潮騒

「女郎よ、なぜ

 一人で浜を彷徨うの?

 女郎よ、恐れぬか?

 海は波風を立てようとしているのにーー

 ああ、ゆらゆらは波じゃなくて

 あたしの美しき衣裳いしょうなのよ

 仮に空は黒い霧に覆われても

 カモメが如く羽ばたきたいな」

               ーーテレサ・テン「潮騒」(1974)


 父はテレサ・テンの大ファンだった。

 まだアイドル歌謡曲路線だったテレサ・テンの歌を、父は聴いていたという。それも、外国語の歌詞の意味さえ分からず、ただただ声に惚れた、というもっぱらの当人の弁。

 物凄く古めかしいCDを父は何枚も持っていた。とりわけ父のお気に入りの一枚のジャケットには「海韻ハイユン」の二文字が刷ってあった。海韻ハイユンというのは、潮騒のことだ。このCDを初めて聴いた時、僕はただ何語か分からない、という素朴な感想を抱いた。

「ガキだな」

 父はそんな僕を、慈しむ目で見ながらそう言った。

「だって、わからないもん」

「そのうち分かるさ。焦らない」

「あせってないよ」

「ところでさ。テツ、おまえ好きな子いる?」

 父は9歳のガキにこのような問いを投げた。

 しかし、ガキはこれでもかというほどひねくれていた。

「なんでそんなこと、いわなくちゃいけないの?」

「さあ、何でだろうね。わしの見立てじゃな、好きな子がいる人こそ、この歌の意味がわかるんじゃよ」

 確かに、父の言う通り道理海韻ハイユンの歌詞の意味が分かるようになった時期、僕は好きな子ができるほどのスケベになっていた。だが、それは「好きな子ができるほどのスケベになった」ことと「歌詞の意味が分かる」ことに因果関係がある、ということには。歌詞の意味が理解できたのは、歌詞の和訳を見た結果に他ならない。だってそうでしょう?洋楽のムードを楽しむが為に、敢えて外国語を習わないという人もいたものだから。

 ともあれ、父のことを思い返す度、僕はやきもきしていた。なぜなら、父はいつも短絡的で、先後関係と因果関係の意味を履き違えるからだ。確かに、原因は結果に時間的に先立つことが多い。しかし、先に起こったからといって、後から起こる任意のことに結びつくとは限らないのではないか。無暗むやみにポストホック分析をして、その一方で結果を吟味せず、思った通りの結果だと勝手に納得する。父はいつもそうだったから、僕はそんな父のことを心底から呆れ返っていた。

「生意気なガキだな」

 長男に対する評価だけは、常に理にかなうものだった。こりゃまた何のこった。

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