魔女カノ ~超安全圏SE男子と魔女系デザイナーのやんごとなき社内恋愛~
宇月朋花
第1話 Red-1
「結局俺一人になっちゃって申し訳ない。日を改めようかとも思ったんだけど、なかなか予約の取れないお店だからね、どうしてもここのローストビーフを食べて貰いたくて」
殊勝に微笑んだ男を見て、吐きかけた溜息をぐっと飲み込む。
彼が言葉尻に言外に含んだ一言は、容易に想像ができた。
彼女の為に用意されていた空の席をちらりと一瞥して、
自席の遥か頭上におわす上司を前にした笑顔とは到底思えない位の素っ気なさだが、彼は最初から翠に愛想やゴマすりは一切求めていなかった。
「お土産に持って帰られたらどうです?奥さまもお喜びになるでしょ」
「ああ、それいいね。そうしよう。幸さん、雑賀さんと一緒にローストビーフ食べるの楽しみにしてたんだよ」
「・・・志堂専務」
「なにかな?」
一日10食限定のシェフ特製ローストビーフを優雅に口に運びながら、一鷹が視線を持ち上げる。
ああ、本当にこの人のことが好きだったなぁ、としみじみ思った。
最初から降参宣言したうえで勝手に始めた片思いだった。
誘われる度狼狽えて、ろくに料理を味わえない程度には、勝手に溺れて慕っていた。
「今日もピンクですね」
「うん?ああ、ネクタイ?幸さんがね、女性と一緒の席だから少し華やかにって選んでくれたんだ。彼女も今日はピンクベージュのワンピースに、ピンクトルマリンのピアスを合わせる予定にしてたんだよ」
結婚して10年以上が過ぎてもなおも冷めることない愛情を一身に妻に注ぎ続けている愛妻家の上司は、夫婦で出かける際は必ずリンクコーデを選ぶ。
志堂夫妻との奇妙な晩餐が始まってから、3年程になるが、毎回ネクタイや、ポケットチーフ、ワイシャツの色が、妻の衣装とお揃いだった。
まるで恋人同士のように手を繋いで待ち合わせ場所のレストランにやって来た、絵画のような円満夫婦を前にした時の敗北感といったら無かった。
いや、勝とうとか、奪おうだなんて、微塵も思っていなかったけれど、完全にこの人は、自分とは違う世界の住人なのだとはっきりと自覚した瞬間だ。
「奥さま、淡い色とってもお似合いですもんね」
「幸さんは何を着ても綺麗だけどね」
しれっと言ってローストビーフを咀嚼する一鷹の周りの空気がより一層幸せな桃色に染まる。
彼と最初に会った時からそうだった。
どれだけ揺さぶっても、突いても、彼の心の真ん中はいつだって最愛の女性だけがいる。
「お子さんの風邪、大丈夫ですか?」
「RSウイルス?だって。保育所で貰って来ちゃったみたいだな」
「ウイルス!?」
耳慣れない単語に、こんな所で悠長に食事を楽しんでいる場合かと身を乗り出す。
翠の険しい表情に、平気平気と微笑んだ一鷹はすっかりマイホームパパの顔になっていた。
「症状はほぼ風邪とおんなじなんだけど、子供が罹患しやすい感染症なんだよ」
「あ・・・風邪・・」
「いつもは、浅海さんの所に見て貰うか、シッターさんにお願いするんだけど、ちょうど浅海さんの娘もかかっちゃってね。シッターさんも今日は空いてなくて、だから幸さんが留守番」
「志堂専務がパパってのも不思議ですけど、浅海部長がパパってほんとなんか・・・想像つきませんよね・・・」
「娘溺愛してるよ。俺なんかよりずっとマイホームパパだよ。休日には一日中娘の動画撮ってるし」
「ひえええ・・」
ここ数年で大きく変わった経営陣と、超実力主義で選抜された管理職の面々。
一気に風通しの良くなった社内は、下からの意見も多く吸い上げられるようになって、売上も順調に伸びており、福利厚生はより一層充実した。
一鷹を始めとする現経営陣たちは、社員還元を理念としており、働きに見合った待遇と給与を保証してくれる稀に見る最優良企業になっている。
毎年新卒採用の希望者が後を絶たないのは、彼らの長きにわたる努力があったおかげだ。
その立役者の一人である浅海昴は、一鷹の懐刀と言われており、各部門から次世代の幹部候補を多く見出したことでも知られている、かなりの切れ者である。
一鷹が温和に濁して収める所をばっさり切り捨てて、会議を短時間で纏める手腕は天下一品。
彼らが同席する部署会議の前には、課員総出で取りまとめと下準備に追われるらしい。
らしい、というのは、翠はその憂き目にあったことがないからだ。
翠が所属するデザイン室は、どこの部門にも所属していない完全独立機関。
システム室と並んで、自治運営が徹底している特殊な部署である。
現デザイン室を仕切る室長は、多くのコンテストを総なめにして来た人気デザイナーで、感性とインスピレーション、そして情熱をこよなく愛するクリエイターだ。
季節毎にお目見えする新作ジュエリーは、彼女の意見なしには生まれない。
役員にも無理融通が利く、数少ない権力者の一人である。
得手不得手は別として。
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