第3話 追放先で逢いましょう
ああ、腹が立つ! 私は髪飾りをむしり取って、靴を脱ぎ捨ててベッドにうつ伏せた。
「……あんなに馬鹿にしなくてもいいじゃない」
私はむっくり起き上がると、カウチのクッションを掴んだ。
「落ち込んでるところに、あまりにも無神経!」
ドウッ、と私の拳がクッションにめり込んだ。駄目、全然足りない。
「未来の妻に対するねぎらいの姿勢が足りないっ! 王妃らしくとか言いながらそっちはどうなのよっ! そもそも昔はあんな態度じゃなかったっ!」
勢いよく放ったパンチにクッションが吹っ飛んでいく。そして床に転がったクッションを見ていたら、だんだん思い出してきた。
「あの王子! 昔は泣き虫で私の後をくっついて歩いてたくせにっ!」
それがなんなの、あの偉そうな態度! うおおお、むかつく! 私がクッションに馬乗りになってたこ殴りにしていると、侍女からの遠慮がちな呼びかけがあった。
「あの~リリアンナ様……」
「なにっ!?」
「あ……旦那様から居間にいらっしゃるようにと……」
あ、やっぱりそうなりますよね……?
「お呼びですか、お父様」
「そこに座りなさい」
白々しい顔をして現れた私に、お父様は静かにそう言った。その静けさが逆に恐ろしい。
「事情は聞いた。王子との婚約の破棄だって?」
「はい……」
私がしおらしく答えると、お父様はバンッとテーブルを叩いた。
「なんてことをしてくれたのだ! いくら私でもかばいきれんぞ!」
「……はい」
「ともかく、すぐにでも謝罪に行こう」
「それは……」
ちょっと違うのではないかと思う。婚約を破棄すると言ってきたのは向こうだし、私はそれに同意しただけだし。だが、私の煮え切らない態度に、お父様はいらいらしたようだ。
「いいか、リリアンナ。多少のことは目を瞑れ。これは王家との深い繋がりの為の婚約だったのだ。敵対したいわけではない」
「私だって敵対したい訳ではありません」
「そうだろう。幸い成人後の正式発表となる前だ。たとえ、向こうが考えを変えなくても、こちらから頭を下げれば……」
「それは嫌です。謝るのは向こうです!」
「リリアンナ!」
お父様から叱責の声が飛んだが、私は頑として首を縦に振らなかった。なるべく落ち着いてゆっくりと私は主張する。
「王妃になる方には、もっとふさわしい人がいるはずです」
あの王子の元で一生を暮らすのはごめんだとずっと思っていたのだ。このチャンス、逃すものか!
するとお父様はふぅと大きくため息を吐いた。
「仕方ない。王家には私が詫びを入れに行こう。ただ、その代わり……」
「その代わり?」
「お前はモンブロアの別荘に引っ込んでおれ。そこで自分のしでかしたことを反省しろ!」
お父様はそういうと扉を勢いよく閉めて、居間から出て行った。
「モンブロアって……」
――ド田舎じゃないの。
と言っても正確には首都からとても遠い訳ではない。かつては温泉地として賑わっていた貴族に人気の近郊のリゾートだったのだ。
だが、ある時から温泉が出なくなった。客足の遠のいた観光地は寂れ、人が出て行き、温泉の他に特に名産品もないあそこは、今ではこのシャンデルナゴール家のお荷物領地なのだ。
「まぁ、いいかぁ。それでも」
私がてこでも動かなそうなもんだから、お父様は私をそこに追いやっておいて、王家には娘は反省しておりますとか、心を痛めておりますとか言うつもりなのだろう。
こんな騒ぎを起こして、縁談なんかもしばらくこないだろうし、身を隠すにはもってこい。
そういう訳で、私はモンブロアで一番大きなワーズの街へと『療養』に行くことになったのだった。
***
私は朝早くにこそこそ隠れるようにして馬車に乗せられ、ワーズの街へと向かった。
「ふわぁ~」
こんな朝早くに起きたのは久しぶり、思わずあくびが漏れてしまう。すると、その様子をじーっと見ている向かいの視線を感じる。この本宅の屋敷から同行する唯一のメイド、スージーだ。といっても面識はない。本当は屋敷のどこかですれ違っているのかもしれないけれど、焦げ茶の髪の印象の薄い彼女に、私は見覚えはなかった。
「……失礼」
「いえ」
彼女はとても無口だ。それにまだ年若い少女だ。私が話しかけても短く返答を返すだけ。そう言えばいつも周りで、私を褒め称えていた侍女達は誰もついて来なかった。
「あなたも災難ね。華やかな首都から田舎に連れてこられたんじゃ」
「あ……その、あたしはワーズの出身なので」
そうなの。だから私がよく知らないスージーがお供になったのね。
そのまま馬車は無表情なスージーと私を乗せて、進んでいった。
「うわぁー……」
街に着くなり、私の口からは歓声……ではなく絶望の声が漏れた。
街一番の大通りに人が居ない。舗装の荒れた道には雑草が生え、屋根瓦は破損し、壁の塗装は剥がれている。
「無駄に建物が貴族趣味のデザインなのが哀愁を誘うわ……」
まるで閉園した遊園地、潰れたショッピングセンターのよう。かつては人をもてなすための華々しさが、手入れされずに打ち捨てられてそこにある。
「ずっとこうなの?」
「いえ、あたしの子供の頃は賑わってました。温泉が止まったのが五歳のころで、十二歳になってもこっちには働き口がないので首都でメイドになったのです」
「そう……」
とりあえず、私たちは今後済むことになる別荘へと向かった。ここは全然使われていなかった割には一応きちんと手入れがしてあって、一安心したのだけど。
「ひまだわー」
何もない。友達もいない。つまりやることがない。三日も経たないうちに私は根を上げそうになっていた。
首都なら、気の利いた小物の店に行ったり、宝石みたいなチョコレートボンボンを買ったり、本屋に行ったり、仕立屋に行ったり、お茶会をしたり、いくらでもあるのに!
「い……意外と満喫していたのね、令嬢ライフ……」
あんなに嫌だ、窮屈だって思っていた首都の暮らしが恋しい。ああ、こんな時こそ推しが居れば。推しがいればどこだってそこがハッピープレイスなのに……。
「散歩でも行きましょう」
ごろごろうだうだするよりは少しはましだと、私はスージーを連れて街に散歩に出かけた。
「スージー、案内してちょうだい」
「案内……と申されても」
ちょっと困ったようにスージーはすっと手を伸ばした。
「こちらが、元・ワーズ一の凄腕ケーキ屋さんでございます」
目の前にあるのは廃墟だった。こ、この辺が入り口だったのかな……。悲しい……。
「こちらが元帽子屋、こちらが元花屋、こちらが……」
「ああ! もう大丈夫」
私は思わず叫んだが、スージーは大きな建物の前に駆け寄って、両手を広げた。
「ここが元劇場です!」
「劇場まであったのね……」
「はい、首都から劇団や歌劇や、人気の歌手が巡業に来ていました。向こうの市役所の広場にはサーカスが来ることも」
「そう……寂しいわね」
賑やかな街の記憶があるスージーはもっと寂しいだろう。
これだけ寂れていれば、ただの特段農地に向いている訳でもない山がちな地形だ。禄に税が取れなくなっても仕方がない。
「……スージー帰りましょうか」
「はい」
私は元気を無くしてしまったスージーを連れて、来た道を帰ろうとした。
だが、その時……私の目は信じられないものを目にしたのだった。
「ああああああっっ!!」
「どうしたのですか!? リリアンナ様!」
「まぶしいっ!」
「え?」
道の向こうから、まばゆい光がやってくる。……その色はピンク。ピンクに光に包まれた女の子が歩いてくる姿だった。
「ふあああああ……」
「リリアンナ様!? 何が見えているのです?」
スージーにはこの柔らかな包み込むような慈愛のピンクが見えないらしい。
まさか……これが『メンカラ』? スキルの力だというの?
「あの、大丈夫ですか」
私はいつの間にか蹲っていたらしい。そのピンクの女の子が声をかけてきた。
「
「ええっ!?」
それは可憐で柔らかでお耳に心地良い、素敵なボイスだった。
そして顔を上げると……。
「絹糸のようなストロベリーブロンドの髪、陶磁器のような肌、バラ色の頬、さくらんぼのような唇、マッチ棒が乗りそうな睫、吸い込まれそうな空色の瞳……!」
「えっ?」
わぁ、口から出てしまった。恥ずかしい! それにしても、なんて美少女なの!
私は心臓の鼓動が早鐘のように高鳴るのを感じていた。
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