第32話 地獄に落ちるなら共に
少年は目を覚ます。隣の母親が悲鳴を上げるのと、馬車が不意に止まったことから、危険が起きたのだろうと気付く。しかし怯えの感情はない。この一週間、似たような経験は一度ではなかった。毎日誰かが犠牲になって暴力を受けた。その隙をついて馬車は進み続けた。昨日の犠牲は父親だった。今日は誰が。
「王族の血筋は絶対に残すな!」
馬車を囲む人間たちが躍起になって繰り返している。従者の止めるのを聞かずに母親が外に飛び出た。
「わ、私はいいから、子供たちは見逃してください!」
母親はすぐさま取り囲まれてリンチされる。暴徒の一人は泣きながら訴えている。
「俺の子どもは死体で帰ってきた! 身体には無数の鞭の跡があった。あの子は……あの子は極寒の採掘場で! 鞭に打たれて死んだんだ!」
「苦しめろ! 苦しめるんだ! 絶対に殺すな! 晒し首にするのはあらゆる拷問にかけてからだ!」
少年は馬車の窓からその様子を眺めていた。胸に抱えていた少女が起きる。
「ん……お兄ちゃん……外……」
「見ない方がいいよ。お母さんが暴行を受けてるからさ」
「ふうん……」
「それと、もう逃げられないかも。ここまでかなあ」
「そっ……かあ……」
少女は伸びをして兄の膝から起き上がる。
「痛い思いをするくらいなら死のうかなー」
「お、俺もそう思ってたところだ」
従者たちも引きずり出されて暴行を受ける。次か、その次か。少年と少女の番はすぐにやってくる。
「お兄ちゃん、光栄に思いたまえ。私を殺す権利をあげよう。ほらどうぞ」
「ええ? お前こそ俺のこと殺してよ」
「なんで。やだよ。お兄ちゃんはお兄ちゃんでしょ? 妹の頼みぐらい聞いてよね」
「人殺しになっちゃうじゃん。死ぬなら自分で死んでくれる?」
「それこそいやだ。私にそんな勇気があると思うの?」
「じゃあ俺は頑張って死ぬから後は頑張ってね。ふぁいと」
「ちょっと! それじゃあ私はどうやって死ねばいいの! やだやだ死なないでお兄ちゃん。死ぬのは私を殺してからにして!」
二人がやんやともみ合っていると、すぐに暴徒が入ってきて二人を連れだした。結局二人は捕らえられたのである。
薄汚れた服を着た血まみれの少年が部屋の中へ雑に放り投げられる。
「ついに明日が処刑の日だ。せいぜい親を怨むんだな」
男が去り、扉が閉まって中は暗闇になる。部屋の中にいた少女が口を開く。
「お疲れお兄ちゃん。二日ぶりだね。ずっと磔にされてたんでしょ?」
「そっちこそ、見世物にされてたって聞いたよ。いやはやお疲れ様だなあ」
窓も明かりもない、暗闇の一室。床の広さは一畳もなく、二人で詰め込まれては横にもなれない。血肉と汚物の臭いが充満している。少女は少年にひしっと抱き着き、彼の右脚を撫でる。
「腫れてるね。左脚はもう切られちゃったのに、こっちもダメになるかな?」
「ずっと姿勢が変わらなかったからなあ……」
「今までで一番苦しかった?」
「いや? 痛み事態は石を投げられる程度だったし、時間経つの遅いなーとか思うくらい」
「それ退屈だったってことじゃん!」
少女は笑う。少年も笑って少女を抱き返す。
「そっちが今までで一番きつかったのは何だった?」
「体の中までハチミツ塗られてアリ塚に張り付けられるやつかな! あーれがやっぱり一番きつかったね。柔らかいとこを食い破ってくるんだよねえ。当時は虫が嫌いだったのもあってさあ!」
「今は?」
暗闇の中、少女はにやりと得意げに笑う。
「ふふ。今や喉の奥をムカデが歩いてたって大丈夫」
「わかる。身体を虫が這う程度じゃ何も感じなくなるんだよね」
二人でくすくすと笑う。
「それも明日で終わりだってさ」
「そうだね。でもまさか三ヶ月も私たちを飼う余裕があったなんて。革命政権は太っ腹だったぜ。チクショウ」
「でも昨日今日、民衆の噂話を聴いてきた感じ、国営は上手く行ってないみたいだ。逆に、その不満を逸らすために俺たちは生かされてたのかもね」
「そっか、じゃあこの……なんだっけ、民主制? も、また打ち倒されるのかもね」
「けど、それは少なくとも明日じゃないと思うよ」
「違うよお兄ちゃん。私は死にたくない訳じゃない。お兄ちゃんだってそうでしょ? ただ、何物も、いつかは壊れる時が来るんだなあって思っただけ。国だって、人の命だってそう。永遠のものは無い」
「それが早いか遅いかだけってこと? 深いことを悟っちゃったねえ」
「そ。だからつべこべ言うつもりはないよ」
「とはいえ破滅は、早まることはあっても遅くなることは珍しいと思うけどなあ。そういう意味では俺たちは、死期が遠のいた珍しい二人だよ」
「神様はなんのつもりで私たちを生かしたんだろうね。結局助かるチャンスも来なかったし」
「俺たち二人が一緒に居られる時間を増やすため?」
「それにしては苦痛が過ぎるよ。私いま両手両足の爪、一枚たりとも無いんだよ? まあそれはお兄ちゃんもだけどさ」
「そうだなあ。お互いのことめちゃくちゃ好きかと言うと違うしな。普通の兄妹だ」
「流石にこの三か月で好きになったけどね」
「確かに。ならざるを得ないか。俺も好きだぞ~メル~」
「やーめろ気持ち悪い。おら、口の中にうんこ突っ込んでやる!」
「お前さすがに口の中は病気とかヤバいだろ」
「バカ、明日死ぬのにそんなこと気にすんな!」
「なるほど……それは確かに!」
ごく狭い暗室の監房の中で、血と糞尿の枕投げが開かれた。ひとしきりはしゃいでからまた抱き合って座る。息を直して、また二人で笑う。
「ありがとうな、メル。お前がいてくれたおかげでこの三か月耐えられたよ」
「こっちこそ、ありがとうね、お兄ちゃん」
断頭台が土台から真っ二つに切断されて、崩れ落ちる。喚く民衆たちが波の様に引いていく。
「ねえ君たち、なんでこの国の人たちは、君たちみたいな子供の処刑でこんなに盛り上がってるのかな? ちょっと立ち寄っただけだから、知らなくてね」
地面に落ちた二人を見下ろす青年がいる。処刑人や衛兵たちが青年を取り押さえようとするが、彼らは見えない力で殴られ、抑えられ、彼に近付けないでいた。
二人は順番に答える。
「俺たちのお父さんが無理な国営をやっててさ。恨まれてるんだよね」
「あと、あれでしょ? 新体制が上手く行ってなくて、私たちが悪いって焚き付けられてるの」
少女がほらと持ち上げた手には、爪が一枚も無かった。よく見ると二人の身体にはいたるところに酷い暴力と火傷の跡がある。それどころか、少年には左足の太ももから先が無いし、少女には右の眼球が無い。青年の額に青筋が浮かび、目つきに力が入る。
「君たちには、何の罪もないのに!?」
「まあ理不尽ではあるけど、民衆の気持ちが分からないでもないかなあ」
「子供たちを無理やり徴収して労働させたりしてたから、そのやり返しと思えばね」
青年の怒りは、恐れと憐憫へ変化していく。
「キ、キミたちおかしいよ。なんでそんなに達観してるんだ」
何が彼らをこんなに歪めてしまったのか。
「最初の一週間がしんどかったよね。そもそも、革命のその日の晩に、暴力の限りを尽くされていた所、従者に連れだされて亡命したってのがスタートだから」
「思い返せば、あそこで暴力を受け続けてた方がもっと早く死ねたかもね」
青年は躍起になって言い返す。
「い、命を失うことを望むような言葉を! 君たちみたいな歳で言うなんて……間違ってる! これだけは紛れもない真実だ……! 絶対におかしい。おかしいはずなのに! 君たちも、この国も。みんな熱に浮かされてる……!」
青年は二人に抱き着いた。強く抱きしめる。
「君たちは、僕が助ける。この広場から救い出す」
「お兄さんは、一体?」
青年は二人に顔を見せて名乗った。眼鏡にシャツ、そして白衣を纏った、学者風の若者。そう、彼の名前こそが——。
「クルルーイ。僕はフロンティアの冒険者、クルルーイ・ロジデートだ。君たちは?」
「俺は……レーノ・フォン・レンドラム」
「私はメルフィイ。レーノの妹だよ」
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