何が自然だ、笑わせるな! ~ 風の子学園の記憶
与方藤士朗
第1話 2022年9月4日・恩人の誕生日に
今この文章を書いている週の週明け。
しかも2日前の、2022年9月4日。
私は、アメブロの記事を更新した。
そういえば、この日は、恩人ともいうべき大学の鉄道研究会の先輩の誕生日。
生きておられれば、61歳になられる日。
私はその方より8年と8日後に生まれておりまして、あと約1週間で、53歳になります。まあ、それはどうでもいいか(苦笑)。
せっかくなので、その先輩のエピソードを書こうと思った。
確かに、中3のとき、学校でいろいろありまして、その折、この先輩は、黙って聞くだけ聞かれた後、一言、こういわれた。
「とにかく、暴力だけは振るうな」
それだけは守りました。
そのおかげで、高校入試失敗後も、大検を通して大学に現役で合格できましたし、中学までのつまらない縁は、大学合格を前後して、ことごとく、切れていきました。
その先輩は、京都市内の西陣織の職人さんの息子さんで、3人兄弟の長男でした。ご自宅にも何度となく伺いましたが、なんと、西陣織の織機というものを、その先輩の自室に伺う折、毎回横目に見ながら、通っておりました。
その先輩の写真を出そうと、USBのメモリを確認していて、ふと、思い出したのです。
思い出の渚じゃないけど、あの、夏の日のことを。
あれは、1991年の8月最初の日曜日でした。
その年の春に下宿を代わり、後20年近く住むボロアパートに転居して間もない頃のことでした。いささか家賃が上がったので生活がきつくなって、しばらく遠出ができないままでしたが、約5か月ぶりに遠出ということで、前日の土曜日から関西圏に出向いてきておりました。
朝早かったので少し疲れ気味でしたが、大阪環状線の電車に乗っていて、年配の方が来られたので席をお譲りしたことを、なぜか、覚えています。
その日何をしていたのかは全く覚えていませんが、とにかく、夕方には京都のその先輩宅に伺っていたことは、確かです。
その日も1泊させていただき、それで、翌日日曜の朝。
よく晴れた日だったように記憶しています。
そのとき、たまたま、先週の初めに起きた事件が、テレビで報道されていました。
広島県三原市の小佐木島にある、
「自称!(~著者注)」情緒障害児厚生施設・風の子学園で、
コンテナに長時間閉じ込められた少年と少女が、死亡したという事件。
この施設の園長は、坂井幸夫という人物で、元海軍整備兵。
この坂井某なる人物がやらかした事件は、戸塚ヨットスクールのような賛否が沸きあがることもありませんでした。
なんせ、その施設を手伝ったこともあるという元校長という方が、この坂井某においては、「教育の「き」の字も、愛情の「あ」の字もなかった」とまで週刊誌に語っていたほどの、「テイタラク」さえも突き抜けた事件でしたからね。
先輩は、その事件を報じるテレビを見て、呆れつつ、一言。
「まったく、とんでもない事件を起こしやがっとるな・・・」
正確な言葉は覚えていませんけど、温厚なこの方がおっしゃるだけに、ただならぬ怖ささえ感じました。
それから私は、その事件の顛末につき、意識して追うようになりました。
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