第34話 アタラクシア結成譚
モルガナはメルフィスとの戦闘で負った連結のダメージから、広場のベンチで横になっていた。寝たまま、脳内で再生された記憶に対して思わず声が出る。
「クルルーイが、お父様を殺したフロンティアの刺客……!?」
モルガナが左手にはめたエックスのガントレット、そこに装着された〝記憶〟の石には、エックスの残した記憶が保存されていた。それは、モルガナにそれを見せるために残されたかのようだった。
――確かに、お兄様は昔、お父様の殺人現場を目撃したと言っていた。
「こ、これは、これが真実だとすると、メルフィスの行動は——!」
にわかに街がざわつく。それはすぐに広がっていく。人の声が各所から聞こえる。走る音や割れる音、そして火薬の音。街は一分とかからず喧騒に包まれた。
モルガナはふらつきながら立ち上がって、大きな通りに出る。サーウィアは丘の街。下方に目を向ければ、街の全体を見下ろすことが出来る。
サーウィアは今、モンスターの群れに襲われていた。街の各所に突如として無数のモンスターが現れ、住人たちがそれに応戦している。辺り一帯で一斉に戦いが始まる。
モルガナは、この惨状を観察することにした。彼女の哲学に照らすなら、このような事態が起こったなら、すぐに馳せて無辜の民を助けようとしたはずだ。しかし、ついにメルフィスのスタンスを理解したモルガナには、それが無意味なことだと感じられた。数十秒経って、モルガナの理解が正しかったことが証明された。
「やはり……殺していない」
モルガナには数個以上の戦闘地帯が目に入っていたが、そのどれでも、モンスターは住人の命を奪おうとはしていなかった。いずれも加害は無力化までで留めている。
モルガナは一連の事件のメルフィスの振る舞いを新しい記憶から遡っていく。
「アタラクシアのメンバーは、きっと殺さず洗脳している。第二キャンプの双子も殺していない。羊角隊も殺していない。カスカルは殺さなかった」
――第一キャンプを襲ったモドリドリは?
「あれは死人が何人も出ていたはず……。いや、モドリドリは無抵抗の人間には害さない。じゃあまさか、モドリドリのあの生態は、不要な殺しをしないために設計されたものだったと!?」
モルガナは考えるあまり右手が頭にかかる。そして浮かび上がる結論に、冷や汗をかく。
「メルフィスが積極的に殺した相手は、ほとんどいない。見殺しにしたのは、クルルーイと、その仲間である〝がらんどう〟。そう、彼女が明確に敵意を持って殺そうとしたのは、クルルーイの関係者だけ。つまり、私とお兄様の、仇のみ」
――なら、メルフィスは、私以上に欲張っている。何もかもを手中に収めようとしながらも、しかし自分の正義は極力曲げないように尽力している。
「『冒険者を続けて最強を目指す』『エックスの父の仇を討つ』、でも『人はできるだけ殺したくない』から『〝アタラクシア〟の野望は止める』。その上で——『エックスを自分のものにする』! メルフィスは全て欲張った。彼女は複数ある目的のその全てを、全く妥協しなかった!」
ゴクリと喉を鳴らす。
「まさかメルフィスあなた、そんな、そんな綱を渡るようなことを、やり遂げたとでも?」
剣を強く握って体を翻す。目指すは街の西に広がる城壁。
「あなたも立派な人ですわ!! これ以上の罪は侵させない!」
広場を抜けて大きな通りを走る。その辺りには偶然か人が少なく、もしくはモッカによって引きこもるよう指示がなされていたのか、ともかくモルガナのブーツの足音が石畳に響いていた。陽が傾き始めて色彩は濃くなりつつある。
通りの中央にモンスターが一体、立ちはだかった。
上半身は半透明の霞のような体。粘土で簡単に造形したようないでたちで、目や口と思しき部分は少しへこんでいるのみ。身体は腰のところで途切れ、断面から無数に生えた触手は先端に行くにつれ輪郭がはっきりしていく。蠢く下半身はシルエットだけならスカートのようにも見える。異様に長く伸びたポニーテールが体の周りを渦巻いている。
それは両手を口元で軽く組む。笑うような仕草をして、モルガナのことをちらちらと見る。
モルガナが左手を向けてガントレットの三連銃口から射撃する。それは両者間にパッと現れたブレイズの身体で阻まれる。ブレイズは地面に倒れるところでまた姿を消す。
「……あいっ変わらず、胸糞悪いですわ」
今章の敵——
西の城壁。メルフィスはモッカに告げる。
「私の要求は、私とアタラクシアのみんなの無罪放免。これだけさ」
**
メルフィイはクルルーイの経歴を追った。彼の生まれはフロンティア。両親も根っからの冒険者だった。しかし彼らはギルド管理協会の長が、殺された元会長その人になると決まったとき、猛反発した。
——元会長は敏腕だったらしい。
彼女が行政に入ってから違法取引の摘発数はうなぎのぼりで、サーウィアの犯罪の件数は目に見えて下がった。外交的手腕も目を見張るものがあり、一冒険者が他国の軍と契約を結べるようになったのも彼女が会長になってからである。
——彼女が協会長の座に着いたときに困ったのは、フロンティアという無法地帯を隠れ蓑に違法行為を行っていた者だけのはずだ。
それがクルルーイが十歳の時の話。彼の両親の足取りは、それ以来突然に途切れ、消息が追えなくなる。
「ああ、間違いない。僕が殺したよ」
部屋で直接尋ねたメルフィイに、クルルーイはサラリと答えた。
「——そんな」
「元会長は恩師だったんだ。僕にとっては親代わりと言うかな。親から匿って勉強をさせてくれてね。だから、その人に『殺せ』と言われて、僕も両親をあまりいい人だとは思っていなかったから、殺した」
なんてことないことのようにすらすらと話す。メルフィイは聞いたが最後、生きて帰れないのではないかと身構えたほどである。
「それから僕は元会長お抱えの暗殺者としてずっと生きてきた。殺した数はもう両手で数えられないくらい。フロンティアだけじゃない。年単位の旅をして、
クルルーイは微笑みかける。
「君がそれを僕に尋ねるってことは、君はあの人を殺した人たちに出会ったのかな」
メルフィイは杖を握る。
「……その話が本当なら、彼らの怒りは……妥当だと、私は思っている」
「そう。妥当だ」
「……?」
「殺されるなら本望だよ。僕は人を殺したくせに、幸せを享受しすぎた。僕もあの人も、年貢の納め時がきたんだろうね」
それは、メルフィイの想像していた話の流れとは全く違った。
「嫌な役割を押し付けることになったね。〝がらんどう〟を抜けるって話、承った。メル、今までありがとう。僕の苗字を名乗ってくれて、ありがとう」
クルルーイはいつも通りに微笑んだ。メルフィイは、無言で部屋を出た。
――考えが、まとまらない。
祭の夜にレーノは、メルフィイに呼び出された。
街を上げてのフェスティバル。サーウィア設立の記念日。通りには出店が並び、協会は奮発して花火を用意する。大舞台では、エーテルを利用したサーカスが住人を沸かせていた。
ギルドハウスのテラス。メルフィイは手すりに肘をかけて街を見下ろしていた。突然に呼び出されたレーノは、初めは早く仲間のところに戻ってはしゃぎたいと思っていたが、しかしメルフィイの真面目な雰囲気から多少気を引き締める。少ししてメルフィイが口を開く。
「クルルのことが、信用ならなくなった」
「……それは、どうして? なにかあったの?」
「クルルは、人殺しらしいから」
レーノは面食らう。
「……真偽はともかく。それで、〝がらんどう〟を抜けることにしたの?」
「いや、〝がらんどう〟を抜けるのは……」
――レーノの幸せについていけなくなったからだよ。分かってる。分かってるから、今から言うことは、全部、レーノを困らせるだけのことなんだ。
メルフィイはレーノの方へ振り返ると、手すりに背中を預ける。寂しげに微笑む。
「ねえレーノ、私をここで、殺してくれる?」
「や、藪から棒に。なんで?」
「なんでも何も。殺してほしいからだけど」
「今の環境に何か不満があるの? 俺たちはせっかく、どん底から這い上がって、人並みの暮らしができるようになったんだ。それなのに、自ら死にたいなんて言うのは……なんというか、失礼じゃないかな」
「お兄ちゃんは、なぜ自分が生き延びたのかの理由を、そこに見出したんだね。神様が私たちを生かしたのは、人並みの暮らしをさせるため、なんだ」
「メルは、違った……んだ」
「うん。私もそれで、満足してたよ。けれど私は今、運命の潮流の中にあって、何か大きなことを成せそうなところにいる。〝がらんどう〟を抜けようと思っていたところに、一気にいろんな話が舞い込んできて、今まで考えもしなかった選択肢が途端に浮かび上がってきた。今の私にとっては、この選択肢を捨てることの方が、勿体なく感じる。そして……それはなんてことない平穏の日々とはかけ離れたものなんだ」
メルフィイはレーノを真っ直ぐに見据える。
「私は命を危険に投げる。だから、けじめをつけておきたくて。私は、自分の命をお兄ちゃんに預けたけれど、その命を、返してくれるかどうか」
メルフィイを殺す権利は今、レーノにある。
レーノは深呼吸をして、一度目を逸らして口をつぐんでから、再び目を合わせて申し訳なさそうに答えた。
「正直に言うと、俺はその荷物のことを、もうずっと忘れてた。もしくは初めから、意識していなかった。メルの言葉を本気にしていなかったんだ。無責任……だった。ごめん」
メルフィイは涙を浮かべながら微笑んだ。
「いいや、ありがとう。ごめんね、こんな日に。水を差すようなことを言って」
通りに下りたメルフィイを、エックスが出迎えた。舞踏会のような羽つきの仮面で目元を隠している。
「……そのヘンテコな仮面はなに?」
「露店で買った子供向けのものだ。どうだ、似合っていないだろう」
「うん、全く似合ってない」
「面白くないか。残念だ」
「励ましてるつもりだとしたら、そもそも盗み聞きしていたところから謝ってほしいんだけど」
「私が一人で勝手にやったことだ。レオランの指示じゃあない。すまなかったな」
「……はあ、もう。最悪」
メルフィイはもう誰かと会っただけで涙をボロボロと溢すほどに限界だった。明かりのあまり届かない、陰のベンチに座るよう勧められる。エックスは二人分の飲み物を買ってきて、メルフィイの隣に座った。
「私にも妹がいたが、もうずっとそのことを思い出すことは無かった」
ズビズビ鼻をすする。
「それどころか、そうだな……私は、兄らしいことなんてしてこなかった。命を預けられる程の信頼を得るなんてまっぴらだ。何なら嫌われていたかもしれない。それに比べれば、君のお兄さんは立派だ」
「そんなこと言ってほしいんじゃない」
意外と物申すメルフィイに
「……君の想いに対して、彼は不誠実だったな。自分の幸せに楽しくなって、妹を意識の外に追いやってしまった。そして、君が違和感を感じているのにも、気付かなかった。全く酷いやつだ」
「レーノは……悪くない。悪いのは、私なんだから。お兄ちゃんは幸せなのに、私が水を差しちゃう……」
エックスの額に汗が浮かぶ。
「じゃ、じゃあ君は反省しなければならないな。お兄さんも突然にあんなことを言われては困惑しただろう。もっと段階を踏んで、時も選ぶべきだった」
「なんでそんな酷いことを言うの……?」
エックスは危うく飲み物のカップを握りつぶしそうになったがなんとかギリギリ耐えた。
「……話を変えるか。君とお兄さんのことを、教えてくれるか?」
「話すと、長くなるけど」
「いや、その同意さえあればいい」
エックスはメルフィイの手に自分の手を重ねる。
「後は君の見せたいところを見せてくれればいい。思い浮かべてくれれば、その〝記憶〟を体感できる」
「体感?」
「見るだけでもいいが。そのときの感情なども知ることができれば、理解が深まるだろう?」
「へえ……体感ねえ……」
メルフィイは蜂蜜アリ塚をちょっとだけキメる。エックスは一度身体を震わせると、俯いて手に持ったカップを手放した。メルフィスは慌ててカップを空中でキャッチし、申し訳なく思ってエックスに謝った。
「ご、ごめん。ちょっとだけのつもりだったんだけど……!」
エックスは脂汗をダラダラと浮かび上がらせながら、何故か笑っている。
「今ので、ちょっと? 理解不能な苦痛だったぞ。人間は、あんな拷問を思いつけるのか? ふふ、酷いな」
「ド、ドM……?」
「違う」
エックスは強く言い切る。そしてずいっとメルフィイに近寄る。
「君の人生を見せてくれ。私みたいな偽物とは違う、本物の人生と、覚悟を」
「ち、近いよ」
「ああ、すまない」
「そうだね……なら、エックスの人生も見せてよ。それなら、いくら覗いてくれたって構わない」
それは僅かな時間だった。しかし、そこでは悠久の時間が過ぎた。
「モルガナはしっかりした子で、付け入る隙がなかったんだね。これは私でも劣等感を感じちゃうだろうなあ」
「レーノは、君ほど思いつめてはいなかったのだな。気丈に振る舞っていたわけでもなく、実はただの楽観主義者だったということか。なるほどこれでは、梯子を外されたも同然だ」
「うん。まったく、心配させまいと頑張って損したよ!」
「実際、お前にとってはどの拷問も本当に耐え難い苦痛だったというのにな。ああも平気そうな様子を見せられては調子を合わせるしかあるまい」
メルフィスの目元に、さっきとは別の要因の涙が浮かぶ。
「わ、私たちさ! お似合いじゃ、ないかな」
「安心しろ。私もそう思っている」
祭りの終わり、花火が上がる。みなが空を見上げる中、二人だけがお互いの瞳を見つめている。
「……私はモルガナほどにできた子じゃあない、けど」
「私もレーノほどに柔軟な人間ではないとも」
記憶を共有した二人には、既に同じ結論が浮かんでいた。
「じゃあ私が、君の後悔を慰めてあげるよ」
「では私は、君の喪失を埋めてみせよう」
「よろしくね、お兄ちゃん」
「ああ……ふふ。妹か。よろしくな」
アタラクシアの結成と共に、メルフィイは改名した。クルルーイの意志を継ぎながらも、新しい自分に。メルフィス・ロジデート。
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