第186話『後輩たちへのパンケーキ講座』

「はい、というわけでこの人がパンケーキ作りの臨時講師、天見優人先輩になりまーす。みんな拍手ー!」


 小唄がそう音頭を取ると、家庭科室内にぱらぱらと拍手の音が響く。

 集まったのは優人とその助手――兼後輩たちとの橋渡し役としての雛と小唄、そしてメイド喫茶で調理に携わる男女それぞれ数名だ。部活や用事の兼ね合いもあって担当全員とまではいけなかったらしいが、こうして放課後に居残ってまで集まるところには文化祭にかけるクラスのやる気のほどが窺えた。


 しかし、だというのに拍手の音はどうにもまばらだ。

 決して優人が歓迎されてないというわけではないと思うが、彼らからしてみれば面識もない先輩がいきなり講師役として紹介されたことに少なからず戸惑いを感じているのだろう。


 心情については優人も似たり寄ったりな状態だけれども、もちろん今日いきなりこんな場に放り込まれたわけではなく、講師役は前もって小唄たちからお願いされて優人も承諾した。そのための心積もりはしてきたつもりだし、そもそもパンケーキを発案したのだって優人自身なのだ。だからこそ自分の任はしっかり全うしよう……と思うが、やはり緊張するものはするもので、自分の表情が険しくなるのは鏡を見なくても分かった。


「はいみんなー、この人目は怖いしぶっちゃけ無愛想なタイプの人だけど、決して悪い人じゃないからそこは安心してー。近付いたって噛みついたりしないから大丈夫だよー」

「野犬か俺は」

つらだけで言えば野犬の方がまだ可愛げあるっすけどね」

「てめえこの野郎」

「だ、大丈夫ですよ。優人さんは結構可愛いところもありますから」

「そのフォローはなんかズレてるぞ雛……」


 可愛げがあると証言されてもピンと来ないし、そもそもあったところで雛にしか見せない気がする。

 握り拳を見せる雛の力説を今だけは適度に受け流しつつ、優人は改めて自身に注がれる後輩たちの視線に向き直った。


 分かっている。小唄の軽口も、雛の励ましも、この場を少しでもやりやすい雰囲気にするためのものだ。おかげで後輩たちの肩の力も少し抜けたように思えるので、あとは優人の仕事だ。


 咳払いで調子を整え、口を開く。


「三年の天見だ。パンケーキについては俺が勧めたってのもあるから今回は臨時講師を担当させてもらうことになった。一応菓子作りは趣味でよくやってて、色々とアドバイスできることはあると思うから、聞きたいことがあったら遠慮なく質問してくれ。……まあ、講師って言っても別に大それたレシピを教えようってわけでもないから、その点は安心してくれ。とりあえず短い間だけど、よろしく頼む」


 調理台に両手をつき軽く頭を下げる。すると、先ほどよりも大きく、軽快な拍手の音が聞こえてきた。


「よろしくお願いします」

「よろしくでーす。さっそく質問ですけど、天見先輩って空森さんの彼氏さんなんですよね? ズバリお付き合いのきっかけは!」

「すまんが調理に関係ない質問はとりあえず後回しで。ほら、下校時間もあるんだから始めるぞ。とりあえずこっちに集まってくれ」


 女子サイドから上がった黄色い声はやんわりと制し、あらかじめ板書しておいたパンケーキのレシピを指で叩く。

 言い出した彼女も本来の目的を差し置いてまで聞くつもりはないようで、「はーい」と素直に答え、他の人と同じように優人の前の調理台に集まった。


 百聞は一見に如かず。何はともあれまずは手本を示さなければならない。

 何だかんだ言っても一番肩に力が入っているのは自分なのではと内心で苦笑しつつ、調理の際の注意点やポイントの説明を適宜を交えながら、優人はパンケーキ作りを進めていった。








 一通りの実演も終わり、今は男女で二テーブルに別れて実際に調理に入ってもらっている。もし行き詰まるような場面があればフォローをする形なので、ひとまず手が空いた優人は椅子に座って一息ついた。


「一段落ですね」

「ああ。助手ありがとな雛、助かった」

「いえ、そもそも私たちの出し物に優人さんを巻き込んでる形なんですから、これぐらいは当たり前ですよ」

「はは、そりゃそうか」

「……ちょっと疲れてます?」


 微妙な表情の変化に気付いたのか、優人のそばで顔をのぞき込む雛は気遣わしげに眉を寄せた。


「少し緊張してただけだ。……今まで、こんな大人数に見られながら作ることなんてなかったからさ」


 よくて一人か二人、それもほぼ親しい相手に限定される。

 単純に見せる機会なんてなかったのもあるが、過去の苦い経験から無意識に避けていた部分もあると思う。


 優人にとって菓子作りはただの趣味で、それ以上になることはなく、自己完結で済む程度だった・・・もの。だから初対面の複数人からまじまじと観察される状況には、どうしたって肩肘が張ってしまう一面があった。


「……大丈夫ですか? 無理してたりとか、」

「心配ないって。おかげさまでな」


 時々疼いていたかさぶたのような傷も今はすっかり塞がっている。他ならぬ、こうして今も優人を思いやってくれる雛の存在があればこそだ。

 心配故か優人の方にほんのり傾いた雛の頭に手を置き、安心させるようにゆっくりと撫でる。それで雛も表情を和らげると、優人の手の感触に浸るように目尻を緩めた。


「……なんかもう、隙あらばイチャイチャするようになってません?」


 背後からの呆れ声。ばっと手を離して振り向くと、これみよがしに手を団扇うちわにして顔を仰ぐ小唄の姿があった。


「はー、あっついあっつい。最近ちょっと涼しくなってきたはずなんすけどねー」

「いや、その」

「とまあ冗談はさておき、男子の方がヘルプ欲しいみたいなんで頼みます。先輩と雛ちゃんがラブってるせいで声をかけづらかったみたいなんで」

「え゛」


 慌てて男子テーブルに目を向けると、こちらに目を向けていた彼らからさっと目を逸らされた。無意識の行動を目撃されていた事実に、異常に顔が熱を持ってくる。


「じゃ、じゃあ私は女子の方を見てきますね」


 似たり寄ったりで顔を赤くした雛は女子テーブルへ向かうが、そちらも雛を迎えるや否やきゃいきゃいとはやし立てるような声を上げるので、この場のほぼ全員に見られていたと思った方がいいだろう。


「すまん、遅れた」

「いえ、俺らもなんか邪魔したみたいですんません……あはは」

「……気にしないでくれ。で、何か問題でもあったか?」


 テーブルの男子全員から生暖かい笑みを向けられ、穴があったら入りたいという言葉の意味を真に理解する。

 優人はその羞恥心やら居たたまれなさをどうにか抑えつけ、彼らが焼き上げたらしいパンケーキへと目を落とした。


「問題ってほどじゃないんすけど、天見先輩が作ったのよりふっくら感が足りないっていうか。生地の量が少なかったりするんすかね?」

「見た感じ量は大丈夫だな。それに火が強いってわけでもなさそうだし……焼いてる途中で上下をひっくり返す時に勢いつけすぎてるのかもな。強くするとパンケーキが潰れて中の空気が抜けるから……生地はまだ余ってるか?」

「あ、はい」

「ちょっと使わせてもらうぞ」


 もう一度パンケーキ作りを実演する。そして問題の工程でフライパンとフライ返しをコンパクトに操って生地をさっと素早く裏返すと、後輩たちから『おおー』と感嘆の声が上がった。


「確かに天見先輩の言った通りかもしんないすね。俺さっきもたついちゃったからなあ……」

「先輩さらっとやってるけど、型崩れしないように裏返すって地味にムズいんだよ」

「マジそれな。パンケーキなんて簡単に作れるもんだと思ってたけど、極めようとすると難易度高いよな」

「極めるだなんて大げさに考えなくていいぞ。特別なことをやろうってわけじゃないんだから」

「うっす。――時に先輩、つかぬことを訊きますけど」


 急に声を潜め、雛と小唄も加わってより華やかになった女子テーブルの方をなぜか窺うようにしながら、一人の男子は口元に手の甲を添える。


「やっぱ料理が上手い系男子ってモテるんすか?」

「……は?」


 神妙な顔をするから何かと思えば、脈絡のない話に優人はぽかんと口を開く。


「別に俺はモテてるってわけじゃ……」

「でも空森さんを射止めてるわけじゃないすか。鹿島とだって仲良さげですし。作ったお菓子あげたりして仲良くなったんすか?」

「……まあ、きっかけの一つではあるな」

「クッ、時代はやっぱりイケメンかよりも、家庭的であるかの方が重要か……!」

「お前はどっちも微妙だけどなー」

「つか天見先輩って普通にイケメン寄りだろ」

「うるせえぞお前ら!」


 これが彼らのいつも通りなのだろう。言葉こそ辛辣だがギスギスした雰囲気はそこにない。

 ちなみに吠えた彼だが、顔立ち自体は整っている方なのではと優人は思う。言動のせいで三枚目感は否めないが。


「くそっ見てろよ。料理上手になって俺が一番最初に彼女作ってやる……!」

「意気込みはいいけど力は抜こうな?」

「うっす。了解っす」


 モチベーションの源はさておき、やる気のほどは十分なのできっと文化祭本番までには十二分なものを仕上げられるようになるだろう。

 なら自分の役目はそんな彼らの手助けになることだと、優人は講師役を続けるのだった。

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