第23話 Black-1  

「やだ、まだ残ってんの?もう21時よ?」


デスク周りの明かりのみ残していたデザイン室が一気に明るくなった。


スイッチを入れた犯人の声に、翠は液晶画面から視線をそちらへ向ける。


ネイビーの細身のパンツにマスタードイエローの艶のあるドレスシャツを合わせた富樫が、ジャケットとハンドバック片手にしかめ面で近づいて来た。


彼女が愛用しているどこか男性的な色気のあるウッディな香水とバージニア・エス・アイスパールの香りが広がる。


「あれ・・・さっき時計見たら19時過ぎだったのに」


「あんたね、残るならタイマーかけろって言ってるでしょ。またセキュリティ作動させる気?」


「・・・すみません」


デザイン室の片隅で誰とも会話せず一人でデザインと向き合っていると、いつの間にか時間が過ぎて行き、元よりあってないような存在感の翠が在席中である事を忘れたほかのデザイナーが、うっかり最終の戸締りとセキュリティをかけて退勤してしまい、取り残された翠が防犯センサーに引っかかって警備員が飛んでくる事態になったことがあったのだ。


あれ以来、翠は一人で残業する時でも必ず自席周りの明かりは残しておくように厳命されている。


「室長は二次会ですか?」


「そうよ。今日は経営戦略室の本田さんが居てくれるから押し付けて来た。帰ってデザイン仕上げないと・・・あら、いいじゃない。イヤリング?」


室長の一番のお気に入りで彼女の愛弟子兼後継者候補と言われている富樫は、自分の役回りをきちんと把握してパーフェクトにそれを演じきって見せる賢い女性だ。


室長に同行する際は、彼女が選んだ洋服に合わせて引き立て役に回る色合いを選んで黒子に徹しつつ的確なサポートを行い、室長の名代として外に出向く際にはしっかりと自分を魅せる衣装を選んで当然社交もそつなくこなす。


根っからのデザイナー気質で気分屋の室長のお守りもしつつ、後輩たちの面倒も見ながら、デザイン室を切り盛りする彼女はまさにパーフェクトウーマンだ。


彼女が描くデザインは、いくつも定番化されており上層部からの覚えもめでたいデザイン室きっての有望株で、尊敬すべき先輩なのだが。


「流線型と・・・オーバル?またけったいな・・・」


ひょいと液晶画面を覗き込んだ富樫が不可思議な表情になった。


「取り外し可能なツータイプをご希望なんです。姉妹でそれぞれイメージが違うので」


「ああ・・・そういうこと・・・・・・ふーん・・・悩んでるの?燻ってるの?腐ってるの?」


デスクに散らばったままのコピックとメモを一瞥して富樫がうりうりと頬をつついてくる。


このデザイン室において翠にこんな風に接してくるのは彼女くらいのものだ。


入社当初から黒ずくめで異質だった翠に一度も怯むことなくぶち当たって来た稀有な存在でもある。


「どれも違います。仕事です」


淡々とした調子で返せば、するりと細い腕が肩に巻き付いて来た。


「なーんだ・・・残念。腐ってるなら誘ってみようかと思ったのに」


「・・・だからそういうのは結構です」


「一度試してごらんって。後悔させないよ?女同士もいいよ?それとももう芹沢くんに頂かれちゃった?」


蠱惑的に微笑んだ彼女の瞳は艶やかに濡れていた。


最初に軽口で付き合ってみない?と言われたのは入社二年目の終わりの頃だ。


いえ、結構ですと真顔で返した翠にへらっと笑った彼女が、じゃあその気になったら教えてねと悪びれず付け加えた時には半分冗談かと思っていたが、さすがに10年以上の付き合いになれば彼女が異性も同性もいけるタイプであることは分かって来る。


いまだにこうして気まぐれに声を掛けて来るのは、単なる興味か暇つぶしか。


富樫いわく、あんたはどっちもいける、と認められた翠の素行を見ていれば、どうにもなっていないことは分かりそうなものなのに。


「富樫さんもそれ信じてるんですか・・・」


「いっぺん寝てみたら?なんか変わるかもよ?」


「そこは求めてないです」


「私は楽しみにしてるのに。脱皮した雑賀口説くの」


「・・・人を蝉みたいに言わないでください」


この気持ちが膨らんでいったとしたって、二人の関係が変わらなければそのままだ。


リハビリが必要なくらい麻痺している自分に付き合わせるわけにはいかない。


いつか終わることが分かっているのに。


「迷ってるなら行ってみなさいよ。崖っぷち通り過ぎたアラサーに怖いもんなんて無いでしょ?もし振られたら、ちゃんと私が全力で慰めてあげるからさ」


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