第11話 昇降機に集った者たち

 カスカルがモルガナに付け加える。


「スーはエリアの水没が進むにつれその移動速度を上げてるっす。水場が得意なのもあるでしょうし、〝水〟のエーテルが効いてるってのもあると思うっす。もう一、二分もあれば昇降機に辿り着く。これが一つ目のタイムリミット。そして二つ目のタイムリミット、俺のエーテルの限界っすけど、これは実はもう過ぎてるっす。今は秘蔵の二つ目のエーテル石を使ってたんすけど、それすら凄まじいスピードで減ってる。もってあと五分」


 豪雨は際限なく強まり、雨粒は樹皮すら削り取る重さになっている。


 クレースは焦りが露骨に声に出る。雨水に負けて髪は真っ直ぐ下りている。


「このままだと一億パーセント間に合わないわよ! どうするのレーノ!」


 ――策が無いわけじゃないけど、これは……モルガナの安全が……。


 レーノは昨日のモルガナの振る舞いを思い出す。一つ息を吐いて、覚悟を決めた。


 ——ああもう、何が護衛任務だよ。危険に晒してばっかりだ!


「モルガナ! そうやって〝重さ〟のエーテルで体を軽くした状態で、人を抱えて木上を跳ねて移動することはできる!? もしくは、他人にその効果を付与するなら何人まで!?」


「やってみないと分かりませんけれど、一人だけなら可能だと思いますわ。それ以上はできるできないに関わらず、エーテルが持ちそうにありません」


「よし、じゃあ頼んだ! 突っ切って昇降機まで。二人とも、付いていくのは俺で構わないよな?」


「当然っすね」

「ああもうクソ! あんたが一番強いんだから当然でしょ! さっさと行きなさいよ!」


 モルガナはレーノの手を取って体を軽くする。様子を伺うようなレーノの表情を見て、歯を見せて笑った。


「言ったはずですわ。一蓮托生ですわよ」

「……はあ。そうなるみたいだなあ!」


 二人はクレースとカスカルを残し、樹の幹を、枝を、そして葉を跳ねて木上へと姿を消した。





 木上を跳ねる二人。前方数キロ先に、そり経つ岸壁と、そこに縦に伸びた昇降機のレールが見える。


 レーノが隣に目をやると、モルガナは真剣な表情でただまっすぐ前を見つめていた。エーテル石への意識に集中している。激しい雨にも慣れたのか、全身が水浸しでもまったく気にしていない。雨水が横顔を流れ続けている。


 ――やっぱりこの子、場慣れしてる。昨日まではそれは無知ゆえかと思っていたけれど、今日のこの落ち着きようは、とても物を知らないからだとは断じ難い。クレースですらあの焦りようだったんだから。こんな状況になったのに、パニックにならずにごく冷静に頭を回し続けられると言うのは、正直——おかしい。一体どんな人生を送ってきたんだろうか。王族か貴族かと言っても、きっと、一般的なそのような人生を送って来たわけじゃあないはずだ。


 加速する景色の中、レーノはふと尋ねた。


「モルガナってさ、何か隠し事してる?」

「へえっ?」

「なんだか、妙なところがあるし。ただのお嬢様ではないんじゃないの?」


 モルガナの真剣な表情は途端崩れる。かなり純粋に困惑した様子。


「い、いまその話ですの? 今マジで余裕ないからその話をしたら絶対にヘマを出しますわ。だから私そのお話は、今は絶対にしませんわ」

「そ、そう……」


 二人は木上を跳ぶ。数秒の沈黙。


「でもなんか、あんまり聞いてないなあと思って。モルガナの話」


 モルガナは息を切らしながら答える。


「そりゃあまだ、出会って数日ですから、当然だと思いますわよ。というかそれを言うなら……」


 モルガナはレーノを横目で見る。


「レーノの話だって全然聞いてませんわ。まあ、聞きづらくて聞いてない私が、悪いのかもしれませんけれど」


「ああー、確かに俺はあんまり自分の話をするつもりはなかったし、そっか、そういう感じか。気にせず聞いてくれていいのに」


「そうは言われてもですわ……。ともかく私に関しては、いつか——というか、最後には。自分の身の上を話させていただくつもりですわ」


「最後と言うと?」

「最後ったら最後ですわ」





 雨風吹きすさぶ激しい嵐の中、二人は昇降機に辿り着く。建物一つ分ほどの面積の、機械制御で上下に移動する、吹きさらしの金属のエレベーター。それは地上から数メートル上昇して水没を免れていた。昇降機の床には意識なく倒れたベルカの姿が一つあるが、それよりも目を引くのはその傍の巨大なモンスター。巨大にして、奇怪な姿のモンスターがいる。


 元は蛇なのだろう、しかも相当な大蛇。水面から胸より上を出して昇降機を見下ろしている。胸――そう、胸。その蛇は首と身体の接続部が、延長した身体のように形成された水の塊で繋がれていた。しかもそれからは人の腕のようなものが二本伸びていた。当然その水でできた腕も巨大で、振り下ろしたなら人間を数人はべしゃんこにできる。


 最も奇怪だったのは、大蛇はその腕をでたらめに振り回して、虚空に攻撃していたのだ。ときおり昇降機に直接攻撃を加える。しかしそうしたならば、その腕は途中で切断されてそこから先は蒸発する。腕は雨を吸ってまた生えてくるが、何度やっても攻撃は昇降機の制御盤には到達しない。


「あああ、ウザいウザいウザいウザいウザいウザい! 人間ごときがああああああ!」


 タタン、と。レーノとモルガナが昇降機に降り立つ。雨が鉄板に音を立てて跳ねている。モルガナはスーの顔を見上げる。


「意外と小者っぽい発言をしますのね」


 昇降機からスーを見ると、目前に水の塊の胸があり、その上に頭が乗っている。


「そうだな! そういえばコイツ元から、つまんない上下関係にばっかり煩い小者だったよ!」


 スーは言葉の主に目を向ける。


「……その声、レーノか。お前、散々私に協力させた借りはないのか」

「でもアンタ、貢物無しだと何も協力してくれなかったし、それは恩とは言わないんじゃね?」

「ビジネスですわね」

「アンタ、だと? 不敬な」


 スーがレーノに水の腕を勢いよく振り下ろすが、その腕も、これまでの攻撃と同様に途中で切断された。苛立ちに熱い息を吐く。


 景色が歪み、ネクスィが現れる。スーのいる方から二人の方へジャンプしてきて、床の凹みに剣先を引っ掛けてブレーキをかけると、反転してスーの方へ身体を向けた。キャップはどこかに吹き飛び、濡れた前髪が左目を隠している。機械仕掛けの大剣が熱を放つ。


 ネクスィは二人を覗き込む。


「〝彫刻家〟のレーノ……と、あ、あなたは誰……!?」

「モルガナですわ、初めまして」

「ネクスィ、よく耐えた。後は任せて——」

「まだ戦えるから。戦わせてください」


 レーノの言葉をネクスィは途中で遮る。


「これは僕たちの責任。この昇降機を守るのは、僕たちの仕事なので。それに、こんな蛇ごときに負けていちゃあ、僕たちはいつまで経っても、一番の景色をランに見せてあげられないから……!」


「お、その発言はレーノポイント高そうですわね」


 ——レーノの行動原理は「責任」っぽいですから。


「なんだよそれ。よく分かんないけど確かに俺は今のセリフ好きだよ。前半はね」

「ふふ、やっぱりそうでしたわね。ちなみにモルガナポイントも高いですわ」


 ——モルガナは好きだろうね。ランのことを気に入ってたらしいし、「気高さ」とか「懸命さ」みたいなのを評価してんのかな。


「あ、ありがとうございます……?」


 スーは右腕を再生し終わって、再びレーノを見下ろす。


「そうか……レーノか。ああ、なんだか冷静になってきた。フフ。フフフフフフフ」

「そうは見えませんけれど」

「ネクスィ、これは首を飛ばせば死ぬと思う?」


「それはきっとそうです。今のスーは、元のスーとは違う。体を切り離された後の頭が、もしくは体が、本能的に無理やり繋いで個を形作ってる。脳が死にそうになったところを、ギリギリで繋いだんです。だから、流石にもう一度切り飛ばしたら死んでくれる……と、思いたい!」


「分かった」


 レーノはスーの胸に弾丸を打ち込む。爆ぜて水を吹き飛ばした。モルガナが見てきた限り、レーノの起こしてきた中で最も大きい爆発。スーの胸だったところには間違いなく空洞ができた。しかし雨が集まると、すぐにその穴を塞いでしまう。


「フ、フフ。効かないわよ」

「効かないじゃん……」


「そ、それはそうですね……。あそこは再生が早いというか、この大雨と一体化しているような印象です。だから切り飛ばすなら、元の蛇の身体のところを」


 スーが水中から尻尾を上げてきて三人に攻撃する。レーノが〝創造〟を発動すると、足元から高速で足場がせりあがってきて、空中に跳ねた三人は攻撃を回避した。


 追撃に水の腕が横に振られる。ネクスィは剣でガードする。レーノがモルガナの手を握る。


「重く!」


 モルガナは言われた通りとっさに体を重くして、素早く落下し攻撃を回避した。


「次は軽く!」

「分かりましたわ!」


 二人はふわりと軽く着地する。


「上出来」

「恐縮ですわ」


 ネクスィもドシンと降りてくる。身体は限界に近く、剣の重さに重心を崩しそうになっている。


「ッ……すみません。こっちからも攻撃しましょう」

「とはいっても、首はかなり太いですわよ。元々どうやって切り飛ばしたのかしら」

「僕とベルカの二人で、この剣を二つ並べて挟むようにして切断したんです。それなら長さが足りたので」

「ベルカさんはあっちで倒れてる方ですわね? 回復するまで耐えられるかしら」

「モルガナ、俺がスーを止めるからベルカのブレードを使えるようになってきてくれ。多分それが一番早い」


 モルガナはポカンとしてレーノを見る。


「……はえー? 無茶ぶりですわー?」

「よろしく」


 レーノはモルガナに笑いかける。ネクスィがモルガナの手を取って〝認識〟の効果をかけた。二人に続いて、ベルカの姿もすぐに景色に溶け込む。


 スーとレーノにはお互いしか認識できなくなった。見つめ合って数秒、スーが口を開く。


「冷静に考えたら、フフ、呪いを治療してる精神医療者を殺しに行った方がいいのかしらね」

「気付いてたか。それをされたら困るなあ」

「まさか、そんな野暮なことをこの私がするとでも?」

「へえ。ゲーマー精神がここまで筋金入りだとは正直思ってなかったな。見直したよ!」


 スーの細い舌が、興奮から激しく出入りしている。


「フフフフフ。そうね自分でも驚いているわ。どうやら私は自分の命がかかっていても、こういう勝負には乗る性格みたい」


 スーは両腕を広げる。


「勝利条件が明らかになってきたわね」


 その横幅は20メートル以上ある。


「私の勝利条件は、あの子が大剣を使えるようになる前にあなたを殺すこと」


 レーノはゴーグルを装着する。


「俺の勝利条件は、それまで耐えて凌ぐこと」


「そうしたら精神医療の使い手を殺しに行くわ」


「もしくはお前を倒してしまうこと」


「人間ごときが大きな口を叩くわね」

「蛇風情が口を効くなんて生意気だな」


 両者、口角を上げる。

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