空中監獄

@qunino

空中監獄

 囚人番号28号は、刑務官の隙を伺っていた。先週の風呂の時間には、着替えの際に隙があったのだが、この日は、どうもなさそうだった。28号は、半ば諦めかけていた。また来週の機会にと思っていたが、周りの囚人たちの着替えが、予想以上に早く終わり、更衣室には28号だけになっていた。28号は、周囲に目を光らせる。刑務官たちは、全て廊下側で待機しているようだった。

 風呂場の高窓には夕日が当たってオレンジ色に染まっていた。28号は、予てから目を付けていた。壁のタイルの出っ張りに手をかけて、壁をよじ登り始めた。思った程、滑ることもなく、高窓までたどり着いた。窓の外には、隣の建物の隙間から夕日が差し込んでいた。

 28号は、窓枠に手をかけて、窓の外に顔を出した。風呂場の湯気がなくなり、心地よい風が28号の頬に当たった。隣の建物には、ジャンプしても届きそうもなく、一旦下に降りて、まだ壁を上るしかなさそうだった。風呂場の窓枠の出っ張りの上にしゃがみ込み、考え込んでいる28号。背後に人の気配を感じて咄嗟に振り向く。

「28号、俺だよ31号だよ。お前の動きが怪しいと思っていたが、やっぱりそうだったか」

「お前、俺の後をつけてきたのか」

「水臭いぜ、俺も仲間にしてくれ」

「しかし、刑務官に気付かれなかったか」

「大丈夫だ。28号に迷惑をかけないように注意したきた。でどうする」

31号は、風呂場の外壁の雨どいと隣の建物の雨どいを見ていた。

「雨どいは、しっかりとしているから、これを使おう」

28号は、雨どいをつかんで、下に降りていく。28号が下に着くと31号も降り始めた。すぐに28号は4mほど離れた隣の建物の雨どいを上って行った。


 28号は隣の建物の屋根に這い上がった。28号は、そのまま屋根の反対の傾斜部分に向かおうとしたが、31号が、手を貸してくれというので、手を貸してやった。28号と31号は、屋根の頂点まで上り、周囲を見回す。夕闇がかなり濃くなってきていた。

「ちょろいもんだな、後は、この屋根を降りれば、多分、塀の外だろう」

31号は、嬉しそうにしていた。28号は、屋根の下方に目をやり黙っていた。

「31号、塀の外は空だ」

「なんだって、そんな馬鹿な」

31号も屋根の下方を見る。

「ここは浮遊監獄なんだ。だから警備が手薄なのか」

28号は、全身の力が抜けてしまった。

「塀の向こうは、パラシュートでもないと無理なのか。えっ」

「こうして呼吸ができるのだから高度はせいぜい4000から4500mぐらいだろう」

「入所した際に、頭痛があったのは、このせいか」

「ここから生きて戻ったものはいない。刑期を務めて殺されるか、飛び降りるしかないのか」

28号はため息をついた。

「もしかすると、ここが悪名高い日本人絶滅収容所か」

31号は、天を仰ぎ見ていた。

「たぶんそうだ。東アジア共同体が、日本政府のでっち上げって言っていたものだろう」

「だから左翼の批判記事を書いただけで投獄ってわけか」

「31号、お前もそうだったのか。俺はてっきり人殺しでも…、まあ、とにかく、なんとしてでも、生きてここから脱出して、この事実を暴露しなければならない」


 夕日は完全に姿を消して、星々が輝き出していた。28号と31号が脱走したことは、わかっているはずだが、行き場などどこにもないので、警報などは一切なっていなかった。28号と31号はまだ屋根の上にいた。

「31号、どうしてこの監獄は浮遊していられるのだろう」

「そんなこと、俺がわかる分けないだろう」

「もし浮遊板のようなものがこの監獄の下に敷き詰められているのなら、それを剥がせないかな」

「浮遊板?だいたいそんなものあるのか」

31号が首を傾げているが、28号も首を傾げていた。

 28号と31号は、再び雨どいを伝わって、浮遊監獄の人工地盤の上に立った。

「俺は、てっきり地上にいるものだと思っていたよ」

31号は、人工地盤の土地を素手でほじくり返していた。

「この人工地盤の下の施設に潜り込めないかな」 

28号は、風呂場の建物と隣の建物の間の隙間を注意深く見てから、上を見上げた。

「仕方ない、もう一回風呂場に戻ろう」

「28号、お前は、脱獄をもうあきらめるつもりか」

「いや、刑務官たちも脱走現場に再び戻るとは思わないだろう。案外手薄かもしれない」

「一理あるかもな」

 

 28号と31号は、高窓から差し込む星明りと月明りしかない、風呂場に降り立った。二人は、用心しながら、更衣室を抜けて、内側から鍵を開け、廊下の様子を垣間見ていた。

「この廊下の斜め向かいにあるボイラー室に入れないかな」

28号が言うと、31号も少し開いた扉の隙間から外を覗いた。

「あぁ、大勢こちらに向かってくる足音がするぞ」

28号は、素早く扉を閉め、更衣室に隠れられる場所はないか探す。

「この時間は、確か女囚の入浴だろう」

31号は、ちょっと嬉しそうな顔をしていた。

「でも若いのばかりじゃないからな。それよりもあの天井板、取れそうだぞ」

28号は、苦笑していた。素早く二人は更衣室の棚の上に乗り、天井板を外した。

 女囚たちが更衣室に入って来る。天井板が間一髪、元の位置に戻った。28号たちは、天井板越しに、下の様子を見ていた。

「28号の言う通りだ。オバハンばかりだよ」

「おっ、シャワーのお湯が温いと言っている。今だ」

28号は、天井板をずらして、下に降りていった。31号も仕方なく、後に続いた。28号は、更衣室を出て、ボイラー室に飛び込んだ。ほんの少し遅れて、31号もボイラー室に入ってきた。

「絶妙なタイミングだな。神が与えてくれた奇跡の瞬間だぜ」

31号は、ニヤついていた。ボイラー室のドアノブが回る。28号と31号は、とっさに配管の影に隠れた。

 女性刑務官が二人入ってきた。

「全く、11号はクレーマーだわ。ちょっとぐらい我慢しろってんだよ」

女性刑務官の悪態が聞こえてきた。

「主任、どうせ、やつらはガス室で悶え苦しむのですから、言わせておきましよう」

「それもそうね。あたしたちは、汚れ仕事をやっているから、高給取りだしね」

「主任、点検しましたから行きましょう」

 女性刑務官たちは、ボイラー室を出ると鍵を閉めた。 

「前ここの掃除をさせられたから知っているが、確か換気ダクトが…」

28号は、壁に備え付けられた金属の格子を外していた。


 28号と31号は、流れ込む風量が多いダクトの中を進んだ。

「真っ暗で、どっち上だか、よくわからない」

31号は、両手でダクト壁を触っていた。

「落ちていく方が下だよ」

28号は、言った直後、ダクト内を滑り落ちて行った。ダクト壁にぶつかりながら28号は落ちて行き、金属の格子にぶつかって止まった。

「28号、大丈夫か」

ダクトの遠くの方から31号の声が聞こえてきた。28号は、ずいぶんと下に落ちたものだと痛感した。金属の格子の下には、夜景が広がっていた。

 しばらくすると31号が28号のもとにたどり着く。

「ここが浮遊監獄の最下層ってわけか」

31号は、金属の格子の下を恐々覗いていた。

「ここから下は、パラシュートでもないとな」

「28号、お前は気が付かなかったかもしれないが、ダクトは途中でいくつか別のダクトとつながっていたぞ」

 

 28号は31号に導かれて、別のダクトをたどり、浮遊監獄のメンテナンス倉庫に入った。

「建物補強フレーム、ロープ、壁面ボード、緊急用の発電機はあるが、肝心のパラシュートはどこにもないな」

31号は、フレームを軽く蹴飛ばしていた。

「いや、その壁面ボードは、ソケットがあるぞ」

28号は、腕組をしていた。

「28号、あそこを見ろよ、この倉庫からさらに下に通じる階段がある」

31号は、倉庫に転がっていた懐中電灯で照らしていた。28号と31号はその階段を降りて行った。


 「このハッチを開ければ、多分外に」

28号は、ハッチの留め金を外す。ハッチが開き、下界の夜景が見えた。風がハッチから吹きあがってくる。28号は31号に足を持ってもらい、ハッチから首を出して、監獄の底面を見ていた。

 「あの壁面ボードは浮遊板かフロートパネルだろう、行けるかもしれん」

28号は、一旦、首を引っ込めて、ハッチを閉めた。

「どう行けるんだ」

「底面の浮遊板パネルは簡単に外れるし、電源から切り離されても、すぐには落下しない。徐々に落ちていく」

「それじゃ、あの壁面ボードがパラシュート代わりになるのか」

「ただ、人ひとりを乗せるとなると、2枚は必要だろう」

「二人で4枚ってわけか、しかしどうやって4枚をくっつける無理だ」

31号は、絶望的な顔をしていた。

「いや、あの補強フレームをロープでくくりつけけば、なんとかなる」

28号が言うが、31号は、半信半疑の表情を崩さなかった。


 緊急用発電機を作動させ、28号がフロートパネルの電源ソケットにケーブルを挿す。1時間程で、フロートパネルは浮力で天井まで浮き上がってしまった。28号と31号は、4枚のパネルをフレームにくくりつけ、電源ソケットつけたまま、ハッチの外に出した。

 ハッチの下には、4枚のフロートパネルがあり、魔法の絨毯のように浮いていた。

「28号、これでソケットを外してもすぐには落ちないのだよな」 

「ここまで、来たらやるしかない」

28号は、ケーブルを引き抜こうとした。

「28号、やけに下が暗くないか」

31号が下を見ているので、28号も下を見た。

「さっきは確かに夜景が見えたが、今は、何もない、海のようだ。この監獄は動いているのか」

「今ここで下に降りてもだ。海では、助かる見込みは低くないか」

「うーむ」

28号は4枚のフロートパネルをハッチの中に戻そうとし始めた。


 最終収容所所長の林は、所内の監視カメラの映像を16分割した画像にして監視していた。

「脱走シミュレート・プロジェクトは、こいつらの行動次第で、面白みを増すな」

「所長、それはもう、その通りでございます」

副所長の柳が応えていた。

「こいつらの動きが今後の脱獄防止に役立つと良いのだが、特に目立った動きはなさそうだ」

「所長、後は私が監視を続けますので、面白い動きがあったら、ご連絡申し上げます」

「わかった。よろしく頼む」


 28号と31号は、ダクトを伝い食料庫に忍び込んでいた。

「腹が減っては、戦はできんからな。31号、なんか目ぼしいものはあったか」

「パンがあるだけだ。後は調理が必要な食材ばかりだ」

「こっちも、米粒ぐらいだな」

31号は、懐中電灯を消すが、廊下側から漏れる明かりで、真っ暗にはならなかった。28号と31号は、パンを食べるが、飲み物がないので、喉につかえていた。28号が、冷蔵庫を開けると、料理用のワインがあった。

「こんなもの使って、料理を作っているのか」

28号はワインの瓶を持ってくる。

「これは、所長たちの料理用だろう。俺の舌では、一回もワインの味や風味を感じたことがなかった」

「31号は、食通なのかい」

「ワインを使った料理かそうでないかは、わかるぜ」

31号は、ワインの瓶を28号から渡されていた。

 「さてと、そろそろメンテナンス倉庫に戻るか」

28号は、立ち上がった。

「いや、誰か来る」

28号はすぐにしゃがみ込んだ。足音は、食料庫の前の廊下を進んでいた。

 「B2の備品室の非常用パラシュートの点検は済んだか」

男の刑務官の声がしていた。

「はいチーフ、済んでいます」

「さすがに手早いな」

刑務官たちは、食料庫の前を通り過ぎて行った。

 28号と31号はニンマリとして、ダクトに戻って行った。


 備品室のダクトから這い出す28号と31号。

「もっと前から、ここにパラシュートがあるってわかったら、フロートパネルを充電したりせずに、陸地にいる

間に飛び降りられたのにな」

31号は、パラシュートの入っているロッカーを開けていた。

「しかし、ラッキーだったな、食料庫に行かなかったらこんな情報は手に入らなかった」

28号もロッカーの中を覗き込むが、なんとなく、備品室のドアの方が気になり、見つめていた。28号は、ドアの網目ガラス越しに外の廊下を見る。備品室側の壁の赤いLEDが点滅していた。

「31号、まずい気がする。パラシュートはそのままにして、ダクトに戻ろう」

「どうした。大丈夫だって」

31号が言い終えないうちに、廊下を駆けよって来る足音がした。28号と31号は顔を見合わせると、ダクトに滑り込んだ。

 金属の格子パネルが閉まりかけているところ、備品室のドアがられ荒々しく開けられ、スタンガンを手にした

刑務官たちが殺到した。

「主任、どこにもいません」

刑務官の一人が開けられたロッカーを目にして言っていた。

「逃げ足の速い奴らだな。またどこかに逃げたか。これからはこのダクト内にも監視カメラが必要だな」

主任刑務官は、備品室の金属格子パネルを蹴っていた。


 ダクト内の分岐点に差し掛かった28号と31号。

「メンテナンス倉庫に戻るか。あそこにもどこか監視カメラがあるんじゃないか」

「どうだろう。泳がせて楽しんでいるのかな」

28号は、首を軽く傾げていた。

「でも、あそこにいる間は、発電機を使っても何も起きなかった。もしかするとないのかもしれない」

「用心深い28号がそういうなら、たぶんそうなのだろう」

31号が、先にメンテナンス倉庫に向かい始めた。


メンテナンス倉庫で一夜を明かした28号と31号。まずハッチを開けて、下界を確認すると、一面の森が広がっていた。

「陸地だ。ここなら溺れることはないだろう」

28号は、目が輝いていた。

「なんか、ずいぶんと広いから、日本ではないよな」

31号は、仕方ないというような顔をしていた。


 再び緊急用発電機を作動させ、28号がフロートパネルの電源ソケットにケーブルを挿す。1時間程で、4枚つなげたフロートパネルは浮力で天井まで浮き上がった。電源ソケットつけたまま、ハッチの外に引っ張り出した。

 ハッチの下には、フレームに括りつけられた4枚つながったフロートパネルがあり、魔法の絨毯のように浮いていた。

「28号、これでソケットを外してもすぐには落ちないのだよな」 

「ここまで、来たらやるしかない」

28号は、ケーブルを引き抜いた。フロートパネルは、28号と31号を乗せたまま、浮いていたが、数秒後、ぐぐっと下がった。またしばらくするとくぐっと下がる。断続的に高度を下げるフロートパネル。

 しばらくすると高度は3000mぐらいになったが、地面までは遠かった。徐々に落ちる距離が大きくなっていった。

「28号、いつまでもつと思う」

31号が言った瞬間、フロートパネルは、落下し始め、今度は止まらなかった。

「まずい、あぁ、」

28号は落下の加速度に思わず声が出てしまった。

 フロートパネルが傾き、28号と31号は、落とされまいとパネルにしがみつく。

「俺が、こっち側に回り、重心をとれば、少しは平行になるだろう」

28号が、しがみついている位置をずらすと、パネルは、若干平行に近くなった。それでも、パネル自体は、スカイダイビング程ではないにしても、どんどん落下していた。28号たちは、妙な浮遊感覚にとらわれていたが、このまま落ちれば、地面に激突することは間違いなかった。

 「一人なら助かるだろう。俺の方が体重がある。必ずこの事実を知らしめてくれ」

31号は、ぼそりと言い出す。31号は全てを達観したような落ち着いた表情であった。

「お前、まさか」

28号は、31号の腕をつかもうとするが、するりとすり抜けていく。

「31号!」

28号が叫んでいる下方へ31号は落下していった。

 28号が乗っているフロートパネルは、落下速度を緩めたものの、落下はしていった。4枚のフロートパネルをくくりつけていたフレームのロープが緩み始めた。28号は、それに気が付き、結び直そうとするが、動いたことによって、バランスを崩し、パネルが45度近くに傾き、落下速度を速めた。

 28号は、一瞬諦めかけたが、31号の顔が浮かび、ロープを手早く結び直し、渾身の力を込めて、パネルを平行行に戻そうとした。28号の努力が報われ、パネルは、平行状態になる。しかし、束の間、4枚のパネルのうち、1枚がフレームから外れた。その拍子にパネルは傾き、28号は落ちそうになった。必死に残りのパネルをつかみ落下していく。もう地面はかなり近くにある。黒っぽい森が迫っていた。3枚のパネルは最終的に森の木々の上に落下し、28号は、枝で血まみれになりながら、地面にたどり着くことができた。

 この落下現場の近くには右側通行の道路があり、28号がよろよろと森から彷徨い出ると、たまたま通りかかったトラックに拾われ、救われた。



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