四章 魔女の切り札

第24話 アタラクシアのモルガナ

 こんばんは。よかった。もしかしたらもうこの物語を聞きに来てはくれないんじゃないかと思ってたよ。


 そんなわけない? そりゃそっか。


 どうして僕がこんなに楽しそうかって? 確かに、あんなショッキングな展開を見たのに落ち込んでいない僕は、おかしく見えるかもしれないね。でも、あなたにはきっと、僕がどうして嬉しそうにしているのか、なんとなく想像がついてるんじゃないかな?


「お前と一緒にすんな」? 「わかりませーん」って、そんな子供みたいな。でも、僕の話は今回の章ではまだやらないからねー。一旦保留。


 今回の章の見どころはやはり、モルガナだよ! もう彼女はヒロインじゃない。主人公だ。でも、彼女にその器があるのかは、少し疑問が残るところではあるかな? とはいえまあ結果は残すよ。


 だって、この章が終わるころには、ギルド〝アタラクシア〟は全滅するんだからね。





 レーノとモルガナがフロンティアに入って、五日目の昼過ぎ。


「はい、ただいまー」


 メルフィスが第四キャンプに帰還する。レオランはへとへとと座り込んだ。


「ひ、人二人を連れてくるのは……連結しなきゃ無理だったぁ……」


 そのまま気絶する。


 ところどころ天井が抜け落ちて陽の気配がある鍾乳洞。その大空間が第四キャンプ。中央には透明な水の溜まった池がある。無限に広がる洞窟は横穴も無数にあり、それらにも戸が建てられて、多くの部屋を成していた。個室の多さだけならどのキャンプにも負けはしない。


「ねえ~、エックスはどこ? お土産があるんだけど」


 メルフィスは近くを歩いていたメンバーに尋ねる。


「ああ、私も君の話を聞かなければならないな」


 今章の敵、エックスが戸の一つを開けて現れた。仮面の完全装備。


 メルフィスは駆け寄る。


「エックス! ねえねえ聞いておくれよ! なんと、びっくりだぜ? 正直私はまだ疑ってるんだけどさ。ほらあの、そこにいるトロールに担がせてる女の子。もうマジびっくりなんだ」


 エックスは頭痛がしてきて額に手を当てる。


「早く要件を言え」


 嗜虐性と優越感の滲み出た声で。


「君が最も会いたくない人物だよ。そう。モルガナ、さ」

「……なん、と?」


 エックスがトロールに目をやる。その両手から下りてきた少女は、まるで物語のお嬢様のように、華やかで、凛として、麗しく、そして力強い存在感を放っていた。


 軽くなったスカートの端々が、身体に遅れてふわりと下りる。降り立つ姿は天の遣いのよう。ゆっくりと目を開いて、仮面の男を見る。


「……お兄様、ですか?」

「モ、モルガナ。モルガナなのか」

「ええ、モルガナですわ」


 モルガナ・フォン・ジェリア。今章の主人公。


「お久しぶりです、お兄様。八年ぶりですわね」


 モルガナが微笑むとその頬に一筋の涙が流れた。渾身の嘘泣き。エックスは未だ困惑が勝っている。


「ああ。ど、どうやってここへ」


 エックスの声色は、それはもう明らかに震えていた。感動の再開か。しかしメルフィスはその声の震えに、僅かな「恐れ」を感じ取った。


「自力で来ましたわ。お兄様のためなら、どこへだって駆け付けます」


 エックスの胸がチクリと痛む。


「は、は。そうだな。お前ならそれをやり遂げてもおかしくはない。いや、凄いな。すまない、ちょっと驚きすぎて、感動とかがやってこないんだが」


 エックスは困ったように首をひねる。モルガナは涙ぐみながらクスリと笑う。


「私一人に泣かせますの? まったく恥ずかしいですわ」

「いや、すまないな。ああ、すまない」


 エックスも笑う。メンバーの一人に声をかける。


「すまないが、出発を十五分遅らせると通達してくれないか」


 エックスがモルガナを部屋の一つに招く。メルフィスもしれっとついていく。モルガナは席につくよう勧められて、メルフィスは扉の傍に立ったままでいる。エックスが紅茶を入れる。


「まあ、こんな洞窟でも意外と文化的ですのね」

「ああ、冒険者らのささやかな娯楽と言ったところだ」


 エックスがモルガナの対面に座った。


「改めて、久しぶりだな、モルガナ。よく来てくれた。〝アタラクシア〟は君を歓迎しよう」

「それはまあ、ありがとうございます。……あー、経緯ですわよね。私は――」

「私から話そう」


 メルフィスが割って入った。


「カスカルの様子を見に行ったら、この子がその場にいたんだ。レーノの護衛任務ってやつの、護衛対象が、まさかのこの子だったらしい」


「それは……それは凄いな。凄まじい因果だ。私がレーノを獲り逃したのも運命だったということか」


「あれは、取り逃しましたの?」

「ん、そうだ。欲を出してクルルーイを捕縛しようとしたからな」

「改めて確認しますが、お兄様が〝がらんどう〟を襲ったのですわね」


「ああ、私が殺した。レーノだけ取り逃したのは、クルルーイを捕縛できそうで、それに気を取られたからだ。今思えばあれは、クルルーイがレーノを逃がすためにわざと隙を見せたのだろうな。まったくアイツは異常に頭がキレるやつだった。——そういえばクルルーイの身体も回収しに行ったんだったな。メルフィス、あれはどうした」


 モルガナが冷ややかな目をメルフィスに向ける。メルフィスはいつもなら言い逃れする場面だが、モルガナという証人が睨みを利かせている以上それは叶わない。ため息をついて正直に言う。


「……遊んでたら壊しちゃった。でも、うーん、真に正直に言うなら、それでレーノを洗脳できるかもしれなかったんだ。でも、そこのモルガナに邪魔された」


 エックスは話が分からない。モルガナが続きを語る。


「お兄様、私はお兄様の力となるために馳せ参じました。けれど、その過程で、レーノやその他の仲間たちと、多少の交流を持ってしまったのです」


 エックスの声色が低くなる。モルガナの間諜を疑う。


「だから助けたと?」


「いいえ。ただ真っ当に倒されるだけならばそうはしませんでした。ただ流石にこのメルフィスのやり口は、私の感性に照らしていくらなんでも酷すぎました。レーノ自身の手でクルルーイを殺させ、その動揺に付け込んで手駒にしようとするなど。到底人の道ではありません。そんな汚く人道に反した手段で勝利しても、人はついてこないのではないかと」


 モルガナは多少大袈裟な態度で語った。エックスは深く頷く。


「なるほど、理解を示そう。コイツの戦い方は本当に汚いからな。だがそうか。クルルーイは死んだか……まだいくつか聞きたいことがあったが……まあ、殺すのが少し早くなっただけだな」


 メルフィスはもうともかく驚いた。自分がこき下ろされたことに対して――ではなく、モルガナがエックスの価値観を完全に読み切ったところにだ。


 ――今のは相当危ない綱渡りだったはず。しかしなんなく通り抜けた。エックスと長く交流しているならまだしも初対面だ。じゃあ本当に、本当の妹なのか!


 モルガナは今後の進軍予定やちょっとした昔話などを交わしてから、メルフィスと共に外に出た。部屋の中では代わりに入ったメンバーがエックスと話をしている。モルガナとメルフィスは少し歩いて岩陰に来ると、お互いに怒りの笑顔を向けた。先に食い掛ったのはモルガナ。


「メルフィス? なーんで私が不利になるようなことを言ったのかしら? 話が違いますわよ」

「そっちこそ、私にあの件で言い逃れはさせないって目を向けてきてたじゃないか。先にしかけたのはそっちだー!」


「クルルが死んだのは、いつかは言わなきゃならないことでしょう? 私のところは適当にウソついときゃよかったのですわ」

「ウソってどんなんだよ」


「例えば——私が早くに素性を明らかにして、レーノたちに狙われたので、そこで私を守るためにやむなくクルルを消費しました、とか言ったらほら、あなたのエックスからの評価も上がって私の感動的な再会も演出できましたわ!」


「おおー。よくそんなすぐパッと出てくるね」

「フン。ウソとハッタリだけでここまでたどり着いた私を舐めないでくださいまし」




**




 一時間前。〝天地の荒れる野〟、その中心近く。辺り一帯の平らな地面に陽が照り付ける。


 クルルの身体にかかっていた認識偽装が剥がれていく。頭を弾丸で一撃。レーノにはそれが現実であるようには思えなかった。これはきっと夢だろうと、両膝をついてクルルの身体の熱を確かめる。首に右手を回す。


 ――暖かい。さっきまで生きていた。


 しかし彼のこの状態は、あらゆる治療系技能をもってしても蘇生には間に合わない。長く冒険者をやってきたレーノにはそれがはっきりと理解できた。脳を一度でも欠損すると、〝再生〟も〝創造〟も全く意味が無い。脳へのダメージは人間の命を不可逆なものにする。これが例えば心臓などの比較的シンプルな役割の臓器だったなら〝創造〟で間に合わせられたかもしれない。けれどレーノが撃ったのは、脳だった。


 ――俺は人間の脳の構造は理解してないから、そもそも創れないしな。


 レーノはクルルを抱きかかえて、考えてもどうしようもないことに捉われている。他の人間はその状況の惨さに絶句する。ただ一人、メルフィスを除いて。

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