37 見知らぬ男性

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『ラナ』


 微かに聴こえた声に、眠っていたラナの意識が呼び起こされる。

 寝起きの悪いラナは、それでもまだ目を開けることはできない。


『ラナ。起きろ、朝だぞ』


 懐かしさを感じる声が響き、まどろみの中、目を開ける。

 ぼやけている目を擦っていると、『まだ寝ぼけてるのか?』と笑い声が降ってきた。


「……テオ?」


『どうした? そんな驚いた顔をして。怖い夢でも見たのか?』


 視界がはっきりしてきた目に映ったのは、見慣れたホワイトタイガーの姿だった。少し悪い顔をして笑っている。以前、テオが見た夢のことを妖精たちにラナが暴露してしまった仕返しだとでも言うように、揶揄うような笑いをその顔に浮かべていた。


 ラナが眠っていた場所も、真っ暗でどこかわからない場所ではなく、慣れ親しんだ森の中。ラナたちが寝床にしていた湖の近くにある大きな木の下だった。

 木の枝葉をくぐり抜けて届く木漏れ日が眩しく、ラナは俯いた。


「夢……夢だったのでしょうか」


『大丈夫か? 本当に怖い夢でも見てたのか?』


 先ほどとは打って変わって心配そうにラナの顔を覗き込み、身体を寄せる。

 変わらないテオの優しさに、ラナは無性に泣きたくなった。


 夢だったのか——心の中に言葉を落とす。

 そう思うと同時に、ラナは言い知れぬ安心感に包まれていた。刹那、ラナは再び眠りの世界へと誘われる。







 次に目を開けた時には、テオの姿はなかった。温もりもない。

 辺りは暗く、目が効かないほどではないが、少なからず不自由を感じる。


「テオ……?」


 か細い声が響く。返事はない。

 ラナは立ち上がって、テオを探し始めた。

 暗い道を——道があるかどうかも定かではないが——ただひたすらに進んでいく。ただ一直線にテオを求めて——


「ラナ」


 後ろから名前を呼ばれ、ラナの足が止まる。足を止めるのと、振り返る動作は同時だった。

 聴き慣れた声は探していた張本人のもので、ラナは勇んで声がした方へと振り向いたのだが、そこに立っていたのは見慣れない姿だった。


「……テ、オ……?」


「ラナ、お別れだ」


 唐突に突きつけられた言葉は、確かに鼓膜を通過したのだが、飲み込むまでに時間を要した。

 声はテオのものなのに、見た目がホワイトタイガーではなく、人のカタチをしているせいか、本当に目の前の人物がテオ本人なのか判断がつかない。告げられた言葉が、向けられる冷めた表情が、さらに猜疑心を仰いだ。


「俺が本当に好き好んでラナのそばにいたと思うのか?」


 反応を示さないラナを尻目に、テオは言葉を続ける。


「任務だったんだよ。俺がラナを守っていたようにのは、それが与えられた役割だったからだ。俺がしたくてやっていたことじゃない」


 テオの声は、これまでラナが聞いたことのないほど冷たい色をはらんでいた。

 声だけではなく、ラナを見る瞳もまた軽蔑でもしているのかと疑ってしまうほど、憎い者を見るような目だった。


「テオ……?」


「もう二度と会うことはない」


 テオは一方的に話を進め、自分の話が終わるや否や、ラナに背を向けた。

 離れていく背中に、か細い声がかけられる。けれど、そこには厚い壁があるかのように、声は届くことはない。

 テオは歩みを進める。さらに暗い場所へと進んでいく。

 ラナはその場に立ちすくんでいた。追いかけたいのに、身体が自由を失ったかのように手を伸ばすことすらできなかった。





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「……テオ……」


 頬に何かが伝うのを感じ、ラナは三度目の目を開けた。状況を把握できないまま、しばらく何も見たくないと思っているのに、自分の意思とは関係なく目は勝手に開かれる。

 目を開ける前から、ぼんやりと明るい気配を感じていた。

 ここはどこかと考える前に、ラナの目は見知らぬ男性を映していた。


「……誰、ですか?」


 暗闇の中に佇む男性。何故か、男性の周りだけ輝いている。灯りになるものがあるわけでもなく、彼自身が光を纏っているかのように明るい。

 髪の長い男性だった。腰の辺りまである髪はまとめることもなく流され、黄金に輝く瞳は吸い込まれそうなほどに透き通っている。

 ラナの顔を覗き込むために曲げていた腰をもとの位置に戻すと、見知らぬ男性はため息をついた。


「もっと驚くとか、可愛く悲鳴をあげるとかないものだろうか……あぁ、君はそれで驚いているんだったね。これは失礼」


 悪びれもなく呟くと、男性はラナの目の前に腰を下ろした。

 起き上がったラナは、ぼんやりと辺りを見回す。があることで、周囲を見渡すことは容易だった。

 開けた視界の端に、閉まっている鉄格子が見える。ラナは鉄格子がことを特に気にすることもなく、鉄格子の中にある光源へと目を戻す。


「どうして今更、人間に従っているんだ?」


 問われていることがわからず、ラナは首を傾げる。

 そもそも、目の前にいるこの人は誰なのだろうかという疑問がラナの中に残っていた。その疑問から離れられず、問われたことすらあまり聞いていなかった。

 目の前の男性は、森を訪れた人間とは違う服装だった。軍服でなければ、ローブも着ていない。ただ布を巻きつけたような、ゆるい格好をしていた。


「私の声が聞こえているか?」


「……あ、はい……」


 いつまで経っても返事がないことに痺れを切らしたのか、再び声がかけられる。と言っても、さほど時間は経っていないような気もするが、ラナの時間感覚で測っているため、定かではない。


「なぜ従う? なぜ、フェリルの言いつけを守らなかった?」


「フェリル……?」


 ラナの声は、轟音にかき消された。耳を裂くような轟音とともに地面が揺れる。

 姿を隠すことなく近くにいたネズミたちは、揺れが起きる少し前に異変を察知していたのか何やら反応を見せてはいたが、動きを伴うほどではなく、全員が一箇所に集まり、身を寄せていた。

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