第71話『結局決めるのは』

 数十分後。


「お前、ちょっとは手加減しろよ……」

「ふはは、獅子は兎狩る時も全力を尽くすってな」

「誰が兎だ……!」


 試合場の床に大の字で倒れ伏す優人の恨み節に、二本の足で毅然と直立した一騎が笑って答えた。

 優人持ち前の鋭い目つきも慣れた一騎には通じることもなく、そもそも情けない今の体勢では余計に効くわけもないだろう。


 しっかりと試合場の外に出てから正座で防具を脱ぐ一騎に対し、無作法は承知の上で

優人は倒れたまま面と籠手を外す。

 途端に開ける視界や重みが無くなったことへの解放感。優人が素人だからというのはあるが、これでは防具というより拘束具だ。

 そしてそんな重苦しいものを着けてもなお、視線の先の友人の動きは速く、強かった。


 攻める箇所は面だけだと限定していたのに、意表を突いたつもりで攻めても容易く反応される上、逆に攻められたら反応が遅れる。

 基本的な立ち回りや足運び、竹刀の扱い等々、自分たちの差を上げたらキリが無い。


 せめて一本ぐらいなんて淡い希望はまさしく斬り伏せられ、こうして惨敗という結果に終わった。


「ほら、起きれるか?」


 剣道着だけになって歩み寄ってきた一騎が、未だ倒れたままの優人に手を差し出す。


「何とか。誰かさんが容赦なしだったおかげでキッツいけど」

「悪かったって。けどその割にはすっきりしたようにも見えるぞ?」

「……まあな」


 優人はわずかに口角を持ち上げた。

 確かに結果だけなら余計にフラストレーションが溜まりかねない負けっぷりだったが、無力な自分をこれでもかと思い知らされたようで、いっそ清々しい気分だった。


 差し出された一騎の手を握り返すと、強い力で引き起こされる。

 いつも竹刀を握っていることがよく分かる、マメの出来たその手。


「一騎、少し訊いていいか?」

「ん? 改まってどうした。別にいいけど」

「お前、確か将来は実家の道場を継ぐんだよな?」

「ああ、そのつもりだ。親父にもガキの頃からそう期待されてたしな」


 以前聞いた話しなのだが、一騎の実家はそれなりに格式高い剣道の道場を営んでいるらしい。その一人息子である一騎は道場を継ぐことを期待されており、小さい頃から剣道の稽古をつけられていたと聞く。


 夢を持たない優人や雛と違い、自分の進む先が最初から半ば決められていたような人生。

 それはまた、別の意味で苦しいこともあるのではないか。


「……そんな風に期待されるのってさ、実際どうなんだ?」

「どうってまた漠然とした質問だな。んー……でも、そうだな……小学生の頃とかは本気で嫌になってた時もあったな」

「そうなのか?」


 訊いといて何だが、正直意外な返答だった。

 一騎と知り合ったのは高校に入ってからだが、その頃から剣道には自ら意欲的に取り組んでいたと記憶している。剣道を嫌いな時期があったなんて、あまり想像がつかない。


「当たり前だろ。剣道なんざ夏は暑いし、冬は寒い。痛いのなんて日常茶飯事だし、思うように勝てねえことだってざらにある。ホント、何で俺はこんな苦しい思いしてんだろうなって思って、いっそこんな家から出てってやるって真剣に考えたこともあるぜ」

「今は?」

「嫌々やってるように見えるか?」


 竹刀を一閃。鋭い風切り音と得意げな表情からは、後ろ向きな感情は微塵も感じられなかった。


「じゃあ、どうしてそんな風に思えるようになったんだ?」

「んー、一口には言えねえけど……まあ、味を占めたってのが大きいかもなあ」

「味を占めた?」


 要領を得ない言葉に優人は首を傾げた。


「大会とかでよく当たる、まあライバルみてえな奴がいるんだけどよ、小さい頃はずっとそいつに勝てなくてな。だから、初めて勝てた時はすげえ嬉しくて……本当の勝利の味ってのを知ったんだ。そんでもって、一度知ったらまた味わいたくなって、気付いたら本気で剣道にのめり込んでたってわけよ。それに今は、剣道やってる俺をカッコいいって言ってくれる相手もいるしな」

「なるほど」


 その相手とやらは、一騎の彼女であるエリスで間違いないだろう。

 相槌を打った優人が考え込むように目を閉じると、一騎はそのすぐ近くに胡座をかいた。


「何だ、お前の悩みって将来についてか?」

「まあ、そんなところ」


 自分のもそうだが、今は何よりも気がかりなのは雛のこれからだ。

 何か解決の糸口でも掴めるかと思い、こうして一騎から話を聞いてみた。


「夢とかやりたいことってさ、どういう風に見つかるもんなんだろうな?」

「まあ、難しいもんではあるよな。ぶっちゃけ人それぞれとしか言えねえし。……けど何がどうあれ、一番大事なのは自分自身で決めることだと思うぞ」

「自分自身で?」

「ああ。俺なんか、きっかけ自体は親から与えられたもんだけど、結局は自分で選んで、納得して今の道を進んでる。色々と悩んだり躓いたりしたって、最後の決定権は自分で握らないとだろ」

「……そうか、そうだよな」


 言われてみれば当然の話に、胸にすとんと落ちる感触を覚えた。

 雛に向かうべき先を示してやらなければと、ずっとそんなことばかりを考えていた。それはきっと間違いではないかもしれないけど、たぶん正解でもない。

 一騎の言う通り、雛が、自分の意思で決めなきゃならないのだと思う。


 なら、何ができる。

 何ならしてあげられる。

 自分に、やれることがあるとすれば――。









 その日の夜。


『話したいことがある』


 決意を込めたそのメッセージを、優人は彼女へ送った。

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