02 少女の能力

「王都へとお連れする」



 声が反響する。その名のとおり、音が波のように湖に波紋をつくる。

 離れている分、声が届くまでに時差があったのか、ラナが反応を示すまで時間を要した。——いや、ラナの反応が鈍いのはいつものこと。

 ラナはアルフレッド・デラクールと名乗った騎士から、テオに視線を移す。説明を求めるように蒼い瞳で懇願するが、テオはラナが聞きたいことには答えなかった。



『随分と早く、この場所がバレたものだな』



 森には入り口らしい入り口はない。森のふもとをたどっても、人が入れるようなスペースは存在しない。

 どこからか侵入できたとしても、道などもなく、あるとすればけもの道のみ。そこも整備されているわけではないので、人が通るには不便しかなかった。

 遠目に見える騎士の姿はきれいなもので、けもの道で苦戦した様子も見られない。



『早かった』

『すぐ来た』



 テオの言葉に同調するように、各々が口にする。

 テオはいわゆる伏せの状態から起き上がることなく、顔だけを上げ、黒い二人に視線を向けていた。

 ラナも立ち上がることなく、寝起きの状態から体勢は変わらない。温もりを離したくないと言わんばかりに、テオの首元に手を埋めていた。



『自分がお連れしたのです』



 離れたところから声がした。

 テオや、ラナのそばにいた動物たちが反応する。ラナには届いていないようだった。

 誰かが遅れてやって来たのだろうかと、テオが目を凝らす。が、連れて来たというのであれば、遅れてやってくるというのはおかしな話だと、その考えはすぐに一蹴された。



『あ……』

『あ……』



 気まずそうに、近くにいた動物たちが俯いた。小鳥もウサギも、リスも——皆、一同に下を向く。

 湖の反対側に目線を向けたテオは、そこで初めて彼らが俯いた理由を理解した。呆れたようにため息をつく。



「どうかしたんですか?」



 一人事情がわからないラナが、テオを見る。

 他の動物たちにも視線を運ぶが、皆俯いていて、目が合わない。



『ラナ、ごめん』

『ごめんね、ラナ』


「どうして謝るんですか? テオ、説明してください」


『あいつが乗ってきた馬が、こいつらをたどってきたんだと。本人がそう言っている』



 テオは目線だけでその本人とやらを示した。ラナもその視線を追う。

 目線の先は、騎士のそばにいる漆黒の馬に向いていた。

 騎士は馬を降りた位置から動いてはおらず、ラナたちがいる場所と彼らの位置は遠い。叫ぶでもしない限り、声は届かないだろう。テオたちがその声を聞くことができたのは——それは言わずもがなというところか。

 再度、謝罪の言葉を口にする彼らを気にする様子もなく、ラナは目を輝かせた。



「あの子がみんなの声を聞いて、ここまで主を連れてきた、ということですね? すごいです。すごくお利口さんなのですね。テオ、わたし、あの子にいい子いい子したいです」



 再び、テオに視線が向く。瞳が「あの子に伝えて」と訴えていた。

 何を呑気なことを——と思いながら、テオは一つ息を吐いた。



『大丈夫。もう伝わってる』



 ラナは視線を戻したが、遠くからでは確認しようがないだろう。それでも満足そうに表情を緩めていた。

 しかし、自分が置かれている状況を把握していないラナに、テオはもう一度ため息をつく。

 悪態をつきながら、目を爛々と輝かせている横顔を盗み見た。

 ラナは、あの黒い馬に視線を奪われている。それはテオにとっては面白くないことだった。けれど、今はそんなことを気にしている場合ではない。



『ラナ、あいつの言葉聞いてたか?』


「うん? 王都にお連れする、ということなら聞いていました」


『……それがどういう意味かわかるか?』


「えーと、よくわかりません……わかりませんが、わからないので、お話を聞いてみましょう」



 突拍子もないラナの発言に、もはや驚きもない。呆れの方が強かった。

 ラナは再び彼らの方へと視線を向け、小さな口を動かした。

「あなたの主をこちらに連れて来ていただけませんか?」と。呟くように。語りかけるように。


 止める間もなく、馬は足を前に出し進み始めた。手綱を手にしていた騎士も、引かれるように歩き出す。急に愛馬が歩き始めたことに、騎士は驚いた表情を浮かべていた。



 一定の距離を保ったまま、馬は歩みを止めた。騎士も止まる。

 騎士は、その瞳もまた髪色と同じ漆黒の色をしていた。テオも黒い瞳をしているが、騎士よりも色素が薄い。

 真っ黒の軍服に、金色の装飾が光る。二番隊副隊長と名乗っていたので、それなりの地位なのだろう。装飾品もその分多いようだ。

 余所行き用のマントも着用している。こちらも黒で統一されていた。



 テオたちの様子を伺っているのか、敵意のようなものが滲み出ている騎士に、テオもまた圧をかけるように威嚇する。

 狙いはラナだ。

 テオは立ち上がると、ゆっくり前に出た。ラナを自分の背後に隠そうとしていた。が、そんなテオの想いを微塵も読み取れない自由奔放なラナは、すぅっとテオの横を通り過ぎ、騎士たちの前に向かった。


『ラナ、止まれ』



 テオの呼びかけには答えず、足は騎士たちの方へ進む。

 騎士もラナの行動に戸惑っているのか、警戒心を強めつつも、後退りしていた。

 ラナはここでもマイペースで、騎士への挨拶もそこそこに、一目散に馬の方へと顔を向けた。



「連れてきてくださってありがとうございます。……えーと、お名前は?」


『タシャルルと申します』


「タシャルル……タシャルルとおっしゃるんですね。素敵なお名前」



 伸ばしかけた手は、触れる前に止まった。両手を上げたまま、ラナは騎士の方にチラリと視線をよこす。



「触れてもいいですか?」



 目を見開いたまま、騎士は頷いた。ほぼ反射的に、無意識に動いたようだった。

 騎士に訊ねたことを、ラナはタシャルルにも確認した。タシャルルは何も言わなかったが、満更でもない様子でラナの手を受け入れた。



「……驚いた。タシャルルが、私以外に懐くのを見るのは初めてです。それに、名前も……噂は本当だったのですね」



 テオの耳がピクリと動く。

 しまった、と思ってもすでに遅い。

 とはいえ、このままにしておくわけにもいかず、まだタシャルルと戯れているラナの裾をくわえ、ぐいぐいと引っ張って元の位置まで引き戻す。

 名残惜しそうにタシャルルを見つめているその瞳を、テオの背中で隠した。

 決して他意はない。視線を独占するあの黒い馬に嫉妬しているわけではない——と、テオは誰にいうでもない言い訳を心の中に落とす。



『何を呑気なことをやってるんだ。不用意にバラすなとあれほど言っておいたのに……それに話を聞くんじゃなかったのか?』



 もっとも、聞くような話ではないと思うが、と内心ぼやく。

 本来の目的を思い出したかのように、ラナが「そうでした」と後ろで呟く声が聞こえた。



「じゃあ、詳しい話はテオ、お願いします」


『はい?』



 ラナはテオにしがみつくと、そのまま夢の世界へといざなわれようとしていた。



『ちょっと、ラナさん? 何寝ようとしてんの? 話聞くんじゃなかったでしたっけ?』


「お話し合いはテオの方が適任だと思います」


『いやいや。わかるよね? あの人に俺の言葉通じないよ? 話し合い以前の問題だからね?』


「ですが……タシャルルとお話しできたことに満足したら、ちょっと眠たく……」



 うとうとと首を揺らし、今にもテオの胴体にダイブしそうになっている。

 全く、マイペースで自由がすぎる。そして、やはり気に入らない。



『ラナは俺のもふもふだけ触ってればいいんだよ』


「? テオのもふもふは最高ですが、それとこれとは別腹です」



 言葉が怪しい。

 成り立っているのかどうかわからない会話を繰り広げている間、完全に蚊帳の外にされた騎士は、目を丸くしてラナたちを眺めていた。

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