第5話 パンドラの箱と唐揚げ~唯人~
部屋に運び込まれた荷物は意外にも少なかった。家具や家電は持って来なくていいと事前に言ってあったとしてもだ。
「少ないな」
思わずそんな言葉が口をついて出ていた。
「もともとそんなに私物は持ってません」
谷岡は服は段ボールから出してハンガーに掛けてしまっていたが、半分程の段ボールは荷解きをする事はなく、そのままクローゼットの隅に積み上げていく。
「その箱は?」
「この箱には絶対に触らないで下さい」
いつもと違う、かなり本気な迫力のある目で睨まれて、「あ、はい」と素直に返事をするしかない。
アレは俺が触れてはいけないパンドラの箱か…
つまり、谷岡の趣味の物があの段ボールにぎっしりと入ってるのか。
『谷岡の趣味』にスマホで検索したあれらの画像が頭を掠めるが、俺はそれを振り払うように頭を振った。
「お前、夕飯どうする?」
迎え入れるだけの俺はラクだったが、コイツは朝から荷物を梱包してトラックに積んで運んでと今日一日大変だった筈だ。一応、労う意味合いで何かご馳走しようと思って聞いた訳なんだが…
「お気になさらず。自分の事は自分でします」
不本意な同居に少しでも抵抗しようとしているのか、谷岡の態度は頑なだ。
「あっそ…」
そこまで頑なになられると、こっちも意地になってしまう。腕を組んで部屋の入り口に寄りかかるように立っていたけれど、俺はスタスタとキッチンに向かうと冷蔵庫を開けた。
俺は休みの日は自炊くらいする。
「一人暮らしするなら家事を覚えてから」と言った親父に叩き込まれた料理の腕前はそこそこ上手い方だと自負している。だから、冷蔵庫の中は簡単な料理程度なら作る事ができるくらいには食材が入っていた。その中からいくつか食材を取り出すと、俺は腕まくりをする。
見てろよ、谷岡。お前に俺の手料理を食べさせてやる。
米を研いで炊飯器のスイッチを入れると、俺は鶏もも肉を手に取り、一口大に切る。ボウルに入れた鶏もも肉を醤油、胡麻油、ニンニク、ショウガ、七味唐辛子とコショウで下味をつけたら、冷蔵庫で寝かせておく。
次にジャガイモの皮を剥くと四分の一くらいのサイズに切る。それを耐熱皿に重ならないように並べて、ラップをかけて、電子レンジで柔らかくなるまで加熱。柔らかくなったジャガイモをフォークで荒く潰して、塩もみして水気を切ったキュウリとコーンとツナを入れてマヨネーズでざっくり和えたらポテトサラダは完成。
豆腐とワカメの味噌汁を作ると、いよいよメインディッシュに取りかかる。
冷蔵庫で寝かせておいた鶏もも肉を取り出すと、小麦粉を混ぜ合わせる。フライパンで熱したたっぷりの油で揚げれば唐揚げのいい匂いが辺りに漂う。
その匂いにつられたのか、谷岡がキッチンにやって来た。そして、キッチンに立ち、料理をしている俺の姿を真昼に幽霊に出会ったかのような目で見ていた。
「えっと、専務…一体、何を?」
「夕飯を作ってる」
「嘘っ!ありえないっ!専務がこんなにすっごく美味しそうなご飯を作れるなんてっ!」
俺の答えが意外過ぎたのか、谷岡は頭を抱えて「嘘だあ~」と絶叫。
「褒めてんの?貶してんの?」
褒めているとも貶しているとも取れる谷岡の発言に、俺はどう反応すればいいかわからない。
「専務が料理って言う異常事態に遭遇した私の身になって下さいっ!」
「ちょっと待て。俺が料理してるとどうして異常事態なんだ」
「だって、専務ですよ。仕事はできて顔もいいけど、何人もの女性を食い散らかして、ポイ捨てしてるロクデナシなんだから、きっと家事全般壊滅的で自分の世話もろくにできないに違いないって思うじゃないですかっ!」
「ほ~う」
コイツが俺の事をどう思っているか、よくわかった。
「夫の意外な一面が知れてよかったな、美桜ちゃん」
「天変地異の前触れを知ってしまった気分です…」
本当に口の減らねぇ奴。
俺はカラリと揚がった唐揚げを皿に盛り付けると谷岡に突き出した。
「食わせてやるから、運べ」
突き出された皿に盛られた唐揚げと、俺の顔を交互に見ていた谷岡は逡巡の後、皿を両手で掴んだ。
食欲をそそる美味しそうな匂いにコイツでも勝てなかった訳だ。氷姫なんて言われてる谷岡も人間なんだな。
あらかじめ用意してあったポテトサラダを冷蔵庫から出して、それも唐揚げと同じようにテーブルに乗せる。ご飯と味噌汁も器に盛って、テーブルに置くと席に着く。
「ほら、座れ」
さっさと準備する俺を信じられないものを見るような目で見ていた谷岡を、俺が無理矢理椅子に座らせる。自分も椅子に座ると箸を手に取った。
「いただきます」
正面に座る谷岡に遠慮なんかしないで、俺は自分で作った料理を口に運ぶ。今更意地を張っても馬鹿馬鹿しいと思ったのか、谷岡も「いただきます」と言うと箸を手に取った。
早速、唐揚げを口に入れた瞬間、谷岡の表情が劇的に変化した。とても美味しそうな匂いをさせてはいたが、それでもまだ疑わしそうな目で俺の手料理を見ていた。そして口にした唐揚げが見た目通り、美味しいとわかった途端、目を見張って驚きの表情を見せた。
あっという間に茶碗によそったご飯がなくなりそうだ。現金な奴め。
「おかわりあるぞ」
俺がそう声をかけると、谷岡が茶碗を突き出してくる。
「おかわりっ!」
コイツ、色気より食い気の類か…
受け取った茶碗に新たにご飯をよそって渡してやると谷岡は更にご飯を口に運ぶ。
「普段、何食ってんだよ…」
けしてがっつく訳ではないが、箸を動かすスピードが速い。そんな谷岡の普段の食生活にふと疑問が湧いた。
「主食は栄養補助食品」
「はあっ!?」
予想してなかった返答に、思わずおかしな声が出た。
「おかずは大体モヤシです」
いやいや、待て待て。秘書の給料はそんなに安くない筈だ。なのに主食が栄養補助食品で大体のおかずがモヤシってどう言う事だ。
「私、BLも乙女ゲーも大好きな雑食系オタだから推しが多くて…食費削るくらいじゃ追いかけるのがやっとです。でも推しのおかげで心は潤ってますから」
「食生活は砂漠並みに枯れまくってるみたいだけど?」
「推しには貢いで貢いで貢ぎまくるのが当然っ!ファンとしてごく普通の事ですっ!そんなの息をするのと同じくらい当たり前の事なんですっ!」
ちょっと知りたくなかったわ。オタクの生態。
「だから、オタ活にはお金がかかるんですよねぇ~」
頭を抱えて、深いため息を漏らす谷岡。
「オタクをやめるとかは考えないのか?」
「何言ってるんですかっ!」
俺の発言にさっきまで深いため息をついていた谷岡は勢いよくがばりと頭を上げる。
「たとえ少しの間オタクをやめる事ができたとしても、あの楽しさを知らなかった時には戻れないんですっ!発酵食品が途中で発酵をやめたとしても、もとの原材料に戻る事ができないのと一緒ですっ!」
いや、そこ発酵食品を例に持ち出すの間違ってないか?てか、なんで発酵食品?
箸を振り回しながら熱弁を振るい始めた谷岡に俺は立ち上がって、冷蔵庫からビールを取り出した。
「そんなに喋ると喉が渇くだろう。ほら、飲め」
「おお、発泡酒じゃないビール」
差し出されたビールをなんの疑いもなくゴクゴク美味しそうに飲んでいく。
小一時間後、俺はコイツに酒を飲ませた事を心底後悔した。
飲んで、気分よく酔って寝た谷岡を俺はベッドまで運んでやった。
コイツ、酔うと親父みたいに絡んできやがって…
酔って色気が出るどころか、一番タチの悪い絡み酒タイプとか…コイツにはもう二度と酒飲ませない。
おりゃあっと谷岡をベッドに転がして、俺は硬くそう誓った。
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