第9話 憧れとプリン~唯人~
「朋子さんがそっちに行ったみたいだね」
社長である父親と社長室で細かい打ち合わせをしていると、不意にそんな事を言い出した。
「朋子さんに結婚の事言ったの親父だろ」
朋子さんは親父に聞いたと言っていた。朋子さんの耳に入れるのはできればもう少し後にしたかった。
「唯人にお見合いさせるって言って来たから、少し前に結婚したって言うしかなかったんだよ」
やむにやまれずと言った感じだけれど、親父がなんとなく楽しそうに見える。
「本音は?」
「とーこさんと二人旅に行きたいってうるさかったから」
つまり、アレだ。母さんと二人で旅行に行きたい朋子さんに、母さん大好きな親父がその旅行を阻止すべく、俺を朋子さんの前イケニエとして放り出したと言う事か…
この母さん大好き、脳内お花畑万年新婚気分ジジィっ!絶対、俺が朋子さんに遊ばれるのわかってて朋子さんをこっちに回しただろうっ!いい年したジジィがいつまでも母さんにべったりすんじゃねぇよっ!
とりあえず、思い付く限りの罵詈雑言を目の前の親父に向かって、脳内で浴びせておく。
俺を朋子さんの玩具に差し出したんだから、これぐらいは許されるだろう。
「式はいつ?」
「式はしません」
俺が答えるより早く、部屋の隅で旭さんと打ち合わせをしていた谷岡が即答する。
「でも、ウェディングドレス着て写真くらいは…?」
せめてそれくらいは…と提案してきた親父に谷岡はきっぱりと。
「必要ありません。私はウェディングドレスに憧れなどありませんので」
俺との結婚を記憶や記録に残したくないのだろう。戸籍には記録が残ってしまうけれど、それ以外は一切残したくないと思っているような、取り付く島もないくらいの拒絶だ。多少、ムキになっているような感じもする。
「式についてはもう少し二人で話し合ってから決める」
俺と谷岡で若干意見が割れている事を匂わせる。
「そう…」
何かを察したのか、親父はそれ以上結婚式について触れる事なく、淡々と仕事の指示だけを出していく。
親父はなかなか勘が鋭いからな。俺と谷岡の結婚が偽装結婚だとまでは気付かなくても、違和感くらいは感じているかもしれない。
※ ※
「どう言うつもりだ」
専務室に戻って来た俺は、さっきの社長室での谷岡の態度を問い質す。
「どう言うつもりも何も、先程述べた通りです」
「あんな事言ったら、俺達の結婚に疑問を持たれるだろう」
中身がどうあれ、表面上は俺達の結婚は恋愛結婚だと思われなければいけない。
「すべての女性が結婚式やウェディングドレスに憧れを持ってる訳じゃありませんよ。それに、最近は挙式しない人達もいますから」
反論はしてくるが、俺の目を見ようとはしない。自分の先程の態度が少し大人気なかったと感じている証拠だ。
「式については家に帰ってから話そう」
「挙式の予定はないので、話す事なんかありません」
ばっさりと、一刀両断。
こっちが歩み寄ろうとしてんのに、なんでコイツはこんなに頑ななんだよ?
さすがの俺も少々ムッとする。
「お前なぁ、少しは…」
俺が谷岡の肩を掴むと、谷岡の体が大きくよろめく。
そんなに力を入れたつもりはなかったので、俺は慌てて谷岡を支えてやる。スーツ越しに感じる体温はかなり高いような気がする。
「お前、熱があるをんじゃないのか?」
「薬を飲めば平気です」
自分の体調が悪い事は自覚してるみたいだな。
「そんな体調で仕事される方が迷惑だ。今日はもう帰れ」
俺だって、さすがに病人をこき使う程非道ではない。うちはクリーンでホワイトな企業なんだ。
「勝手に決めないで下さい。私は大丈夫です」
そうは言うが、体はふらついている。大丈夫な訳がない。
「あのな、そんな風に具合悪いのに帰らなかったら、別の具合悪い奴が帰れないだろうが!」
俺の言った事がよっぽど意外だったのか、谷岡は一瞬だけ不調を忘れたかのように俺を見上げていた。
「なんだよ」
俺、別に変な事は言わなかったと思うんだが?
「…専務がまともな事を言ったので、びっくりしてます」
俺がまともな事言ったら、驚くとかなんだよ!いや、今はそんな事はどうでもいいんだよ。
「帰るぞ」
「帰るって、まだ仕事が…」
体調が悪いクセにまだ仕事とか言う谷岡を、俺は問答無用で連れ帰る事にした。
※ ※
渋る谷岡をベッドに押し込むと、多少の抵抗はあったもののよほど体調が悪かったのか、谷岡はすぐに寝息を立て始めた。額に冷却シートを貼って、枕元にあるサイドテーブルに経口補水液を置く。
そこまですると、俺は冷蔵庫の中の確認をしておく。幸い、食材は揃っていた。
食欲があれば何か作ってやるけど…まぁ、起きてから聞いけばいいか…
リビングで持ち帰った仕事をしていると、谷岡の部屋のドアが開く音がした。その音に時計を見てみると、数時間が経過していた。
さすがに肩が痛くなって、伸びをしていると、リビングに谷岡が入って来た。
「専務、いたんですか?」
まるで、いる事を責められているみたいだ。
「いちゃいけないのか?」
返す口調が若干きつくなってしまったのは不可抗力だ。
「…いえ、そう言う意味で言った訳ではないです」
バツが悪そうに顔を伏せる谷岡がどことなく戸惑っているように見える。
「お前、シャワーでも浴びてくれば?」
スーツのジャケットは脱がせたが、シャツやスラックスは着たままだし、化粧もそのままだ。また寝るには相応しい服装ではないだろう。おまけに発熱のせいで汗もかいただろうしな。
「…そうします」
俺が言いたいそれら諸々を察したのか、谷岡が珍しく俺の勧めに従った。
谷岡が風呂に入っている間に俺は冷蔵庫から牛乳、卵、砂糖を取り出す。それらの材料を手早く混ぜ合わせ、蒸し器で十五分くらい蒸す。
出来上がる頃に少しさっぱりした様子の谷岡がやって来た。
「何を作ってるんですか?」
甘い匂いが気になるのか、ちらちらと蒸し器を見ている。もうそろそろいいだろう。
「やるから、座れ」
『やる』と言われたからか、谷岡は大人しく椅子に座った。
俺は蒸し上がったソレを谷岡の前に置く。
「コレは何ですか?」
「プリン」
蒸し器で作るプリンを見るのは初めてだったらしく、谷岡は慎重に蒸し上がったばかりのプリンを口に入れた。
「あ、美味しい…」
思わずと言った感じで漏れた呟きは、谷岡の心からの本音のように聞こえた。
「お前、ちゃんと髪乾かせよ」
まだ、湿っている谷岡の髪を見て、俺は谷岡が肩にかけていたタオルを取ると、わしわしと髪を拭いてやる。ドライヤーを持って来た方がいいな。
洗面所から持って来たドライヤーで髪を乾かしながら、櫛で髪を梳いていると、プリンを食べていた谷岡が落ち着かない様子で体を左右に動かす。
「動くな。やりづらい」
「…専務、なんか手慣れてますね」
谷岡の指摘に、俺はうっかり妹達にやるようにしてしまっていた事に気付いた。
「妹達にやってたんだよ。あいつら熱出すと、やれプリン作れとか、やれ髪乾かせとか、やれアレしろコレしろとかわがままなんだよ」
面倒だから放置したらしたで「病人に優しくするつもりがないんだ」と、しつこく泣かれるから面倒をみるしかないって言うのが正しいがな。具合が悪いクセに仕事をしようとする谷岡とはいい勝負だろう。
「このプリンも妹さん達に?」
「熱が出て、食欲なくてもそれなら食うって言うからな」
谷岡が食べるかどうかは微妙だったが。
「あったかいプリンって初めて食べましたけど、美味しいです。専務、意外といいお兄さんですね」
「意外とは余計だ」
「ところで、専務。プリンを食べたらお腹が空きました。責任とって何か食べさせて下さい」
「…それだけ食欲があれば、すぐに体調はよくなりそうだな」
谷岡の要望に応える為に、俺はドライヤーと櫛を片付けると、冷蔵庫にある材料で何を作るか考えるのだった。
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