第46話 誤算


 そもそもの始まりは計良先輩が軽い熱中症にかかってしまったことだった。

 いくら空調が効いているとはいえ真夏の会場内は暑いわけで、そんな中を通気性の悪いコスプレをしたまま水分補給の暇もないくらい忙しく客を捌いていたらどうなるか。

 四人の中で一番身体の弱い計良先輩が真っ先にダウンしてしまったわけだ。


「ごめん、二人ともごめんねぇ……」

「………………っ!(激しく首を横に振る)」


 申し訳なさそうな計良先輩を無言のままだけど見るからに取り乱した北先輩が救護室に運んで行くの見送る僕とえびすさん。


「大丈夫っすよ先輩、わたしらにバーンと任してください。……秋良はちょっと頼りないかもだけど」


「あ、酷い。僕も精一杯頑張るんで、体調落ち着くまで休んでてください。人も減って来たし平気ですって」


 そう言って励ますと、計良先輩はくしゃっと顔を歪めてから僕らに頭を下げてきた。


「……ごめん、ふたりに任せた。わたしのサークルのことお願いね」


「「任せてください!」」


 ここまでされて頑張らないなんて男じゃない。えびすさんは女だけど。


 とにかくそんなわけで二人でサークルを回すことになったけど、計良先輩にも言ったようにお昼を過ぎてから客足は随分と落ち着いてきていた。

 北先輩も救護室に行ってもらったのは計良先輩が心配だろうからってのもあるけど、単にこれなら僕とえびすさんだけでも十分だろうって楽観してたのも否めない。

 実際しばらくは平和そのものでポツポツ来るお客さんを捌いてたんだけどーー。




「これ全部お前目当ての客だろ。なんとかしろって!」


「そんなこと言われても! 僕にどうにか出来るんならとっくにやってるからーーってうわぁ!? ちょっと服引っ張らないでくださ、ひぃ! やめっ、そこは違っ」


「あ、秋良ー!?」


 気付けばこの惨状だった。


『こぬかあめ』のサークル、というより僕に群がる人、人、人。

 それも全部女の子で、さながら人気男性アイドルを取り囲むファンーーと言うには随分と過激っていうか、もはや暴徒さながら。


 どうしてこんなコトになっちゃったのか。

 それは多分、いくつかの誤算が原因だと思う。


 一つ目の誤算はキリンジのファン層を読み違えていたことだ。

 僕はアニメでしか見ていないけど、コミマにキリンジの同人誌を出すようなサークル主やその同人誌を買いに来る客は原作のコミックも追ってるのが基本だ。

 前にキリンジは耽美系の作品って説明した気がするけど、その手の作品を読むのは9割方女の子だ。

 その証拠にキリンジは東4ホール、少女向け作品のジャンルに配置されていて、会場内にいるのは元々ほとんどが女の子だった。

 そんな場所で青刺郎のコスで売り子なんてしていたら目立つのはそりゃ当然なわけで。


 次に二つ目。

 どうやらこの青刺郎コス、思ってたよりもクオリティが高すぎたらしい。

 コスを作製してくれた計良先輩のお友達の腕もさることながら、コミマの売上金を材料費につぎ込んだらしく本家を忠実に再現した言ってもいい完成度だった。

 そのコスを着ている僕自身も自慢じゃないけど衣装負けしてなかったのもあってか、偶々僕を撮影した画像がSNSに出回るなり爆伸びしまくってーーその噂を聞きつけた人がこうして集まった、ということみたいだ。


 最後に三つ目だけど、これはどっちかと言うと運営側の誤算というか不手際な気がする。

 というのもレイヤーさんっていうのは売り子をしたりもするけど、コスプレメインで活動している人は基本的にコスプレエリアにいる。

 そしてコスプレエリアには運営側が決めたルールの他に参加者側の決めたマナーというか暗黙の了解みたいなもがあって、ある程度秩序立っているらしい。

 僕のふんわりした認識だと際どい衣装の女の人を取り囲んだカメコがローアングル狙いしてる印象しかなかったからちょっと意外。


 で、肝心なのがここから。

 一般のサークルスペースはコスプレすることを禁止はしていないけど、前提もしてないからコスプレエリアと違ってこのルールが曖昧だ。

 そのせいで無理矢理売り子の写真を撮ろうとしたりセクハラをするような人が後を絶たないらしいけど、こうして詰めかけた女の人たちの中にもその手の非常識な人が一定数いたみたいだ。

 しかも皆でやれば怖くない精神か周りにまで伝播していって、最初はツーショットとか握手を求めて来るくらいだったのがどんどんと際限なくエスカレートしていってーー。




「は、離れてください! それ以上近づいたら人呼びますよ!?」


 その結果、僕は今にも襲いかかって来そうな女の人たちに必死に抵抗していた。

 ぐるりと僕を取り囲んでいる人の壁。

 どれくらいの人数がいるかは分かんないけど、せいぜい5~6人もいれば僕の姿は覆い隠されて、中でナニが行われているか外から見えない。

 しかも実際にはもっと多いだろうから自力でここから抜け出すのはまず無理ゲーだ。


「お前ら邪魔だよ、そこどけって!」


 人垣の向こうではえびすさんが僕を助けようと頑張ってくれてるけど、数が数だから中々上手くいかないみたいで。


「つ~かま~えた♡」


「うわっ! て、手がーー」


 そうこうしている間に、せめてもの抵抗で振り回していた両手を捕まえられてしまった。

 邪魔がなくなってしまえばあとはどうなるかなんて考えるまでもなくて。


「わー、お兄さん結構細身なんですねぇ。肌しろーい。女の子みたぁい」


「うふふっ、そんなに震えちゃって緊張してるの? もしかしてだったりして。でも大丈夫よ、お姉さん手取り足取り優しく教えてあげるから♡」


 とうとう服の中にまで手が潜り込んでくる。

 我が物顔で肌の上を這い回る他人の体温と感触……ううっ、痴漢される人ってこんな気持ちなのかなぁ。

 というかこれもうコミマのルールとか以前に法律的にアウトだよね?


「えびすさんっ、今すぐ誰かにーーむうっ!!?」


 だから人垣の向こうにいるえびすさんにスタッフを呼んでもらおうと思ったんだけど、


「秋良……? そっちでなんかあったのかっ、秋良!?」


 穏便に済まそうなんてとせずに、もっと早くそうしとくんだった。

 言い切るより早くに後ろから伸びた来た手が僕の口を塞いでいた。


「だめですよ~大きな声出しちゃ。騒ぎになっちゃうじゃないですか~」


「むーっ! むーっ! むーっ!」


 マズイっ……これじゃ声が出せない。

 えびすさんが察してくれたらいいけどそれも望み薄かも。


「お前ら秋良になにしてやがるっ! どけっ! どけよっ! 秋良がッ!!」


 僕を助けようとしてくれてるのは嬉しいけど、誰か助けを呼びに行って欲しかった。えびすさん一人じゃこの人数相手は無理だ。

 北先輩と計良先輩はまだ戻って来ないし、会場にいる他のお客さんが異常に気付いた雰囲気もない。

 てことは僕はこの人たちの好きにされるしかないわけでーー


「さぁて、キミの『下の方』はどうなってるのかしらね♡」


「フーッ! フーッ! 青刺郎様のハダカッ! ハダカハダカハダカハダカハダカハダカハダカハダカァーッッ!!!」


 ひいいぃ!!

 やばいやばいやばい、このままじゃ本気で取り返しのつかないコトになる。

 主に僕の貞操的な意味で!


「わっ、暴れないでくださいよ。大人しく脱ぎ脱ぎしましょうねー」


 最期の抵抗もむなしくベルトが外され、ズボンに手がかかった。

 そのままねっとりとした手付きでズリズリと焦らすようにゆっくりとズボンが引き下げられていく。


(嫌だっ、誰か助けて!! ……けど、これじゃあもう)


 万事休す。

 身動き一つ取れないんじゃもうどうしようもない。

 内心諦めかけたその時ーー壁の向こうからえびすさんの戸惑ったような声が聞こえた。


「お、おいあんたら誰だよ。そん中は、」


「黙って。今はあなたの相手をしてる場合じゃないので。ーーもしもし、私の声が聞こえてますか? なら中にいる人を今すぐ解放してください。スタッフさんはもう呼んであります」


 声量はそこまでも大きくないハズなのに、騒がしい会場の中でもその声ははっきりと聞き取れた。

 それは僕だけではないみたいで、直接身体を触ってきていた四人も眉をひそめて顔を見合わせている。


「それと警告しておきますが、もし従わないようなら警察の方にも通報させていただきます。そうなったらもうでは済みませんよ?」


「そうだ~そうだ~! 秋良っちを離すなら今のうちだぞ~!」


 凛とした声と、溌剌とした声。

 どっちも女の子で、それもなんだか聞き覚えがある気がする。


 警察という単語が出た瞬間、僕に直接手は出さずに取り囲んで眺めていた人垣が途端に崩れていった。

 いやいや「わたしたちは場の空気に乗せられてただけです~」とか言いたげだけど立派に共犯者だからね?

 ともかく視界を塞いでいた邪魔な壁が無くなって、その向こう側にいた三人の姿が露わになる。


 一人は言うまでもなくえびすさんで、なんかちょっとバツの悪そうな顔をしていた。

 残りの二人はお揃いのキャップを目深に被ってるから顔がよく見えなかったけど、僕にはすぐに分かった。

 声を聞いた時からそうじゃないかなとは思っていたけど。


「嘘。本当に……?」


 でもまさかこんなとこにいるなんて。

 だって今日は明日のリハーサルがあるはずじゃ。

 信じられなくてそう呟くと、二人は同時にキャップのつばを上げて隠していた顔を見せた。


「「お待たせ秋良くん(秋良っち)!」」


 そう僕を安心させるように笑みを浮かべたのは、やっぱりあの日マンションで会って以来の月城亜梨子と星野ひかりの二人だった。


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