60 精霊王イヴ


 降り注いだ無数の矢。


 数え切れない程の矢が天から放たれ、次々と地面に突き刺さる。地面に突き刺さった粉塵で辺り一帯が覆いつくされ視界が悪い。辛うじて確認出来た最後はエミリアの防御壁が砕け散った瞬間と、そこから俺達目掛けて降ってきた大量の矢の切っ先だった。


 ――ズガガガガガガガ!

 数十秒、いや数分は続いただろうか。全ての矢が降り終わり、場は一瞬にして静寂に包まれた。辺り一帯は粉塵が巻き上がって何も見えない。


 そんな状況が少し続いた後、この静寂を打ち破ったのはデイアナの勝利宣言だった。


「これで終わったわね、邪神」


 静かに響き渡ったデイアナの声。


 防御壁が砕かれた刹那、俺達は咄嗟に身を守る様に腕を上げていた。勿論そんな事をしても無意味。だがあの状況ならば誰もが反射的に取ってもしまう行動でもあるだろう。


 正直“死んだと思った”。


 しかし、今のデイアナの声が俺達を一気に現実に引き戻したのだった。


「あれ、生きてる……?」

「大丈夫か皆!」


 辺りを覆っていた粉塵が徐々に晴れていき、あれだけの矢が降り注いだにも関わらず俺は“無傷”だった。そしてそれは直ぐ近くにいたエミリアとフーリンとハクも同じだ。


 何が起こったのか分からない。

 だがしっかりと、デイアナが放った無数の矢だけは俺達の地面にも足元の直ぐ側にも突き刺さっていた。まるでわざと“俺達だけを避けた”かの様な地面に突き刺さる弓を見て、俺達は戸惑いながら顔を見合わせていた。


「そ、そんな馬鹿な!?」


 俺達が戸惑っているのは勿論だが、今の攻撃に手応えがあったであろうデイアナも驚いている様子。そして、この場にいる俺達全員が抱いた疑問を、突如ラドット渓谷に響いた“1つの声”が氷解させたのだった。


「ヒッヒッヒッ。随分とお粗末な魔法じゃないか。えぇ、人間よ――」


 何処からともなく聞こえた声。今のは俺達でもデイアナでも団員達でもない。突如響いた声に辺りを見渡していると、今度はハクがその声と会話をし始めた。


「あら、やっぱり出てたのね」

「アンタから飛んできた魔力は気付いていたんだけどねぇ、何せ魔力が底をついてる。歳は取りたくないものだよ全く」

「助けてくれてありがとう」

「こんなの助けたうちに入るものか。アンタは力を取り戻した様だが、他の奴がこの程度では到底アビスには勝てんのぉシシガミよ」

「大丈夫よ。グリム達はこれからもっと強くなるし、絶対に世界を救ってくれる。貴方もそれを期待して力を与えたじゃないの“イヴ”――」


 ハクが徐に口に出した名に、俺とエミリアとフーリンはまたも目を見開かせて驚いていた。


 そう。

 たった今ハクが呼んだその名前は、姿が見えないが当たり前の様に会話している“それ”は他でもない、俺達がラドット渓谷に来た最大の理由である『精霊王イヴ』だった。


「イヴって……まさかハクと同じ3神柱の?」

「そうよ。彼女が精霊王イヴ」

「ヒッヒッヒッ。遂にこの瞬間が来てしまった様だねぇ、グリム・レオハート。それにエミリア・シールベスとフーリン・イデントや」


 戸惑っている俺達を他所に、精霊王イヴは笑いながら全員の名を呼んだ。未だに姿が見えずに何処からか声だけが聞こえているせいか、自分達が何をしているのかまるで現実味がない。


「ハクちゃんの時にも驚いたけど、本当にあの精霊王イヴ様もいるなんて」

「精霊王イヴ様なんて長ったらしい呼び名だねぇ。普通に名で呼びなエミリア」

「え!? そ、そんな感じでいいんですか?」


 エミリアとイヴがそんな会話をしたが、やはり何処を探してもイヴの姿が確認出来ない。エミリアはイヴの言葉も現状も直ぐには呑み込めずに戸惑っている。まぁそれは俺もフーリンも一緒だけどな。


「精霊王イヴ……。確かその名は国王様から聞いた邪神の1人。まさかこの声がそうだと言うの?」


 姿の見えないイヴに戸惑いつつ、デイアナも冷静に状況を整理している様子。


「いや、それよりも、アンタ達どうやって私の攻撃から逃れたのよ」


 完全に俺達を仕留めたと思っていたデイアナは若干苛立った感じでそう言った。仲間のアックスや団員達もやられ、思いがけないイヴの登場に流石の七聖天も些か動揺が生まれている様だ。


「ヒッヒッヒッ。アンタの魔法など効く筈がないだろう。誰を相手にしていると思ってるんだい」

「耳障りな声ね。まるで自分が私の攻撃を防いだかのような口ぶりだけど、姿も現さない卑怯なところが如何にも邪神っぽいわね」

「さっきから何度も私達を邪神などと呼びよって馬鹿者が。アビスの手のひらの上で転がされているのはアンタ達だろう」

「訳の分からない事をゴチャゴチャと。次こそまとめて葬ってやるわ!」


 デイアナはそう言うと、またしても強力な魔力を練り上げ始めた。恐らくまた王2級魔法を放つ気だ。


「王2級魔法、“ブレイクコア・ショット”!」


 デイアナから放たれた王2級魔法。さっき放たれた無数の矢とは違って今度は4本だけ。だが、デイアナがその4本の矢を俺達目掛けて放った瞬間、確かに放たれた筈の4本の矢が瞬時にで消え去ってしまった。


「ん……?」


 既に攻撃を躱そうとしていた俺達も面を食らう。

 辺りを見渡すがやはり矢は消えていた。

 しかし、ふと視界に入ったデイアナは、俺達を見ながら静かに口角を上げてほくそ笑んでいた。


 次の刹那、消え去ったと思っていたデイアナの矢が突如俺達4人の目の前に1本ずつ姿を現した。


 矢の切っ先が向いているのは各々の“心臓”。

 まるで時空間から突如現れたかの様なその矢は、気が付いた時には既に俺達の心臓から1m程度の距離だった。


 やべぇッ。


 そう思った瞬間、現れた矢は目にも留まらぬ速さで再び俺達目掛けて飛んできた。寸分たがわず心臓を狙って。


 ――バキィィン!

 だがまた次の瞬間、俺達の心臓が貫かれる寸前のところで今度は矢が大きく弾かれた。


「なッ!?」

「ヒッヒッヒッ。どっちが卑怯だい」


 驚愕の表情を浮かべるデイアナと、笑い声を響かせたイヴ。


 またしても何が起こったか分からない俺達だったが、今度はデイアナの攻撃を防いだのがイヴによるものだという事だけは理解出来たのだった。


「魔力は弱っているけど、流石はイブね。ありがとう」

「当たり前だ。誰にものを言ってるんだいシシガミ」

「今の、ひょっとしてイヴがやったのか? じゃあさっきのも」

「そうさ。アンタ達がその程度の実力じゃあ先が思いやられるねぇ。本当にこの者達で世界を救えるのか一気に不安になってしまったわ」


 姿が見えないイヴだが、恐らく溜息を吐きながら不満そうな表情を浮かべているのは言うまでも無いだろう。言葉だけなのにそれぐらい気持ちが伝わってきた。


「悪いな、大した実力じゃなくて」

「気にしないでグリム。イヴはちょっと口が悪いだけなの。本当は期待しているから」

「勝手に気持ちを代弁するんじゃないよ。今のは間違いなく私の本心ッ……「だからね、アンタ達! さっきから勝手に喋ってんじゃないわよッ!」


 俺達が話していると、怒りの沸点に達したであろうデイアナが矢ではなく怒号を飛ばしてきたのだった。


「邪神がたまたま私の攻撃を防いだからって調子に乗らないでくれるかしら! 今までは周りに倒れている団員達に気を取られていたけど、それももうどうでもいいわ」


 デイアナは殺気混じりにそう言い放った。どうやら彼女は本当にその気らしい。連続で王2級魔法を放ったにも関わらず、彼女は今までよりも更に多くの魔力を練り上げ間髪入れずに発動した。


「これで“大地ごと”消滅させてやるわ! 王2級魔法……“狩人の神裁きイェーガ・ジャッジメント”!」


 デイアナの王2級魔法によって、突如辺りに凄まじい突風が吹き荒れ始めた。更にその暴風はどんどん空高くまで上昇し、そのまま天空で1本の大きな矢へと圧縮して姿を変えた。


 矢の切っ先は真下にいる俺達、いや、大地に向けられている。地上にいる俺達にもその強大な魔力が感じられる程に。あんなデカい強力な矢を放たれたら本当に大地に穴が空いてしまうだろう。ここら一帯に倒れている団員達も余裕で巻沿いだ。


 俺がそんな事を思っていた矢先、デイアナは一切の躊躇なく天からその巨大な矢を射った。


「まとめて消し飛びなさいッ!」

















「さっきから五月蠅いねぇ。小娘が――」



 刹那、デイアナが放った巨大な矢がパッと一瞬で消え去ってしまった――。

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