第10話 立ち止まってはいられない

 沼からの間欠泉は、第二エリアどころか街からも観測できる高さに噴き出ていた。


 そしてそれは、止まらない。止まらず、周囲に泥交じりの雨を降らし始める。





 モルガナは泥の雨が目に入らないように片手をかざしながら間欠泉を見上げた。


「レーノ、あれは何かしら?」

「い、いや、知らない。何だろうアレ」


 クレースがカスカルに食い掛る。


「こらアンタ! スーのとこはどうなったのよ!」

「おそらく双子が勝ったっすね。けど変だな。スーの精神活動が終了していない。どころかなんか、楽し気と言うか、やけっぱちみたいな……」

「スーが……やけっぱち……?」


 レーノは雨に打たれながら呆然とする。


「スーは第六エリアのさらに奥の経験を語る存在だぞ。それがやけになったら、一体どうなるってんだ?」


 雨は弱まる気配を見せず、次第にその勢いを強くしていく。バタバタと鳴っていた雨音が、次第にドドドと低い音に代わっていく。


 大きな雨粒に頭を打たれてクレースがふらつく。


「クレースさん!?」


 モルガナが肩を支える。


「ああ、なんか……ランのことが頭に浮かぶ……」

「こんなときに、恋?」

「違うわよぉ……。これ、この雨は……おいカスカル……」


 カスカルは真剣な様子で、すぐに杖を地面についてエーテルを光らせる。彼らの足元に、記号と文様で構成された桃色の円陣が展開された。


 遅れてレーノも気づき、エーテル石を掴むとそのまま地面に手を付いた。鉄製の巨大なキノコが急速に成長し、四人をその傘に包む。傘を突く雨がガンガンと激しい音を立てる。


 カスカルが作った円陣の効果によって四人の精神は安定している。それでもなお、雨に込められた〝呪い〟からクレースが復帰するのには数秒以上の時間がかかった。モルガナがクレースを介抱する。


「レーノさん、モルガナっちをこの雨から防ぎながら移動できるっすか」

「この雨があの間欠泉の近くにだけ降るものならそれは可能なんだけど」


 レーノが右の手首を胸の前で回すと、キノコの傘が透明なガラスとなる。四人が空を見上げると、間欠泉を中心として広がりつつある、深い灰色の雨雲が見えた。


「この雨の範囲は広がりつつあるみたいだな」

「となると逃げるよりは、っすか」

「ああ、倒しに行くしかない。カスカル、スーがどこにいるか分かる?」

「移動してるっす。そっすねこれは、昇降機の方へ」





 降り続く豪雨。広がる暗雲に陽の光は奪われ、ジャングルは暗くなっていく。


 壮年の冒険者が隊長を務めるパーティーは間欠泉に辿り着くが、そこは既に沼の大きさをはるかに越え、巨大な湖へと変化し始めていた。隊長の指示でメンバーそれぞれが辺りに浮かぶ他の冒険者を救出する。


「双子の姿はありませんでした!」

「しょうがない。もうここにはいられない。この湖は〝呪い〟に浸された猛毒だ。すぐに撤退するぞ! カスカルに出来る限り負担をかけないよう、それぞれは用意していた薬を飲むんだ!」


 彼らは間欠泉から離れる。気を失った冒険者を背負って移動しながら、バケツをひっくり返したような雨に打たれ続ける。足元には土が吸いきれない雨水が溜まり、水たまりを作り始めていた。足が沈む。前と後ろに一人ずつ抱えた隊長は息が上がり始める。


「水浸しと、このぬかるみの地面は、体力を奪っていくな……。呪いの雨だけでも脅威なのに、時間が経つにつれそれから逃げづらくなっていく。二段構えの攻撃か……」


 パーティーに振り返って声をかけ、全員の無事を確認する。暗い森に重い雨が降り続く。メンバーの一人が隊長に提案する。


「足元一体がこれほどに雨水で浸されたのならば! そりのようなものを用意して水に浮かべ、それに負傷者を乗せた方がよいのではないでしょうか!」

「いいアイデアだ! 他の者も、それが手持ちの荷物かエーテルで用意できるならそうしろ! 一分だけ足を止める!」


 彼らは負傷者らを地面に座らせて作業を始める。しかしその矢先、メンバーの一人が悲鳴を上げた。


「グ、アアアア!!」

「どうした!?」

「喰われたあああ! 俺の、俺の足があああ!」

「隊長、マズい! 足元の水浸しに魚の影がある! 血の匂いが広がると、ピラニアが集まってくるぞ!」


 隊長は驚きを通り越して唖然としてしまった。


 ――あまりにも基本的で、根本的な事を忘れていた。この雨は二段構えどころではない。


「……河が、氾濫しているのか」





 レーノたちは、水を吸って巨大化したスライムを総出で倒したところだった。全員、もはや汚れなど気にして居られない程に泥水を浴びている。


 ゴオゴオと鳴る雨音に負けないよう、モルガナが声を張る。


「レーノ! このエリアは、高地と低地で構成されていますのよね!? 初めに高い台地があって、うねる大河がそれを削ってできたエリアでしたわね!?」


 水かさは既に膝まで上がっている。モルガナは冠水を避けるために、身体を軽くして木の幹を蹴り、跳ねながら移動していた。他の三人はバシャバシャと水を蹴り上げながら先を急ぐ。


「そうだ! それで違いない!」


 足元が浸かっている以上、もう〝呪い〟の水を避けると言ったアプローチは無意味と化した。カスカルのエーテルが尽きないうちに、この水から逃れなければならない。


「なら、この収まらない水は低地に溜まっていくという解釈でよろしくて!?」





 隊長は鬼気迫る表情で指示を出す。


「全員、今すぐ急いで昇降機を目指せ!! どうしようもなければ負傷者は置いていけ! ともかく急ぐんだ!! このエリアはすぐに——水没するぞ!!」





「つまりスー様が昇降機を目指す理由は!! それの破壊による私たちの一網打尽ですわ!!」

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