなくてはいけないらしいのだが、基本行動であるこの歩行、通称ミミック歩行は結構な体力を僕から削り取っていく。


 宝箱の底面を跳ねさせながら蓋を開け閉めして進むミミック歩行だけで、僕の体力は底をついてヘロヘロになっていた。


「あの、ミミックパイセン。素朴な疑問なんですが……人間に襲い掛かるなら、底にローラーでもつけて動いた方が早くないですか? 何故わざわざミミック歩行なんかを採用してるんです?」

「それは、ミミック歩行の方が可愛いからだ。」

「……え? 今、僕空耳が……カワ…イイ…?」

「そうだだ。」


 どうやら空耳ではなかったらしい。


「本来動くはずのない物が、人間を襲うために一生懸命動こうとしている姿は可愛くて愛着が沸く。必死で動いている風を装う為に最適なのがミミック歩行と言う訳だ。分かったか?」


 ミミックパイセンは大真面目にを語ってくれるけれど、僕の頭は余計に「?」が浮かぶ。


( 可愛い……?  そもそも可愛いとは何なんだ!? )


「えっと……僕らを倒す人間に、何故愛着を沸かせる必要が?」

「ミミックは姿形を変えることが出来るエネミーだ。どんな姿にだってなれる。だが、必要以上の恐怖は人間にパニックを与えるだけ。だから初めのうちは可愛さを前面に押し出しながらエネミー慣れしてもらうんだ。」

「はぁ……」

「ふむ。お前の言いたいことは分かる。そうだな……実演してみるか。」


 何だか納得いかない僕を見かねたミミックパイセンは、僕に人間の姿を取る様に指示し離れた場所にて自分の宝箱の蓋を閉じた。


『じゃぁ、俺を開けてみろ。』


 テレパシーによる指示に従い、そこに在るプラチナとゴールドの光輝く宝箱の、固く閉じられた蓋にそっと手をかける。


 ミミックパイセンだと分かっていても、いや、分かっているからこそ、噛みつかれるかもしれないと思うと少し手が震えてしまった。


( 人間もこんな気持ちで宝箱を開けているのかな…… )


「えいっ!」


 思い切って重い蓋を持ち上げると、同時に目に入る鋭い歯。

 噛みつかれたら腕を持っていかれそうなその歯を前に、手をスッと引っ込めて一歩後ろにたじろぐと、箱の中からスケルトンの上半身が飛び出してきて、その細腕から伸びる骨の指がアッサリと僕の首をつかみ持ち上げた。


 宙ぶらりんになりながら相対するそれを見下ろすと、宝箱の蓋だったは左右に分離して、スケルトンの肩を守る甲冑の一部になっている。


 僕の首をへし折りそうな勢いで締め上げている手とは反対の手に持った剣は、良く研がれた美しい切っ先を輝かせながら、斜め下から僕を突き刺そうと狙っていた。


( あ、死んだわ…… )


 一瞬で悟った死。

 何故かその瞬間は酷く冷静になると言うが、本当らしい。

 

( 良い人生だったなぁ……いや、人の生涯が人生なら、僕はミミックせいか……? )


 いや、ミミックせいって何だろう。

 でも、何度も言っていたら、なんだかそれで正しい気がしてきたぞ!



「これが、第七支部あたりで擬態しているミミックの基本的な姿だ。」


 まともな思考がどこかへ吹っ飛んでいた僕にミミックパイセンの冷静な声が降って来て我に返る。

 いつの間にか僕は地面に立たされていて、ミミックパイセンもいつも通りの宝箱姿に戻っていた。


 ( うん。結論としては、その瞬間は酷く冷静になるわけではないという事が分かったかな。 何だよミミックせいって…)



「では今の感覚を忘れない内に次だ。」

「え、まだやるんですか?」

「むしろここからが本題だぞ。」

「うぅ……」


 ミミックパイセンの意図が分からないから、後何度死ぬ思いをするんだろうと泣きそうだ。


『よし、じゃぁ新人、もう一度俺を開けてみるんだ。』


 ミミックパイセンは少し離れたところで、先程と外見は何一つ変わらない宝箱として居座っている。


 正直、もう開けたくなかったけれど、これも訓練なら仕方がない。

 僕は意を決して宝箱を開けた。


 ゆっくりと持ち上げた蓋には先程と同じく鋭い歯。

 今度は逃げる準備をしていた僕が一目散で距離を取ると、ミミックパイセンは構わずその場で一回口を閉じる。

 まるで何かを噛んで飲み込むような仕草だが、勿論そこに僕は居ないので、ミミックパイセンの口に入ったのはただの空気だけ。


 次いでミミックパイセンは目の前に居る僕を探すように左右に身体を振り、やっとの事で視界に僕を捉えると、ガシャンガシャンと蓋の開閉音を鈍く響かせながら、不規則に飛び跳ねてこちらへ向かって来た。


 開いた箱の中から伸びる舌が、何かを絡めとるように左右に振られ、奥から覗いた光る眼はぎょろりと僕を見つめて離さないけれど、その特徴的なミミックの顔は何故か間が抜けていて安心感があったし、距離を詰められた僕が逃げると、ミミックパイセンはその場で何度も跳ねて位置調整をして必死で僕を追いかけて来てくれる。


 歪で不格好で、だけど何処が愛らしい姿。


「成程、これが可愛い! 必要ですね。可愛い!!」


 攻撃するより、餌でも与えたくなるような不思議な魅力。

 可愛いを習得した所で、ようやく趣旨を理解できた僕の前で、ミミックパイセンは動きを止めた。


「そういう事だ。例えば魔王城の近くのダンジョンに配属されているエネミーは強さや狡猾さが求められる。だからそこに常駐するミミックもやはり、武器を持ったり変形したり、可愛さよりも不気味さやおどろおどろしさを前面に押し出した形に成り、一切の妥協を許さずに戦い抜く。そういう場では高度な魔法や技術も使えるから歩く必要もないし、お前が言うように底にローラーをつけて移動しようと問題ない。だが、そんなのがこの周辺ダンジョンに居たらどうだ?」

「僕が冒険者だったら、生き延びたとしても冒険者辞めますね。だって、死んだって思いましたもの。」

「では、先程のは?」

「失礼ながら、これなら僕でも倒せそうと思ってしまいました。ミミックはダンジョンの用途によって、姿・形・所作の全てを変化させて戦闘に臨まなければならないという訳なんですね。」

「その通りだ。ダンジョンの難易度が上がるにつれて、ミミックは自分の考え出した姿で戦う事を許可してもらえる様になる。だが、それは基本がしっかり積みあがってこそのモノだからな。自分の最終形態を思い描きながら、とにかく今は必要とされている姿に成りきる事が大切だ。」

「自分の最終形態……」


 少し思いを馳せてみたけれど、全く想像がつかない。

 思いつくのはヨタヨタ歩きで息を切らせる無様な姿だけだ。


「何はともあれ、もう少し体力をつけたいと思います。そして、最高に可愛いミミックを目指します。」


 僕は人間の姿から宝箱の姿に戻って、復習するように地面を蹴って飛び跳ねた。


「人間は完璧という物に嫌悪感を覚えるらしい。だから少しオカシイくらいが丁度良いんだ。だが、やり過ぎるとそれはそれで威厳を失くすからな。あくまでもお前はエネミーであり、人間の敵で無ければいけない。可愛も程々にだな。」

「程々の可愛さ……奥が深いですね。」

「あぁ。決して楽な道のりではないが、だからこそやりがいはある。死闘の末に敗れて宝を放出する時の快感は何者にも代えがたいしな。あれがあるから、現場を離れられない。」

「それ、凄く憧れます!! 夢のまた夢ですけど。」

「そうだな。歩行がサマになって、蓋の開閉がもう少しスムーズに出来る様になったら考えてやろう。」


 以前、ミミック先輩にも指摘された蓋の可動。

 柔軟性つけておけといわれていたけれど、やはり今のままでは危ない様だ。


( というか、今考えてくれるって!? )


 僕はパァッと光が差しこんだ視界にパチパチと瞬きをしてミミックパイセンを見つめると、若干引き気味のミミックパイセンが軽く頷く。


 まさかの戦闘を実践させてもらえるかもしれないチャンス!?

 これはもう一大事だ。

 

 そう考えると、もう何十回目となる蓋の開け閉めと歩行訓練に疲れて息が上がっていたはずなのに、俄然やる気が湧いてきた僕は、ルンルンと身体を弾ませた。


「おぉ、何か今コツが掴めた気がします! こうすると2倍高く跳ねあがれますね!! どうですかミミックパイセン!!」

「新人、お前は本当に分かりやすいな……」


 呆れつ笑いを溢したミミックパイセンは、「調子に乗るなと」静かに喝を入れてくれたが、僕の拙い擬態や動きを細かく指導すると言ってくれ、それからの戦闘訓練を、僕はみっちり鍛えてもらう事が出来たのだった。

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