落つる雷光、雨過天晴の閃き
山桐未乃梨
第1話
弓を構え、弦をキリリと引く。
視線は一点、日陰で蹲って顔を擦る狐。
呼吸を乱さずに手を離せば、次の瞬間矢は地面に刺さる。
驚いた狐は飛び上がるようにして背を向け、一目散に走り去って行った。
「…申し訳ありません。外してしまいました」
クスクスと笑う声に被せるように、殊更に声を張って
「なんや、鬼を従えておる割に、たいしたことはないんやな」
人を小馬鹿にしたようにニヤニヤと嗤う上流貴族の男。何が可笑しいのかわからないが頼光はもう一度頭を下げて大股でその場を後にした。
剣術に弓術馬術、幼い頃から懸命に勤しんだそれらは、若いながらに達人とも評される。
だが。いや、だからこそ、無用な殺生はしない。それが動物であっても。
狐に矢を命中させることは簡単だ。やろうと思えばできた。
しかし名も知らぬ、無礼な文官一人への余興の為に命を取られては狐とて口惜しかろう。
それに比べれば、頼光が『たいしたことない』と嗤われるくらいどうということはないのだ。
そう自分に言い聞かせるように大股かつ早足で歩く。都の北部を東西に走る土御門大路。そこに出たところで、丁度見知った顔が見えた。
「頼光様!」
溌剌とした声に六尺を越える長身は頼光の従者の一人、
この都では珍しい短く銀の髪、特筆すべきはなんといっても額の上に生えた一本角。
鬼の証であるそれを見ても、驚く人間はこの都にはいない。犬や猫、狐や狸が大路を闊歩していてもおかしくないように、鬼が歩いていても特段気にも留められないのが都だ。
人間が善とは限らぬように、鬼が悪とは限らない。
鬼であることを理由に、排除されたりはしない。
特にこの綱という男は、鬼特有の身の丈と強い腕力を持ちながらたいそう愛想が良く、私邸や橋の修繕など聞き付けては進んで手伝っている。今もその帰りであろう。
綱は頼光の部下であり従者であるが、四六時中側につくことを頼光が良しとしていなかった。
人々の為にしてやれることが綱にはたくさんある。それをやってくれればいい。
日暮れ近くになれば頼光の元へ帰ってくる。まさしく、今のように。
とはいえ帰路についているのではない。ある人物に呼ばれているため、土御門大路を歩き進める。
「綱、今日はどうだった?」
「はい!
「そうか。それは構わんが、屋根から落ちて怪我せんでくれよ」
「充分留意いたします」
笑顔を絶やさぬ綱とそんな会話をしていれば目的地にはすぐに着く。
簡素な門をくぐり、頼光はここの家主を呼んだ。
「
言い終えるかどうかといううちに、涼やかな目元の男が出迎える。
「遅かったやないか。寄り道でもしてはったん?」
柔らかい調子の声で晴明と呼ばれた男は笑った。
呼ばれた刻限に間に合うように職場を出てきたつもりだったが、途中出くわした横柄男のせいで遅れてしまっていたらしい。
「申し訳ありません、途中ちょっと···」
謝罪の言葉を並べながら、先ほどの苛々を思い出し、頼光の眉間に皺が寄る。
しかしそれは単なる言い訳であると思い直し、その愚痴を頼光は飲み込んだ。
「遅れて申し訳ありませんでした」
そう頭を下げると、奥から男女の童子がやって来て履物を脱ぐのを手伝ってくれる。
「ありがとう、
男児が梧桐、女児が牡丹。それぞれこの家の庭に生える樹木の式神である。
頼光は懐から紙袋を取り出すと、中に入っている飴玉を一つずつ、梧桐と牡丹にくれてやった。二人は大層顔を輝かせ、キャッキャ言いながら再び奥へと消えて行く。
まるで人間の子どものようで、頼光の顔も綻んだ。
「なんや礼も言わんと。すまんなぁ躾できてへんで。ありがとう」
式神に代わって晴明が礼を言うのはここにくればいつものことだ。
親子のよう。
そんな感想を抱き、頼光と綱は晴明に案内されて縁側へと歩く。
そこにはすでに三人の鬼が座していた。
「遅いよー頼光様。もうお菓子なくなっちゃうよ?」
天真爛漫にあられやらかりんとうを口に運ぶのはまだ十八歳の
まるで自室のように足を崩す菘に頼光は、
「おい、菘…晴明様の屋敷では行儀良くせよとあれほど…」
と言って常日頃から注意しているのにも関わらず、まったく改まらない。
「だって、晴明様がいいっておっしゃるから」
「そういうことじゃなくてだな、いいか、一般的な礼儀として…」
「だから、晴明様がいいっておっしゃるのだから、構わないでしょ?」
菘も綱同様に頼光の従者であるはずだが、どうにも自由すぎる。
何を言っても無駄なのか、と溜息を吐く頼光に鬼の一人が頼光に一礼し、
「頼光様、菘はこう見えてほかの方の前ではきちんとしています。今日は
と、菘を擁護した。
そんな彼が言うのだから、まあ今回は不問とする。
するが。
「···くれぐれも、失礼のないよう気を付けてくれよ」
釘は刺しておかねばならない。
従者達とのそんなやり取りの後に、今度は三本角で長い銀髪をざっくり束ねた若者が頼光に一礼した。
「ご報告が遅れました。頼光様、貞光本日帰還致しました」
貞光と名乗った鬼は
そんな彼が『帰還』という言葉を使ったのには訳がある。
「あぁ、無事でよかったよ、貞光。晴明様に何を頼まれていたんだ?」
頼光がそう尋ねると、貞光は晴明と視線を交わした。
そして晴明が口を開く。
「それは俺から説明するわ。と、その前に、菘がみな食ってしもたな」
その言葉が合図なのかどうか頼光には分からぬが、すぐに梧桐と牡丹が茶と菓子、切った果物を持って来た。
そのまま彼らは嬉々として庭を駆け回る。両手を広げながら時には飛び跳ねる様子はさながら舞のよう。
ついそちらに気を取られてしまいがちだが、頼光は晴明の方を向いて居住まいを正した。
菘を除く三人の従者がそれに倣ったところで、晴明が語り出す。
「さて、先月下総から俺のところに客が来たんは知ってはるやろか?」
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