彼と彼女は偽装結婚~水島唯人と谷岡美桜の場合~

五月堂メイ

第1話 始まりは最低なプロポーズから


 「いいか、コレは『お願い』じゃない」


 彼が両腕を壁について、私を逃がさないようにジリジリと追い詰めてくる。


 端から見たら所謂いわゆる『壁ドン』だけど、二次元以外でこんな事されると胸キュンなんて、まったくしない。それどころか、自分がされる立場になると恐怖すら感じるレベル。


 「断ったらどうなるか、わかってるよな」


 私の顎を掴んで、無理矢理自分の方を向かせる彼はお父様譲りのそれはそれはお綺麗なそのお顔に笑顔を浮かべていたが、口調は脅迫そのもの。


 逃げられるものなら、今すぐこの場から逃げ出して、自宅の温かいお布団を頭から被って寝たい。そして「やっぱりアレ夢だったんだ~、アハハハハ」ってやりたいっ!


 「もし、嫌だと言ったらどうするつもりですか?」


 「お前のあの趣味、盛大にバラす」


 綺麗な顔に貼り付けたタチのよろしくない笑みを私に見せつける。


 「最低ですね」


 精一杯蔑むように言ったけれど、彼はどこ吹く風だ。


 「バラされたくなければ、俺の『お願い』を聞いてくれるよな?」


 「さっき、『お願い』じゃないって言ってました」


 「揚げ足取るなよ」


 それくらいしか私が反撃できないってわかってる彼は顔にも口調にも余裕たっぷりだ。 


 「俺は別にいいんだぜ。お前になんか興味ないしな。でも、お前に憧れてる奴らはどうかな?幻滅したとか、裏切られたとか思うんじゃないか?なあ、『秘書課の氷姫』谷岡美桜たにおかみおさん」


 「本当に、最っ低!」


 「どうとでも」


 私に多少罵られた程度では全然平気な彼が、私の眼前にひらりと一枚の紙を突き付ける。


 「時間稼ぎなんか無意味なんだよ。観念してさっさとコレに名前書け」


 『コレ』と彼が見せた紙は『婚姻届』と明記された用紙。夫になる人の欄にはさっきから私を脅しているコイツ。水島唯人みずしまゆいとの名前が書かれている。


 私に選択権はあって無きが如しのこの状況。どうしてあの時に限って我慢できなかったのかと、自分で自分を叩きたい!そうすれば、今こんな風に無理矢理結婚を迫られる事なんてなかったのに…私の馬鹿っ!アンポンタン!


 「あと十秒以内に書かないと、あの動画を社内メールで一斉送信する」


 「鬼っ!悪魔っ!」


 「文句言う暇あったら、さっさと書け。一、二、三…」


 私の悪口を聞き流し、奴はカウントを始める。私にこれ以上考える時間を与えないようにする為か。


 「書くわよっ!書けばいいんでしょっ!」


 私を壁ドンしている奴を退かし、婚姻届を奪い取り、デスクに叩き付けるように置くと半ばヤケクソで私は自分の名前を妻になる人の欄に書き込んだ。


 「これで満足!」


 「ああ」


 デスクの上に置いてある婚姻届を取り上げると、奴は満足そうにソレを眺める。


 嗚呼、私は今悪魔に屈伏してしまった…


 言い表す事のできない敗北感に私が項垂れていると、奴が私の左手を取り、薬指に指輪を嵌めると宣う。


 「俺の女性関係の一括清算の為の偽装妻役よろしくな」


 「今すぐ、その女性達に刺されてしまえっ!」


 私の心の底からの叫びは神様には届く事なく、水島唯人はそれはそれはうっかり見蕩れてしまいそうな美しい笑顔を見せるのだった。


 どうして、こんな目に…


 神様だか仏様だかを呪わずにはいられない気分だわ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る