第3話 草むした風の子乗馬場。そして・・・
現在では島民数も減少して(10名を割っているそうな)小型船が就航しているようですが、当時はまだフェリーでした。三原駅から少し歩いて三原港にたどり着き、そこからそのフェリーに乗ること、わずか十数分で、目的地の島へ到着しました。
何か案内があったか、あるいは、島におられた誰かに聞いたか、そのあたりは一切覚えていませんが、歩いて数分のところに、その地は、ありました。
こさぎ島休暇村 風の子学園 ようこそこちらです
木に彫りこまれた看板が、その地であることを告げています。
もっとも、そこに来た人を迎える「あるじ」は、現在拘留中。
さらにその近くには、こんな札と囲いが。
風の子乗馬場
手入れがこのところされていないこともあってか、すでに草むして荒れた感一杯。
馬は、もういなかったはず。
そもそも、いたのかな?
近くを伺っているうちに、ついに、肝心の目的地へ到着しました。
本来その物体は、きみどり色が基調の箱でしたが、今は、ブルーシートに覆われているときております。
これは、旧国鉄時代のコンテナです。
ほら、「戸口から戸口へ」というスローガンの書かれてあった、あのコンテナね。
ネット情報によれば、東福山駅から購入したものらしいです。
さーて、その青く覆われた物体に接近してみると、こんな札が掲げられています。
これに
さわらないで
ください
検察庁
白地のプラスチック製の板に、黒字の、あっさりとした告知。
確かこの「風の子学園」、かなり赤字続きだったはずだが、こんなところでようやく黒字ができたのか・・・。
などとふざけたことをホザいても、しょうがないわな。情けない話や。
さらにさらに!
その近くの事務所も、「証拠保全」のため、残されておりました。
黒板には、かなり、かれこれ書かれています。
** 父 来園
被害者の少年の父親がこの日来園するという旨の記載が、残っていました。
ネット上でその少年の名前は出ていますけど、ここでは、述べません。
彼は当時兵庫県姫路市内のある公立中学校の生徒で、私よりおおむね7歳ほど年下で、2人いるうちの下の異父妹と同学年くらい。
それより2歳上の、三原市内の少女とともに、まだ季節も夏のたけなわという時期の炎天下の中、このコンテナに長時間にわたって閉じ込められ、死亡した。
確かあの時は、少し報道も落ち着いたころだったか、特に献花などはなかったように記憶しております。
私自身は、特に献花やお供えはしませんでした。
それでも、コンテナに向かって手を合わせた記憶は、あります。
物理的にそういう動作をするとかしないにかかわらず、気持ちは、そうでした。
~ ちょっと言い訳がましいけどね・・・。
ここに私が来て、これから岡山に戻って、そして、何をすべきか。
私はすでに、心を決めておりました。
ここに来た以上、黙って、その場の記録をとり、そして、それを後世へと伝えることこそが、私にできることであり、すべきことである、と。
この日、この地を訪れたのは、結局、私だけでした。
さて、瀬戸田方面から戻ってくるフェリーの時間が近づいているのを、手持ちの鉄道時計(懐中時計ね)で確認し、来た道を戻って、「本土」へと戻るフェリーに乗込みました。
今も本数は数本しかないけど、当時でも、そう多くはなかったはず。
これ逃したら、何時間も帰れませんから、そりゃあ、大変ですよ。
とにかく、帰りのフェリーに乗込みました。
確かまだ、昼前でしたね。
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