第2話 1人と2人
【1人と2人】
朝日がカーテン越しに少女のやわらかく優し気な顔を照らす。
うっすらと目を覚ました少女は欠伸をしながら目を擦り、時計を見る。
午前6:49。
目覚ましが鳴る1分前だった。
「今日はラッキーな予感……。」
少女は囁くように1人事を言って目覚まし時計のアラームをオフにする。
寝ている間にくしゃくしゃになった艶やかな茶色い長髪を手で解きながら、まだ少し重い体を引きずってベッドを降りた。
少女は今年、晴れて高校1年生になった。
なんと、小学校からの幼馴染の男子が偶然同じ高校に入学して、同じクラスだった。なので、入学式で彼を見つけてから、少女の精神は他の入学者と比べて安定していた。
そんな一幕を終えて時はたち、はや6月下旬。梅雨真っ只中である。
勉強はそこそこ。友達関係は良さげ。幼馴染とも一緒。少女的には充実した日々を送っていた。
「今日6月21日は夏至で、北半球では1年間で最も昼が長い日です。しかし、近年では夏至の時期のずれが大きくなってきていると……」
私は身支度を済ませてリビングに入ると、テレビのアナウンサーが今日のニュースを朗らかに伝えていた。
「おはよ。」
「おはよう。胡桃(くるみ)。」
すでに朝食の準備を始めていた母は、キッチンで目玉焼きを焼いている。
私は食パンをトースターに入れ、テレビ前のソファーに腰掛ける。
「今日は日が暮れるのが遅いのねー。」
母がベーコン付きの目玉焼きとオレンジジュースを持ってきて、食卓の私の席にコトンと置いて言う。
「部活、楽しいからってあんまり帰るの遅くなっちゃだめだからね。」
「はーい。」
母はキッチンに戻りながら、パン焼けてるわよーっと付け足す。
私はソファーを立ち、こんがりと焼けた食パンをトースターから取り出して白いお皿に乗せる。食卓に座ってすぐにバターをぬり、少し待ってから、
「いただきまーす!」
まずは食パン。外はサクサク、中はふわふわ。バターの塩味がほどよくて最高。
次に目玉焼き。黄身の部分が半生で、割ると黄身があふれ出す。白身の部分やベーコンに黄身を絡めて食べると、とろっとしておいしいのだ。
「ごちそうさまでした!」
午前7:30
――ピピッ――ピピッ――ピピッ
平松家の左隣りの家で目覚ましが鳴り始めた。
少年の部屋は日光が胡桃の家に遮られ、起きるには目覚ましか感覚が頼りだ。
しかし、夏は日陰となりやや涼しい。やや。
――カチッ
少年は目覚ましを止め、寝ぼけながらもしっかりとした足取りで洗面所へ向かった。
どこかまだ幼げな雰囲気が残る顔を洗う。少年は綺麗にそろった歯を磨き、頭の右上で大爆発している寝ぐせに水をかけて押さえつけた。
俺はリビングに入ると母が朝食を食べながらテレビニュースを見ていた。
「おふぁよぅ~。」
俺に気づいたのか、パンを食べながら横目で挨拶をしてくる。
「……おはよう。」
口に含んだまま言うものだから、言葉を聞き取るのが少し危うかった。
俺は白い皿を取り、生食パンを乗せてメイプルシロップをかける。透き通って黄金色のネリ飴の様なシロップがパンに広がる。
皿を持って母と同じソファーに座り、こぼれないように注意してかじりつく。
うん。シロップ最高。ふあふあの生食パンも美味しい。
ずっと同じ様なニュースが続いてつまらないのか、母はテレビのチャンネルを色々と切り替え、2周ほどして1つのニュース番組に決めた。
テレビに最近話題になっているゲームのイラストが映し出される。
左上には「新世紀のゲーム機、発売から半年」と書いてある。
「新感覚のVRゲーム機が発売されて半年。世界中のゲームプレイヤーから感動の嵐です。株式会社すたーズが去年に発表、発売した、フルダイブ、略してFD機能搭載の新しいゲーム機〈FDキー〉。ヘルメットやゴーグル、ヘッドホン、イアホンなど、姿は様々で、ゲーム以外にネットサーフィンなどにも―」
「これ、楓翼が買ったやつでしょ~。もうやったの?」
最後の一口でパンを食べ終えた母はテレビを見たまま俺に話しかけてくる。
「まだ1ミリも。今日、帰ってきたらプレイするつもり。」
少年―改め楓翼は母親の自慢の息子だ。幼い頃から家事を積極的に手伝い、洗濯や掃除、最近では料理までこなせるようになっていた。
午前8:00
「時間か。」
「今日は私がお皿洗っとくから置いといて~。」
俺はソファーを立ちパンくずの乗った皿を水で軽く流してカバンを肩にかけ、玄関に出る。
「いってらっしゃい~!」
「いってきまーす!」
玄関からリビングへ向かって返事を返す。わざわざ見送りに来ない点が山下家の母親らしいなと思いながら昨日買ったスニーカーを履き、ドアを開けて外に出ると同時に右隣りの家からも人が出てきた。
楓翼の澄んだ黒色の目と、彼女の鮮やかな茶色の目が合う。
「楓翼くん。おはよう。」
「おはよう。胡桃さん。」
2人は笑顔で挨拶をして肩を並べる。
胡桃さんとは小学生からの幼馴染で、家が隣ということもあり仲が良い。今となっては、2人で登下校するのが日課となっている。
梅雨入りを過ぎた不安定な空の下、2人は高校に向かって歩き出した。
朝に交わす言葉は少ない。それは無言だから、でもなく、話が繋がらないから、でもなく、気まずいからでもない。
単純に家から学校まで信号を挟んで徒歩5分と近すぎるからである。
「あ!靴、新しくしたんだ。」
信号を渡り終え制服に身を包んだ、少年の横に並んで歩く長い茶髪の少女、胡桃が言う。
言われた濃い黒髪の少年、楓翼はオレンジ色のラインが入ったピカピカのスニーカーを履いていた。
「ああ、前に履いてたやつは窮屈になったからな。」
「そうなんだ。とっても似合ってるよ!」
私は満面の笑みで親指を立ててグットポーズをする。
「ありがとう。」
楓翼くんは少し照れたように頭の後ろを掻いた。
一見冷静で無感情に見えてしまう楓翼くんだけど、実は結構かわいくてかっこいい事を私は知っている。
思ったことを不用意に口に出さない楓翼くんは、小中学校の頃に何考えているのか分からないとよく言われていた。
だけど、ずっと一緒にいた私には少しの表情の動きや仕草で何を考えているのかが少し分かる。お陰で観察眼が鍛えられましたぁ。
――チリン、チリン。
私たちと同じ制服を着た男子生徒が自転車で横を通り過ぎる。
目の前には今年から通学し始めたばかりの高校の正門が私たちを待ち構えていた。
「おっはよ~っす!」
高校の敷地に入った直後、後ろから背中をポンと叩かれる。
私の頭1つ分くらい背が低くて茶髪混じりの黒髪でツインテールがお似合いの私の友達、夏葉(なつは)だった。その短いツインテールの結び目からは、それぞれひとまとまりずつ結ばれていない髪が風になびいている。
夏葉とは登校初日に席が前という事もあって仲良くなった、高校生活最初の友達。家の方向が違うから登下校は一緒じゃないけど、毎朝正門で会って一緒に教室まで行く。
「おはよう。」
「夏葉、おはよう。今日も朝から元気だねぇ。」
私の両肩に手を乗せたまま夏葉がひょっこりと横から顔を出して、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「何をおっしゃる。お2人とも朝からそんなにくっついて、アツアツじゃないっすか。」
「へ?」
「ん?」
ボッと2人の顔が赤くなる。
「「そ、そういうことじゃないから‼」」
午前中の授業が終わり、昼休み。
朝は曇っていたのにもかかわらず、空は晴れていた。せっかくだし外でお弁当を食べようという話になり、私たちは学校の中心に在る中庭へ向かっていた。
「はぁぁ~。やっと昼休みっす。疲れたぁぁ~。」
朝とは打って変わって元気なさげに、猫背で腕をだらしなく伸ばしながら歩く夏葉。
「同じく。」
楓翼はしっかりとした足取りだが、顔に疲れが滲んでいた。
確かに今日は、どの教科も少しハードな授業内容だったと私は思う。
ややこしい数式が一気に3つも出てきて1時間目から気力をそがれ、科学があーだこーだで、どんだけ覚えればいいんだ歴史人物。国語の教科書のお話が良すぎて読みふけり、ハイ何でしたっけ先生状態。
「う~ん。先生たちのあの慌て具合。これはもうすぐ抜き打ちテストが来るねぇ。」
私は探偵の様に顎に手をあてて推理する。それに楓翼くんが答えた。
「それは不味いな。今日やったところがまだ理解できてない。というか、来るのがわかたら、最早それは抜き打ちじゃなくないか?」
「「確かに。」」
「でも、どんな内容が出るか分からないから、まだ抜き打ちっす!」
「「確かに。」」
そんな戯言を3人でぬかしていると。
「……。……。」
中庭へ続く廊下の角から、目を隠すほどに前髪の長い男子が私たちの横を通り過ぎた。その目は警戒してこちらを睨んでいるように見えた。
その男子が通り過ぎてから私は小首を傾げる。
「隣のクラスのやつだな。同じ1年生だ。」
「なんか怖そうな雰囲気っすね。」
確かにそう見えるだろう。しかし、胡桃が引っかかっている事は別にあった。
――あの人、どこかで見たような。
胡桃はあの少年の事を思い出せなかった。
角を曲がって、緑豊かな中庭に入る。
真ん中と4隅に紅葉が植えられており、生えそろった芝生が広がる地面には、モダンなレンガ造りの歩道が敷かれている。
私たちは入ってきた所のすぐ右側の木の下でお弁当を食べることにした。
青々とした葉を沢山つけた夏の紅葉。それを囲むレンガに3人で座る。
「お~!コーンライスじゃないっすか!おいしそう……。」
私がお弁当の蓋を開けると、夏葉がよだれを垂らして目を輝かせる。
「いいでしょー。今度、夏葉の分も作ってあげようか?」
「本当っすか⁉ありがとうございます!」
私はコーンライスとおかずの入ったお弁当と、デザートのりんご。
夏葉は、白いご飯とおかずが所狭しと詰まっている一段弁当。
楓翼くんはおにぎりだけ。梅干し、辛子明太子、ツナマヨの3つ。
「楓翼くん、それだけで足りる?私のおかず、分けようか?」
「大丈夫。これで腹8分目くらいだから。あんまり食べ過ぎても良くないしな。」
「そう……。まぁ、お腹が空いても部活まで待てば良いよね。」
そう言って胡桃は部室を思い浮かべる。特に棚を。
「あ、そうだ!写真撮ろうよ!せっかく晴れてるし!」
「いいっすね!梅雨に晴れる事なんて滅多にないっすもんね!」
そう言って夏葉はポケットからスマホを取り出し、カメラアプリを起動する。
カシャっと乾いた音を立てて、3人ともお弁当を膝に乗せてレンガに座っている写真がデータとして保存される。
「ありがとう、夏葉。それじゃ、ご飯食べよっか!」
のどかな時の中で、中庭の景色を見ながら私たちはお弁当を食べる。
「ねぇ、あれ買ったー?最近リリースしたっていうゲーム。」
「異世界に入り込めるっていうあのMMORPGでしょー。UFOだっけ。」
「そうそう。それー。」
私たちの前を、女子生徒2人が話しながら通り過ぎる。
「そういえば、胡桃さんはUFO買った?」
楓翼が女子生徒の会話を聞いて思い出した様に言う。
「へ?本物は売ってるところすら見た事ないよ?キーホルダーなら持ってるけど。」
「あ、そっちじゃなくてユニーク・ファンタジー・オンラインの方だと思うっす。」
景色に見惚れてボーっとしていた胡桃は未確認飛行物体の方だと勘違いしていたらしい。
「あ、ああ!そっちね!買った買った!今日届くはずだよ。」
胡桃は恥ずかしさからか、少し頬を赤らめて慌てて言う。
「私も買ったっすよ。」
「俺はつい昨日にプレイヤーと一緒に届いんだ。いつかみんなでやろうな。UFO。」
「乗るんじゃなくてっすね。」
夏葉が悪ふざけをするものだから、私はぷくーっと頬を膨らませた。
そうして、丁度デザートのりんごを食べ終わった時のこと。
「すみません!情報部の者です!1年生の方々ですよね!1つだけ、インタビューよろしいでしょうか⁉」
活気に満ち溢れたマル眼鏡の情報部員の先輩が、メモ用紙とシャープペンシルを右手に、木製の下敷きを左手に持って勢いよく現れた。
「ひ、1つだけ……?なんでしょう?」
その勢いの凄さにたじろきながらも私は返答する。
たった1つだけとは。いったいどんな質問をされるのだろうか。
「はい!ありがとうございます!では、インタビューさせて頂きます!就職ではなく進学を選択し、入学してから早2ヶ月。この高校についての感想を聴かせて下さい!」
以外にシンプルだった。
「え、えーと。中庭があるところがいいと思います!もみじが植えてあって、紅葉したらきっと綺麗な風景が見られるんだろうなと思っていて、とても秋が待ち遠しいです。それに、生徒たちの憩いの場になっていてリフレッシュに最適だと思っています!」
私が話している間に、マル眼鏡の情報部の先輩は目にも止まらぬ速さでメモを取る。
その手元を、夏葉と楓翼が後ろからひょっこりと覗く。続けて私も。
「「おお……。」」
「なっ……‼」
3人は驚愕した。
メモ用紙には綺麗な字で私が言った事が細かく書かれており、丸で囲んだり、私が強調したところに波線を引いていたりして分かりやすくまとまっていたのだ。
「こ、これが先輩の力……!」
「胡桃さーん。どっかの中2病みたいな事言わないでくださーい。モノマネしてるのは分かってるっすけど、上手すぎてキャラが崩壊してしまうっすよー。」
右目を押さえ、肘を左手で支えるポーズの胡桃。
それを見ていたマル眼鏡の情報部の先輩は小さく笑った。
「ありがとうございます。僕、情報部に入ってからまだ1年しか経ってないですけど、皆さんのインタビューや高速で進む部活会議のメモなんかで、いつの間にか特技になっていたんです。」
そう言って、マル眼鏡の情報部の先輩は頭の後ろを掻いた。
「凄いですね。努力の結晶だ。」
メモを見ながら、楓翼くんは尊敬したように言う。
「皆さん、突然のインタビューに答えて下さりありがとうございました!それでは!」
私たちに丁寧なお礼をして、マル眼鏡の情報部の先輩は私たちの来た方向へと姿を消した。
授業開始5分前のチャイムが中庭に設置されたスピーカーから鳴る。
それは、のどかな昼休みが終わる事を意味した。
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