黒き鏡の玉兎。

判家悠久

第1話 昭和39年

 青森市やや郊外にある、春には桜が乱れ咲く合浦公園から、山の方へと暫し進んだ女子高校が、暁鐘学園に当たる。昭和初めにカトリック教を主体にしたカトリックミッションスクールで、市内のうら若きクリスチャンが、今日も元気にはち切れる。

 とは言え、基本カトリック教のカリキュラムで、詰め込み教育はされない為に、進学はあっても系列のカトリックの大学に進むのが少々。あとは市内のカトリックOBの会社へと就職するのが規定路線になる。


 そんな2年生の私奥瀬梓は、日々おきゃんにバドミントン部で励み、恒例の夏季学園宿泊合宿にも参加し、早朝から夕方迄スペースのあるグランドで特訓に励む。その後は寄宿舎を間借りして、夏休みの課題を、遠い親戚にして同学年の親友五月女満と折半回答に勤しむ。それが良いか悪いかは、取り敢えず連携微笑ましいがバドミントン部方針だ。

 バドミントンには情熱があるものの、暁鐘学園の運動部全般にはある通過儀礼がある。暁鐘学園七不思議の全制覇。これを制覇出来た女子には格別の引き合いがあるらしい。念願の夢、就職、お見合い。正直、酷い田舎で暮らす以上、どれでも良いから叶って欲しい。

 暁鐘学園七不思議はその時々の伝説で入れ替えはあるものの、最上級は、学園に併設されるアナスタシアス聖堂に関するものだ。戦中に暁鐘学園は3度焼夷弾を食らっても、奇跡的にアナスタシアス聖堂は難を逃れた。確かに昭和モダンクラシックな作りで、米軍さんは教会を襲撃しないと言われてるから、上空でも一際いけないと制動が入ったかもしれない。

 聖堂ならば、マリア像に関する奇跡と思いきや、それは予想を遥かに超えていた。アナスタシアス聖堂は1階2階吹き抜けで、2階に上がる為の踊り場に、巧みを施した大鏡がある。戦中の爆撃以前は、至る場所に大鏡が有り、佇まいを見直しなさいが女子学校ならではの第一の躾だったらしい。

 それが聖堂のみが無事とあって、由縁はどうしてもつくらしい。その由縁は、大鏡の中から女性の幽霊が飛び出るらしい。

 そう、どの運動部も夏季学園宿泊合宿の日程には、この踊り場の大鏡の肝試しがある。女子なので一応二人での深夜の学園内潜入となる。そして私梓と満が腰を引きっぱなしで懐中電灯で先々を照らしながらも。


「ねえ満。実際に幽霊にあったら二人とも腰を大いに抜かして、誰が助けに来てくれるのよ、この肝試し無理があるわよね」

「何言ってるの梓。皆で、はい来ましたになったら、美人幽霊さん出ると思うの、出ないわよね」

「その、出る前提はどこから来るのよ。やっぱり帰ろうよ、今の内に、ねえ梓、」

「いやそこは、何となくの手応えなのよ。去年、大鏡にぼんやり人影映ったから、今年こそはの感触ね。そう仮に、出会ったとしても、用務員さん11時に巡回するらしいから、私達を拾ってくれるわよ」

「ちょっと満。何で、去年気付いてるのなら、報告会で発表しないのよ」

「そこは、あれよ。どれかの願いが叶うのなら、誰かがね、見てもいないのに、私の報告から上書きして、作り話される可能性があるでしょう」

「いるかな、そういう女子」

「梓、女の園は、ただ苛烈なものよ。このまま私達、それぞれの老舗お菓子店の看板娘で終わって良いのかな。せめて男子の引きだけは苦労したく無いでしょう。一生の事なのよ」

「まあ、一生の事ではあるし、はあ、」

「それじゃあ決まり。そちらの階段を上がって、踊り場の鏡を覗き込むわよ」

「うわ、それってね。満、いざでしょう。中に引き込まれた女子もいるって聞いたでしょう。いや、実にしんどいわ」

「そこは、運動部でしょう。女性の幽霊に力負けして、どうするのよ」

「満、まあ確かに。家業にバドミントン部で、腰は強いからね」

「梓、それはあなたも同じでしょう。さあ」


 私は満に背中を押され、月明かりでも、足が2階への階段を自然とと覚えていた。アナスタシアス聖堂の祭礼はその都度都度で、学年生徒が1階か2階かに入り座席はただ犇めき合う。それがこの夜中では、ただ静かかと思うと、不思議な感慨に耽る。

 そして、大鏡の前に来た。縁取りの枠は西洋宗教絵画を収める様な趣向な限りで、その鏡面には月明かりに照らされて、朧げでも私梓と満の陰影が浮かんだ。何も起こる筈は無かった。不意に足を帰途へと向けるも、満があと12分よ、と留められた。

 いつから、この肝試しはあるのかと過ぎった。戦中、戦後。そもそも戦後と言っても、現在昭和38年で、戦争の爪痕を消そうとばかりに市内整備に励んでる途中で、見渡すと戦争って容赦ないが常々思う所だ。東京はもっと惨めだったらしいが、白黒の写真に映像では、どうにも実感が湧かない。何で人は戦争を始めてしまうのだろう。こうなる事分かっていないのかなと、不意に鏡面に右手が触れた時に、ブンと鼓膜が揺れた。

 そして鏡面をつい見つめると、何故か写りこんだ聖堂の伽藍の窓枠に真っ赤な火炎が上がった。これが焼夷弾の雨霰の果てかと自然に受け入れた。そして鏡面に付いた右手に、不思議な人肌の温もりが来た。


「いるよ、満、向こうに。私、助けないといけない」

「梓、そこまでよ。感じても、そこまで。シスターのお説教の不文律は守らないと」

「でも、そこにいると死んじゃうから。ねえ、あなた、こっちに来て」


 ブーンとの共鳴音が大きく轟き、鏡面であった次元の境界が無くなり。私とその鏡の中のあなたが、強固に手を繋ぎ、私は家業のお餅の捻りと共に、ぐんと引いた。

 月明かりの中で、鏡面の中から偉丈夫そうな影がしなだれて来た。それは幽霊であろうが、その質量は人間、いや成人女子のそれかで、やはり助けないとの本能で、更に引き寄せ、私と影は仰け反った。

 飛び出たのは成人女子。その月明かりの中の陰影は、戦前女子かのモンペに防災頭巾で、その爪先が全部飛び出た瞬間に、耳を塞ぐ感じが訪れ、大鏡がバリンと小さく鳴るも大きく砕けた。月明かりで見える鏡片、左隅に製作者の意匠かの玉の様に太った白兎が人参を嬉しそうに持っている。

 ここで時間がゆっくり流れた。この玉兎、お届けで港町の市営バスに乗ると、硝子屋の看板のそれだ。野太く書かれた兎野生活硝子店。そう言えば、店舗前で美男兄弟がいつも喧嘩してる、何を話してるんだろう。何だろうと小さい逡巡の中、瞼が一際重くなった。



 次に目覚めたのは寄宿舎の医務室だった。早朝の日差しの中で、私梓と満は寝ぼけ眼だった。ああ、ひょっとして夢かでもう一眠りの筈が、鬼の形相の高山明日香学園長がいらっしゃって、昨夜の出来事はどうにも取り返しの付かない出来事を起こしたらしい。

 申し開きをする為に、私は上背を起こし、脇に置かれた医療台の吸い飲みをゴクリと潤した。そして。


「高山学園長。昨晩の出来事は、現実ならば謎の不審者。非現実であれば例の女性の幽霊を現世に引き込んだ事になります。手応えとしては狭間の出来事なので、ここは告解部屋で1週間ですよね。ここをどうにか青春の輝きで、3日にして貰えませんか」

「梓さん。思ってた以上に状況判断が早くて何よりです。そうね、意識は混濁していませんから、話を少々詰めて行きましょう。暁鐘学園七不思議の大事、踊り場の大鏡はそのまま、摩訶不思議です。梓さんは、親切心から幽霊を引き込んだとお思いでしょうが、引き込んだ人物は、戦時中の暁鐘学園の当校に通う女子学生さんです。もっとも、この暁鐘学園に通った所で農業実務作業で勉強はおなざりなのですけどね」

「おお、人間ですか。そうですよね」

「満はお静かに。それでも、ちょっと待ってください、高山学園長、戦時中の暁鐘学園の女子学生さんって、神隠し、そう時間移動なのですか」

「ええ、私も戦時中は暁鐘学園の国語の教師ですから、名前は明かせないものの時間移動は間違いは有りません。そう、そのままやたら元気の良すぎる女子学生さんですね。今はマリアンナ聖母会宿舎に運ばれて、丁重に看護されています。梓さんがどう哀れんだのか、引き込んでしまったので、昭和39年のこの時代での生き方を、マリアンナ聖母会で終わらない議論を続けています」

「かなり、込み入った問題ですよね。うわ、私ったら、早まったかな」

「梓さん。そうとは言い切れません。あの戦時中の夜の暁鐘学園は2度目の焼夷弾の嵐でしたから、この時代に来訪していなければ、きっと焼け死んだ事でしょう。私個人の見解としては、偶然も運命であると全てを肯定しておきましょう」

「おお、全面無罪。はあ、良かった」

「いやいや、梓、この高山学園長のピリピリを読みなよ」

「満さんのお察しの通りです。バドミントン部の夏季学園宿泊合宿は日の出と共に解散させ、今夏の運動部は勿論、文化部も学園閉鎖とし世間と一切断絶します。これはままある祈祷ですから、皆が怪しむ要素も無いでしょう。という事で、事が済むまで梓さんと満さんには告解部屋に詰めて貰いましょう。うっかり御家族に話されて、不審者が学園にいたとされては、この国の警察に説明出来る筈も有りません」

「そう、ですよね」

「巻き添え食らった」

「勿論、課題もしっかりこなして貰いますので、全ては節目良くです。そして、ここからは全力で祈念して貰いますからね」


 私梓も満も、ただ全身が燃え尽きた。将来大学に行く訳でも無いので、赤点さえ取らなければ、そこそここなせば良いのに、倫理も学科も全力と来た日にはだ。

 ただ、その集中講義も5日で終わった。何の事は無い、来訪者が5日目の朝に。アナスタシアス聖堂の徹夜のお祈りの果てに、忽然と姿を消したからだ。

 祈祷中のアナスタシアス聖堂は表から錠前を厳重に閉められる。そして外も内も厳重な作りから、誰であっても逃げ出すのは困難だ。全ての施設内を一通り確認し終えたら、当然の結論として、あの戦時中の日本国に帰ったに至った。確証としては、私が慰みと送った、空き時間に風采菓子本舗の空き桐箱から真心を込めて作った紅のロザリオも一緒に消えていたからだ。器用な出来から忘れる筈は無いだろう。

 私梓と満は家に帰されたが。後に聞いた話では、事情を深く知る暁鐘学園関係者は、夏休み期間中、朝から晩迄丁寧に祈祷していたらしい。どうかこんな悲惨な戦争でご無事の様にと。



 あの真夏の夜を経てから、今季の運動部の夏季学園宿泊合宿全て取りやめになった事で、どうしてもの噂が浮かんだ。

 徹底的な箝口令が敷かれた事で、来訪者の時間移動には辿り着かないが、聖堂で全シスター達が祈祷している事で、何かしらのエクソシストが発生したかだ。

 憶測は女子校故の寄ってくる変態多しと、合浦公園近くは練兵場が連なっていたので浮遊霊がやはり出たかと、あとは暁鐘学園七不思議最大の踊り場の大鏡かで、やっとの順番になる。

 私達は夏休みの最中で、それぞれ実家の風采菓子店の看板娘をお淑やかにしていたので、暁鐘学園関係各位と顔を合わせると、変態には気を付けましょうになるので、まあの安堵になる。



 そして私は2学期の始業式が始まる前に、港町経由の市営バスに乗っては、母奥瀬真緒から是非と桐箱に入った白桃入り餡餅を包んで、どうしても訪問しなくてはいけないお店、兎野生活硝子店へと向かった。

 掻い摘むのも難しい表敬訪問のつもりで訪れた兎野生活硝子店は、店内も店外も、何をどうしたか戦場だった。店前には踊り場の大鏡に類似した大鏡が所狭しと並び、左隅に意匠の玉の様に太った白兎が人参を嬉しそうに持っている玉兎がどれにも描かれていた。ただ見つめ過ぎては背後から、声を掛けられた。


「ちょっと、お姉さん、美人さんはどう見ても美人さんですよ。ここで見学してないで、本町闊歩しませんか。うん、いや、この清楚な佇まい、ひょっとしてミッション系の暁鐘学園のお嬢さんかな、これは失礼。筋が正しくないですね」

「ちょっと、兄貴さ、何を口説いてるんだよ。あと2日で、この大鏡全部、あの暁鐘学園に設置しないといけないんだよ。もう包装しないと」

「寛至、美人さんに失礼はいけないな。だから俺達は結局もてないんだよ。おっと、名前知らないのに美人さん美人さん言ったら、何を男子はになりますよね。俺は兎野孝通でここの長男になります。ほら次だ」

「ああ、俺は兎野寛至で次男です。いやね、今日、見学の予定あったかな、台帳見ないと」

「ああすいません、私は事前に連絡はしていません。突然の訪問で申し訳ございません。私は暁鐘学園の生徒で奥瀬真緒と申しまして、然るべき理由があって訪問しました。まずはご挨拶がてら、私の実家の白桃餅をお納め下さい」

「おお、風采菓子の和菓子、本当美味しいよね」

「梓さん、ここの所立て込んでおりまして、電話も出れなかったかもしれません。失念しました。そして御用事とは改めてなんでしょうか」

「孝通、寛至。この潤い、通り雨来るかもしれない。もう外に飛び出た大鏡は暁鐘学園に納品して来い」

「えっつ、今、せめて差し入れ食べて、美人さん、いや梓さんと和んでからでしょう」

「いや、この湿り来るな。寛至、梱包したら納品するぞ、ほら、行くぞ」

「あの、店主さんでしょうか。暁鐘学園の奥瀬梓と申します。少々お聞きしたい事が有りまして」

「そうですね。私は、兎野生活硝子店の店主兎野万蔵と申します。高山学園長から含みを貰っていますので、お待ちしておりましたは無粋でしょうね」


 万蔵さんは、既に戦中から時間移動者の事をしっかり聞いており、そして、それ起こした不思議現象を一から説明してくれた。

 踊り場の玉兎の大鏡は確かに兎野生活硝子店の特注品で、戦前の暁鐘学園の折々には設置されていたと。戦後になると、お淑やかな学園ではあるものの、戦中の空襲の破損飛散を深く鑑みて、踊り場の1枚だけになったと。その希少さから、踊り場の大鏡に尾鰭が付き始めて、昨日に至ったと。

 そしてその1枚も壊れた事から、ここでマナーの一環として、戦前並みに校舎折々に大鏡を設置しようかの大発注になったらしい。

 いや尾鰭が付くとしても、実際には時間移動して来た方がいるのですよ、大まとめにされてもと食い下がった。ここで万蔵さんがいがぐり頭を撫でては、うちの鏡の銀の成分は地産の西目屋村の尾太鉱山のものを使っており、その成分はただ上質も、産地の場所柄霊山たる岩木山も白神山地が近い事から、付喪神が付きましょうか。思い当たる不思議成分はそんな所になるかと、ことりと置く。


「万蔵さん、由来は、きちんとあるのですね」

「あったとしても、私は丹念に工程を守るだけです。本当にすごいのは人間の一筋の思いと思いますよ。梓さんは誰かを助けたかった、そして助かった。神隠しの大凡は、何処か安全な場所に行き着くです。私の直感としては、その時間移動者は元の戦中時代の焼夷弾を逃れた場所に戻ったとは思います」

「業師の直感は素晴らしいですね。私もそう思います。ここで踏ん張ろうかが、青森県人の粘り強さと思います」

「やや、照れますな。それで梓さん。折角お越しになったのですから、孝通、寛至、どちらにしましょうかね。孝通は包容力、寛至は天真爛漫。共に道を歩むのなら、どちらとも、それなりに愉快では有りましょう」

「ああ、いや、お付き合いのどうこうは、今の私には早いかなと。今高校生で17歳ですし」

「御縁ですが、若いには越した事が無いですよ。この前迄は中学校卒業したら、嫁入れさせられましたしね。若いから自由を欲しいでしょうが、梓さんは既に有能な霊能者です。どうしてもお守りしないといけない。若いとは言え研ぎ師とは、境界を何たるかを知る者です。この若さで憑かれたら差し障りが出ますよ。どうかお選び下さい」

「ああ、ええと、それならば、孝通さんでしょうか。私ってふわっとしてますから、頼り甲斐はあった方が、いや御免なさい、長男さんだったら、継承者なのに。ちょっと、いや、うーん、御縁は、いや逃すと勿体無いかな」

「いや、梓さんお見立ては正しいでしょう。孝通は器用貧乏過ぎて家業は凡庸です。むしろ寛至の方がのめり込む性分なので、硝子鏡装飾作りで伸び代を見せる事でしょう。それで、いつ孝通をお納めしましょう」

「ああ、高校は卒業しておきたいので、いや、もう恥ずかしい。ああでも、是非御機嫌損なわずに、どうかお出で下さいと、丁重にお伝え下さい」


 このタイミングで、外の運搬車が、行って来ますと、陽気に手を振りながら出発した。これが初めてのお見送りと思いつつ、手元で上品に手を振り届けた。

 確かに暁鐘学園七不思議の引きは確実に掴んだ。と言うより、私の霊能者の発露を見かねてのお付きになった。この先も、何かと巻き込んでしまうのかなと思うより、一生の安堵感を得たので、ただ胸が一杯で、卒業式迄を心待ちに数えたが、どうしても長かった。

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