五章 兄と妹の物語
第31話 アタラクシアを追うレーノたち
第三エリアの横穴、仮設キャンプ。巨岩の横穴にバリケードを張ったもので、簡単な敷物や備品などが備えられている。暗い洞窟を松明が照らしている。空間の中心のかがり火を、その場の人間みなで囲む。レーノ、ゲヘナ、クレース、カスカルの四人。
カスカルが口を開く。
「じゃあ、振り返っていくっすよ。クレースの最後の記憶はどこっすか?」
「は? アンタがそれを私を聞くわけ? 煽り?」
クレースがカスカルにガンを飛ばす。
「い、いや、一応、気を失ったのが早い順に振り返って行こうと思って……」
「はあ。いいわよ。私はね、昨日の朝、カスカルに襲われて気絶したの。もう一度言うわよ。アンタに襲われて気絶したの」
「いや、それはもうほんっと申し訳ないっす……」
「ふん。起きたのは今日の午前中。起きたらこの横穴にいて、近くに寝かされてたレーノとカスカルの傷が万全じゃなかったから、しばらくそれを治療してたわ」
「それで、そうしているところに、私が来た」
「そうね。ゲヘナが合流した。お互いびっくりしたわよ」
「私がここを通りかかったのは、本当に偶然だったんだけどね」
レーノが話を止める。
「え、ちょっと待って、コウヤに倒れていた俺たちをゲヘナが回収したんじゃないの!?」
カスカルがピンと人差し指を立てる。
「そう。そこがキモっす。そしてそれが俺たちのこの状況の奇妙さの主な原因っす。——クレースの話を聞いたんで、次は自分とレーノさんっすね。そもそも、俺とレーノさんは昨日の昼前に、コウヤの中心で戦闘を行ったんすよね」
「そうだね。アタラクシア側に着いたカスカルと、その他の人間が敵対したんだ。そうだったよね――」
レーノは、誰かに話しかけようとした。誰かに話しかけようとして、その名前が出てこない。
心に焦りが生まれるが、それはすぐにカスカルの力で鎮められる。
「その『暫定モルガナさん』の話は一旦後にしましょう」
「そうだな。ごめん、ありがとう。——それで、俺とモルガナさんと、ジェンウォとブレイズの四人でカスカルを迎え撃った。その戦闘中に、カスカルの旗色が悪くなったと思ったのか、〝アタラクシア〟のメルフィスとレオランが現れた」
「それから構図は変わって、アタラクシアの二人と他の人間での戦闘となったっす」
「そうだ……そうだな。あれ……」
レーノは頭を抑える。レーノはそれが事実だと確信できるのだが……根拠が出てこない。思い出せるイメージが無い。記憶に霞がかかったように、
「レーノさんが覚えてるのはここまでっすか」
「う、うん。でもこれは……」
「〝記憶〟を奪われた感じがする?」
「そう! 俺は間違いなく、カスカルたちがメルフィスと戦った状況を感知していた。メルフィスは枕兎を使ってカスカルたちを無力化したんだ。そうだよな?」
「ズバリそうっす」
「なのに視覚的なイメージがない。記憶の一側面は残ってるのに、主要な部分がごっそり抜けている」
クレースが一枚の紙をつまみ上げる。かがり火が起こす風に揺らめく。
「これはアンタの荷物に入ってた紙よ。悪いけど漁らせてもらったわ。それで、これにはこんなことがメモされている」
『モルガナは〝記憶〟の石を持っている』
レーノは紙を受け取り、自分の筆跡であることを認める。
「あの場で〝記憶〟の石を使えたのはモルガナさんだけ。つまりレーノさんの記憶を奪ったのもモルガナさんだろう、と考えられるっす」
クレースはその紙の裏側に描かれていたへたっくそな絵しりとりについても尋ねたかったのだが、進行重視な場の雰囲気に負けて言い出せなかった。人知れず悔しがる。
——最後の絵、結局何なのかしら……「か」よね……亀の交尾、とか……?
「それは、なんでだろう。俺たちの追跡を逃れるためかな」
「いや……」
ゲヘナが異を呈す。
「それは、私がモルガナちゃんに託した願いと、モルガナちゃんが消した記憶から考えるに、おそらくレーノのためなんだよ」
「ゲヘナはモルガナさんとのやり取りを覚えてんの!?」
「いや、もう全く覚えていない。けど、五日前まではかなり鮮明に覚えてた。私は偶然、モルガナちゃんに関する記憶が消える前に、モルガナちゃんが出会った人から自身の記憶を消している可能性に行きついたんだ。だからそのとき、モルガナちゃんに関することは覚えている限り文字に残した。だから、モルガナちゃんがレーノの記憶を消したのは、レーノのためだって分かるんだよ」
カスカルが繋ぐ。
「モルガナさんがレーノさんのためを思って行動したこと、そして当のモルガナさんがここにいないことから察するに、恐らくモルガナさんは何らかの対価を払って俺たちの安全を保障したんじゃないっすかね。その対価に関わる内容で、モルガナさんはアタラクシアと同行することになった。〝羊角隊〟がここにいないのも、きっとアタラクシアと契約して何かを知ってしまったからであって、モルガナさんもその例に漏れないんじゃないすか」
他の人間はこの話をレーノが起きる前に共有していたようで、内容に疑問は持たない。しかしレーノは違う。
「え、いやごめん、ちょっと待ってくれる? その、モルガナさんが俺のためを思って記憶を消したってのは、一体どんな記憶なの? それが俺のためだって俺自身納得できなきゃこの話は成り立たないよね」
「アンタ、消した方がいいって善意で消してもらった記憶を、思い出したいワケ?」
「——それは」
――モルガナさんはゲヘナから授けられた願いに沿う形で俺の記憶を消した。それは俺のためになることだった。他の三人はそれが事実だと疑いようがなく信じている。
「気になるけど。気になるけど……。いや、やっぱり気になる! ねえゲヘナ」
レーノはゲヘナの目を見る。
「俺は、誰かの護衛をしていた記憶はしっかりとあるよ。これがモルガナさんなのは記憶の不自然な欠落から間違いない。つまり俺はモルガナさんとずっと行動を共にしていた。そんな人間にゲヘナが頼むことと言ったら一つしかない。そう。ゲヘナがモルガナさんに頼んだのは、きっと俺の命に関わることだ。俺のメンタルを心配したこと、だよね」
ゲヘナは苦虫を噛んだようにして脇を見る。
「……そうだよ。私は……レーノに、死んでほしくなくって……」
レーノがゲヘナの肩に優しく手を置く。
「俺に死んでほしくないって人間が二人もいるんだ。ここまでされて流石に死ねないよ。心配してくれ——二人?」
——もう一人いる。
レーノの頭が回る。急速に覚醒する。
「そうだ。正面切って俺に死んでほしくないと言った人間がいた」
痛む頭を抑えながら、未だ彼女の顔に霞はかかっているものの、しかし断片的に思い出せる。
『私は!! レーノに死んでほしくない!!』
「そう、そうだ。そして俺は……俺も、似たようなことを言った。モルガナに、死んでほしくないと」
それらのセリフを思い出したのに伴って、スクロール・ワールドの下りもじわじわと呼び起こされる。
『私はその正統後継者の妹なのですけれど——』
レーノの頭の中で全てが繋がった。思わず立ち上がる。
「モルガナ。そうか、モルガナ。……そうだったのか! い、嫌だ。俺はともかく、君は死なないでくれ。君は死んじゃダメな人だ!」
四人は移動を開始する。〝アタラクシア〟の危険性を伝えるため街の方へ、ひとまず第二キャンプを目指す。カスカルの壺穴の操作でコウヤをショートカットし、すぐに辿り着く。
「アンタなんでそれを行きのときにやらなかったのよ」
「いやあ、えへへ。ジェンウォたちがどう仕掛けてくるのかに興味があったんすよ。どれくらい成長してるか、俺のことを熟知してるか確かめたくって」
「うーん、双方向に変な愛情があるよね君たち。ん、いや? もしくはこれが、死期を悟った人間の余裕ってこと? なるほどなあ」
「レーノ!? 見習おうとか思ってないよね!?」
夜明け前。松明の燃える音のみが耳に届く。
「静か……だなあ」
四人とも、警戒しながら砦へ入る。無人の砦に戦闘の痕。
「そういやカスカル、アンタ思念の残滓が見えるとか言ってたわよね」
「やってるっす。やってるんすけど、これは」
カスカルは杖を振って周囲に影響を広げる。
「これは、戦闘が起こったのはかなり直近じゃないっすかね。二時間も経ってない——」
もはや第一キャンプに動ける人影はメルフィスしか残っていない。彼女は疲れから数秒だけぼーっとすると、それから、地面に倒れたエックスの方へ足を運んだ。上から微笑みかける。
「レオランと戦いながらでも君の身体を補修する余裕が私にはあったよ」
エックスは身体を動かせず地面に頬をつけたまま。
「メ、ルフィス……。そう、か……すまない……」
「なんで謝るわけ?」
第一声に謝罪が出てくると、メルフィスは全く予想していなかった。なぜこの場でその言葉が出たのか、純粋に、疑問だった。もしくは、実はその謝罪の理由は予想できていたのかもしれないが、あえてその意味を聞かずにはいられなかった。
「お前を……裏切ってしまったな……」
「悪いけれど、もっと詳しく言ってくれるかな?」
「お前の兄になると……言ったのに……」
メルフィスは望み通りの答えを聞けて満足そうにニコリと笑う。そして、エックスを全力で蹴り飛ばした。
「今更何言ってるのか分かんないなあ! 君は実の妹のために死んだんでしょ? 都合良いんだよねえ、本当に中途半端だよ君は!」
「何を言う資格も……ないかもしれないが……」
エックスは最後に呟く。
「私はお前に、生きてほしい」
レーノパーティーは第二エリアを急ぐ。
「それでレーノ、結局のところアンタとクルルーイは、なんでそこまでメルフィスに恨まれてんのよ。わざわざアンタにクルルーイを殺させるなんて、相当手が込んでるじゃない」
「ちょちょ、ちょっとクレース……!」
「ゲヘナだって聞きたいんでしょ? もう大丈夫って本人が言ってるんだし、なら話は聞いときたいわね」
「それはそうっすね、気になるっす。一体何があって、〝がらんどう〟とメルフィスは袂を分かつことになったのか」
「そう、だな。そうだよな」
レーノは神妙そうな顔で考え込み、少しして話し始めた。
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