囃子
「あれ、佐藤?」
声をかけられたのは祭りのさなかでのこと。ちょうど先輩が金魚掬いをやっているのを傍から見ていた時だった。無駄に元気のある声に聞き覚えはあったが、屋台に並ぶ人で混み合う参道ではすぐに見つけられなくてあたりを見回した。それでこちらに手を振りつつ駆け寄ってくるクラスメイトの姿に気が付いた。どのクラスにも一人はいるムードメーカーの男子で、田中といった。
「珍しいじゃん。お前こういうの来ないと思ってたけど」
余計なお世話だとその時は思っていたはずだ。全部の話を蹴っていたわけではないが、ほとんどに現れなかったのは事実だし、完全に自業自得だ。笑い話以外の何物でもない。対して田中の方の察しは良く、すぐに脇にいた先輩の方に目をやった。
「なるほどね、そういうわけか」
何を勝手に納得しているのやらと思っていたが、今ではその考えを改めている。彼は自分よりよほど、この時の先輩のことについて詳しかった。
「おーけい。邪魔しないでおくよ。これが最後ってことなんだろうしな」
最後、という言葉に、自分は訝し気な表情をしただろう。一応、先輩の卒業が段々と近づいてきていて、これから会えなくなる可能性が高くなる、というのは事実だ。しかしこれから二度と会えなくなるというわけではないだろうにというのが、その時の僕の考えだった。
「最後って、どういうこと?」
だからこそ、心の中に生じた疑念を消せなかった。それを一時隠しておくほどの能も自分にはなかった。口の端に上らせたそれは、事情を知っていた田中を困惑させるには十分だったろう。
「おや、確か君は田中君だったかな?」
丁度その時後ろから声がかかって、僕らは先輩の方に視線をやった。右手には金魚が二匹入ったビニールがあった。パッと目には特に何でもない邂逅だったはずだ。それなりに交流のある先輩と後輩が、祭りの中で出会った。たったそれだけのことだ。恐らくいつもの田中であるならば、すぐに柔和な笑みを浮かべてここを立ち去ったことだろう。
でも今回の田中は違った。何せ彼よりも僕の方が先輩とは交流が深かったのだ。彼が知っていて、僕が知らない。そのことは田中を驚愕させるのに十分だったろう。
「先輩、こいつまだ知らないんですか?」
きっと彼も、疑問を消せなかったのだ。そして彼は、先輩の気まずそうな表情でだいたいのことを察したのだろう。僕の肩をたたき、何かを言おうとして、でも結局目を伏せた。
「……がんばれよ。俺は向こうに戻るから」
そのまま彼は、最初に来た方向に戻っていった。彼が何を飲み込んだのかは、今の僕にだって半分も理解できない。でも、飲み込ませたという事がわかるくらいには、成長したと思う。この時の僕はと言えば、疑問を問いただすことにしか目を向けられなかった。
「先輩、何を隠してるんですか」
その時の先輩はさっと顔を背けてしまった。そのままくるりと体ごと、参道の先の方を向いてしまった。夏祭りの目玉の花火は、神社の境内から見ると綺麗だそうだ。
「そろそろ行こう」
参道を行く間、先輩がどんな顔をしていたのかは、今も知らない。そのあとも何人かに声をかけられていたから、少なくとも笑ってはいたのだと思う。でも、それがいつもの先輩の笑みだったとは、とても思えないのだ。
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