1-9:「ゴブリンとの戦いⅠ」

 日が暮れて夜が更けた。

 この世界での時間の流れがどのような物かは不明だが、少なくとも隊の各員が観測している限りでは、時刻は日を跨ごうとしていた。

 高地の頂上周辺には簡易的ではあるが防護陣地が築かれ、隊の各員が不測の事態に備えて、警戒に付いていた。


「はぁ……くたびれた。塹壕は入ってるだけで疲れるな……」


 高地上に設営された野営地内を、呟きながら歩く鳳藤の姿がある。彼女は今さっき、夜哨の任を他の隊員と交代して終え、自身に割り振られた宿営天幕へ戻ろうとしている所であった。


「……ん?」


 そんな彼女が、その時前方から歩いて来る人影に気付く。人影の正体は、他でも無い制刻であった。


「よぉ、上りか」


 鳳藤に気付いた制刻は、近づいて来ながら発する。


「あぁ、そうだよ。お前は今からか?」

「あぁ」


 鳳藤の問いに、制刻は返す。


「夜は視野が不制刻になるし、集中力も減る。十分注意しろ」

「は、お前ぇに言われるまでもねぇ」


 鳳藤の忠告に、制刻は皮肉気に返す。


「ならいいが――所で……空は見たか?」

「あぁ、嫌でも目に映る」


 言うと、二人は同時に上空へ視線を向ける。

 二人の目に映ったのは、夜空に瞬く無数の星々と、浮かぶ〝三つ〟の月だった。

 一つは元居た攻界と変わらぬ金色に。一つは青白く、一つは赤白く微かな光を放ち、夜闇を仄かに照らしていた。


「とんでもねぇな」

「まぁな。でも、綺麗じゃないか……」

「オメェが、ゲテモノ趣味とは驚いた」

「ゲテモノって……!酷い言われようだな……」


 制刻の言葉に、鳳藤は不服そうに発する。


「はぁ……まぁいい。私はもう寝かせてもらう、お休み」

「あぁ」


 そう言って、二人は別れようとする。

 甲高い笛の音が、夜の静寂を割って響いたのはその次の瞬間だった。


「な!?」

「警笛か」


 響く笛の音は、異常事態を知らせる警笛であった。


「何かあったのか!?」

「じゃなきゃ、警笛なんぞ鳴らねぇだろ。行くぞ」


 鳳藤の就寝はお預けとなり、二人は警笛の響く方向へと急いだ。




 制刻と鳳藤の二人は、間もなくして警笛の発信源である一つの塹壕陣地へと到着した。


《こちらは日本陸隊の展開設営した施設です!進入は許可されません、その場で停止してください!》

「なんなんだよあいつ等……!?」


 塹壕では、古参三曹の峨奈が不審者、侵入者に対する警告広報を行っている。そしてその横では中性的な顔の男性隊員、樫端(かしばた)一士が、程よく日焼けしたその顔を困惑に染めていた。

 制刻と鳳藤はそんな状況の塹壕へと飛び込む。


「4分隊、鳳藤、制刻です!一体何事ですか!?」


 そして鳳藤が峨奈に向けて所属、姓を名乗ると共に、状況を訪ねた。


「多数の不審人物が陣地に接近中だ!先ほどから警告を行っているが、従う様子が全く見られない!」

「不審人物?」

「あぁ……!」


 制刻は訝しみながら、暗視眼鏡を取り出すと、それを覗いて塹壕の先を見る。そして目に映ったのは、こちらに向かってくる集団だ。

 しかし接近して来る彼等の容姿は、どれも人間のそれでは無かった。

 背丈は小学生よりも低いと思われ、手足は飢えたように細く、耳は尖り、何より老人のように深い皺がいくつも刻まれた、酷く醜いものであった。


「ったく、なんだってんだよ!」

「フゥー、到着だぜぇ!」

「制刻、鳳藤、ここにいたか。状況は?」


 そこへ竹泉、多気投、策頼、河義の四名が滑りこむように塹壕へ到着。河義は制刻と鳳藤の姿を見止め、尋ねる。


「見てください」


 制刻は河義へ暗視眼鏡を渡す。


「……何だ彼等は?」


 暗視眼鏡越しに見えた存在に、河義は困惑の声を上げた。


「あれが、勇者の坊主が言ってたゴブリンでしょう」

「あれがか……」

「想像はしてたが、言葉の通じるヤツ等じゃねぇようだ」


 制刻は呟く。


「んだアイツ等。よぉ、制刻さんとやらよぉ、アイツ等はお前さんの親戚かなんかかぁ?」


 同様に暗視眼鏡を覗いてゴブリンの群れを確認した竹泉が、制刻のほうを向いて皮肉気に発する。しかし制刻は投げかけられた言葉を無視して、返事は返さなかった。


「峨奈さん、指揮所はなんと?」

「万一攻撃を受けた場合には、反撃行動を取るよう指示を受けているが……」


 言い淀む峨奈。許可を受けてはいるものの、彼の心情にはためらいがあるようだった。

 しかしその時、先頭に位置するゴブリンが手斧を放ち、それが塹壕内へと飛び込んで来た。


「おぁ!?ふざけんな掠ったぞ!?」


 飛び込んで来た手斧は、竹泉の二の腕を掠め、戦闘服を切り裂き、その下にある彼の肌を微かに傷つけた。


「話が通じねぇ上に、おまけに害意有りと来た。峨奈三曹、選択の余地はねぇかと」

「ッ――川越13より朝霞2へ。こちらは不審者の一団から攻撃を受け、軽傷者一名発生。不審者の一団を、対話不可能な害意存在と認め、自衛行動を取る!」

 制刻からの進言を受け取った峨奈は、意を決したように、自身の装着したインターカムに叫ぶように発した。


《了解、川越13。すでに装甲戦闘車と指揮通信車にも出動指示を出してある》


 発信に応答した声は指揮所の井神だ。峨奈とは対照的に、冷静な声色で、応援をこちらへ向かわせた旨を発した。


「了解……!――3分隊各員、これより不審者団体の処理を行う。射撃用意!」

「マジかよ……!」


 峨奈の指示に、3分隊の隊員等は困惑しつつも、射撃体勢を取り始める。


「んじゃ、河義三曹。俺等もいいですね?」

「あぁ……許可する!」


 制刻は河義の許可を得ると、小銃を構えてゴブリンの内一体を狙う。

 そして発砲した。

 撃ち出された5.56㎜弾が先頭を切る一体のゴブリンに命中。ゴブリンはもんどりうち、後続のゴブリン達の中へと倒れ込んだ。


「糞……!」


 制刻が発砲した事を皮切りに、各隊員も各個に発砲を開始した。

 各員の小銃から撃ち出された5.56㎜弾が群れの前方に位置するゴブリン達を襲い、数体のゴブリンがバタリバタリと倒れてゆく。


「多気投一士、お前は分隊支援火器射手だな?」

「イエッサァー」


 河義の問いかけに、ふざけた調子の返事を多気投は返す。


「MINIMIでゴブリンの群れを掃射しろ」

「りょぉーかいですぅ」


 指示を受けた多気投はふざけた了解の返事を返すと、MINIMIを塹壕から突き出して構える。そしてゴブリンの群れにその銃口を向け、引き金を引いた。弾頭の群れがゴブリン達に向けて牙を剥き、5.56㎜弾をその身に食らったゴブリン達から、「ギ!」「ギュァ!」と言った風な悲鳴が上がる。


「ワァオ、ダイレクトに入ってくずぇ!」

「奴ら、銃撃を受けたら伏せるってセオリーがねぇんだ」


 銃火器による攻撃に晒されながら、伏せる、隠れる等の行動を見せないゴブリンの群れに、竹泉や多気投はそんな言葉を発する。


「峨奈三曹、奥からさらに別の群れが来ます!」

「ッ、増援か?」


 樫端の報告の声に、峨奈は舌打ちをしながら暗視眼鏡を覗く。塹壕の先、高地の中腹程に、さらなるゴブリンの集団が確認できた。


「――!峨奈さん!」


 その時、河義が峨奈に向けて声を上げる。

 そして鉄の擦れるような不気味な音と、低い唸り声のような音が、塹壕に居る各員の耳に届いた。


「こっちも増援が来たか」


 呟く制刻。

 塹壕の後方、暗闇から巨大な物体が二つ、姿を現す。隊の保有する89式装甲戦闘車と、82式指揮通信車だ。


《川越13、及び14へ。こちら調布21。坂戸12と共に塹壕の両翼へ回る。注意しろ》


 塹壕の各員のインターカムに、82式通信指揮車の車長からの通信が入る。

 両装甲車両はそれぞれ、塹壕の左右を抜け、ゴブリン達の両翼へと展開する。


《坂戸12より川越13へ。不審者の団体を目視で確認した。……本当に撃っていいんだな?》


 装甲戦闘車の車長から、念を押して確認する無線通信が届く。


「あぁ、構わない……攻撃してくれ!」


 それに対して峨奈は答えた。

 そして89式装甲戦闘車の砲塔が旋回し、同軸機銃がゴブリンの群れに向けて発砲した。続いて82式指揮通信車の前方に装備されているMINIMI軽機に付く隊員が、その銃口をゴブリンの群れへと向けて引き金を引く。

 ゴブリン達は双方からの銃撃による十字砲火に晒され、盤上に並べたチェスの駒を手で一気に薙ぎ倒すかのように、次々と倒れてゆく。

 多大な犠牲を出し、さらに装甲車両が現れた事でゴブリン達は混乱に陥ったのか、逃走する、自棄を起こして突撃して来るなど、各個体ごとにちぐはぐな行動を取り出した。


「奴ら混乱してるな」


 制刻はゴブリン達の様子を見て呟く。


「照明弾を上げろ」

「は」


 峨奈が指示し、隊員の一人が信号けん銃を掲げ、照明弾を撃ち上げる。

 上空に撃ち上げられた照明弾が強烈に瞬き、周辺を照らし、ゴブリンの集団は光の元に晒される。

 そして丸裸にされたゴブリンの集団は、塹壕と、装甲車両からの苛烈な攻撃を諸に受け、殲滅されていった――。




 装甲戦闘車と、指揮通信車のヘッドライトが地面を照らしている。その地面の上には、処理されたゴブリン達の死体が無数に散らばっていた。


「ひでぇ……」


 警戒に付きながらその光景を眺める樫端が、そんな言葉を零す。

 その一方、ゴブリンの死体の山の脇では、井神を始めとする陸曹等が、検分を行っていた。


「本当に、神話やお話の攻界のままのゴブリンだな」


 井神は死体の内の一体を確認しながら、言葉を発する。


「こちらの被害は?」

「軽傷一名、それと体調不良が一名です」


 井神の問いに、彼の背後に控えていた女隊員の帆櫛が、報告の言葉を発する。報告を聞いた井神は、装甲戦闘車の方へ視線を移す。


「うぷ、おェ……チクショウ――ッ」

髄菩ずいぼ、大丈夫か?」


 装甲戦闘車の脇では、装甲戦闘車の砲手がその光景に吐き気を催し、車長に背中をさすられていた。


「無理もない」、井神はそう思いながら、足元から広がるゴブリンの死体の山へと視線を戻す。


「――それでだ。かなりの数の死体になるが、これが彼等の全てだったのか?」

「いえ。何体かの個体が逃げていったのを目撃しています。別の群れがまだ存在して、それに合流しようとしている、という可能性は捨てきれません」


 井神の疑問の言葉に、峨奈が答える。


「井神一曹」


そこへ別の声が割って入る。声の主は河義だ。


「奴らが逃げて行った方向には、昼間に接触した集落があります」

「ふむ……それは気がかりだな」


 河義の申し出た懸念事項に、井神も顔を顰めて発する。


「集落へ行く許可を下さい」

「そうだな――いいだろう。君の分隊で、もう一度集落へ行ってくれるか」

「了解です。制刻、鳳藤、策頼、準備しろ」


 河義は昼間に偵察行動を共にした、自身の部下の各員の名を呼ぶ。


「いいでしょう」

「了解」

「は」


 河義の指示を受け、制刻を始めとする各員は再出動の準備を開始する。


「よーやる」


 傍らでは、竹泉が塹壕に腰かけ、衛生隊員から負傷した片腕の手当てを受けている。彼は出動準備にかかる各員を端から見ながら、呆れた声で呟いた。

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