9  満開の桜

 いくつかの出し物の後、大勢の踊り子が中央に設えられた舞台に現れた。次の見世物の準備のための繋ぎかもしれない。たった四人の楽団が陽気な音楽を奏でている。フィルは舞台から離れたずっと後ろの方で見ていた。なぜだかキュアに顔を見られたくなかった。ばつが悪かったのかもしれない。


 踊り子が大勢いるのは判っていた。けれどフィルの瞳にはキュアしか映らない。キュアを見に来たのだからそれでいい――やがて曲想が変わり、その他大勢がキュアを囲む。そこから出てきたキュアは踊り子の時よりも華やかな衣装に変わっていた。どうやらブランコに乗っているようだ。


 キュアを追うフィルの視線が上昇していく。吊り下げられたブランコがキュアを上へと運んでいく。

(アイツ……屋根の上なんか、怖くなかっただろうに)

キュアを見詰めるフィルの顔に笑みが浮かぶ。


 そして歌唱が始まる。来ない男をなじる歌、打ちひしがれた男を慰める歌、逢いたいと涙ながらに願う歌――どれも恋する女の心情だ。地上では踊り子たちが扇情的な踊りを繰り広げていたが、フィルの視線を捉える事はできなかった。


 キュアの歌声をフィルはキュアを見上げながら、キュアの顔を見詰めながら聞いていた。巧いか下手かなんて考えなかった。見詰め、聞き惚れるのに忙しかった。


 やがてブランコは地上に降ろされる。下にいた踊り子たちに取り巻かれ、キュアは舞台の裾に消えていく。


 響く喝采かっさいの中、フィルはテントを抜け出した。この後も出番があるのかも知れない。でも宿に一度帰りたい。アースに『ここからは別の道を行く』と告げたかった。それに、テントに入る前に目にした光景も気になる。


 あの人集ひとだかり、いったい何があったのだろう? アースが竪琴と歌を披露して、人を集めたのだとすぐ判った。間違いなくあの中にアースはいた。あの金髪と燃えるような赤いマントを見間違えるはずがない。領主とやらの馬車も見えた。アースの竪琴は無事だろうか?


 宿に戻り二階へ向かう。部屋の前に立つと、

いているぞ」

と、中からアースの声がした。


 入るとアースがいつものように竪琴の手入れをしている。領主とやらをやり込めたのだな、と安心するフィルだ。


「今日は鍵を掛けないんだね」

「もう誰も訪ねて来はしない。おまえが帰ると判っていて、わざわざ鍵をする意味もない」

「竪琴を欲しがっていたヤツが強奪しに来はしないかい?」

テント前の出来事の、詳細を知らないフィルがアースに問う。


「領主が交代した。あの男はしばらく勝手に出歩けないだろう」

「領主が交代?」

「悪事が暴かれた――領主になるには若すぎたのだ。権限は父親に戻された」

「へぇ……」


 どうしてアースはそんなことを知っているのだろう? そんな疑問がフィルの脳裏に浮かぶ。そんな重大なことが、あのテントの前で繰り広げられるのは不自然だ。が、アースが出まかせを言っているとも思えない。不思議な力で知ったのだろうと、無理やり納得するフィルだ。


「ところで……」

 黙ってしまったフィルにアースが顔を向ける。

「明日、この街を出る。荷馬車の荷台に乗れるよう手配した。おまえの分も頼んでおいた」

「えっ?」


「馬車が出るのは夜明けから一刻ののち、西の出入口近くにある金物屋の馬車だ」

「いや、待ってくれ」

狼狽うろたえるフィル、それをアースが笑う。


「どうした、先約でもあるのか? そう言えば、曲芸一座の前でおまえを見かけた。若い女と一緒だったような……まだ公演が終わるには早い時刻だ。あとで逢おうと約束でもしたか?」

即座にフィルの顔が赤く染まる。


 笑いを引っ込めたアースが静かに言った。

「もし女が一緒に来るというなら連れてくるといい。どうせ荷台だ、一人くらい増えても問題はないだろう」

答えないフィルにアースが続ける。


「刻限までに来なければ女と一緒に行ったと思うから気にするな」

「アース……」


 なんと言えばいいか判らず立ち尽くすフィルをアースが促す。

「約束しているのだろう? わたしを気にすることはない。早く行け。夜中に女性を一人で待たせるのは不用心だ」

少し迷ってフィルが応える。

「アース、明日、一緒に行くよ。西の出入口近くの金物屋――うん、場所は判る。必ず行くから待っててくれ」


 アースの言う時刻にこの街を出られれば、まして馬車ならば、一座の出立までには距離が稼げるはずだ。それに歩きよりずっと楽だ。馬を盗もうかと思っていたがリスクが高い。だが、キュアが何と言うだろう?


「もし、行かないようでも必ず一度は顔を出す」

フィルのその言葉にアースの答えはない。


 それじゃあ後で、と部屋を出るフィル、足音が遠ざかってからアースが呟いた。刻限までに来なかったら……その時は達者で暮らせ。そしていつかまた――いつかまたどこかで会おう。


 川沿いの桜は夜目にも艶やかに咲き誇っていた。どうも昼間の暑さのお陰で急激に花を咲かせ満開になったようだ。


 しばらく木の下で見あげていたが、思ったよりもキュアが遅い。治まらない胸の高鳴りに悩みながら、土手に腰を降ろしたフィルの肩に、髪に、ひらり花弁はなびらが落ちてはとまる。


 なかなかキュアは来ない。アースの話によると若い領主は失脚した。キュアにかまけている余裕はないはずだ。急遽、領主のもとに連れていかれたとは考えにくい。では、なぜ来ない?


(気が変わったか……)

 無理やり領主のものにされる心配はなくなった。盗人なんかと逃げるより、一座の生活のほうがまだマシと考え直したか? 冷静になればそう思うかもしれない。


(だったら――だったらそれはそれでいいじゃないか)

 面倒が一つ減っただけだ。俺は今まで通り、アースと旅を続ければいい。そう思うのに……

(なんでこんなに苦しいんだ?)


泣きたい気分のフィルの耳に、近づく足音が聞こえてくる。こちらに向かって駆けてくる。


 パッと立ち上がり、足音の方を見る。チラチラと桜の花が舞っている。

「キュア!」


 キュアが来た。約束通りキュアが来た。ただそれだけなのに、なんでこんなに嬉しいんだろう!?


「フィル!」

 キュアがフィルの胸に飛びつく。花弁がキュアの髪にもまとわりつく。


「遅くなった、ごめんね」

「こいつ! 心配させやがって。何かあったんじゃないかって……迎えに行こうかと思ってた」

「あら、だったら迎えに来て貰えばよかった」

クスクスと笑うキュアだ。


 フィルの首に腕を絡ませたままキュアがフィルの瞳を覗き込む。

「好きよ、フィル……」

「俺も、たぶんキュアが好きだ」

「たぶんなの?」

「誰かを好きになったことなんかないから、よく判らない」


「わたしだってこんなの初めて。フィルのことを考えると胸がどきどきして苦しいの、でも、それが嫌じゃないの」

「俺とおんなじだな。俺もキュアのことを考えるとそうなる」


「ねぇ、ちゃんと踊りを見てくれた? 歌を聞いてくれた?」

「あぁ、どの踊り子よりもキュアが一番きれいだった、歌には聞き惚れてた」

「ホントかな?」

「少し嘘。他の踊り子なんか、まったく見てない、キュアしか目に入らなかった」

「嬉しい。これからもずっとわたしだけを見ていて」


 フィルのてのひらがキュアの頬を撫で、もう片方の腕がそっと、だけどより強くキュアを抱き寄せる。

「好きだよ、キュア」

「わたしも、フィルが大好き」

どちらからともなく唇が寄せられる。


 何度か繰り返したあと、フッとキュアがうつむく。どうした? とフィルがいぶかる。

「ううん、よかった、と思って。初めてのキスは好きなひとが相手で、フィルでよかったと思って」


 苦笑するのはフィルだ。

「俺からすると申し訳ない。こんな薄汚れた俺でよかったのかと思ってしまう」

「あら、フィルだって初めてでしょう? 初めて好きになった相手とのキスでしょう?」

「そりゃあそうだけど――」


「これからフィルがわたしとすることは、全部初めてのこと。初めて好きになった相手とのことよ。そうでしょう?」

「キュア――」


 フィルの目頭が熱くなる。こんな俺でも許される時が来る、キュアと一緒ならいつかきっと……


 キュアを見詰めるフィル、見つめ返すキュア……そしてキュアがそっと囁いた。

「ねぇ、これからわたしの部屋に行こうよ――まだ時間はあるでしょう?」

キュアの瞳が潤んで燃えた。

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