8 暴かれる男
取巻く観衆からひそひそ話す声が聞こえる。
(確かに領主さまだ――前の領主さまとなんと似ておられることか)
(いやいや、奥方さまに似ておられる)
(そうだな、あの髪は奥方さまとおんなじだ)
(でも、今、何と
(誰にも逆らわせない、そう仰ったか?)
(いやいや、温厚な領主さまも
いつになくご機嫌麗しくなく、つい出てしまった暴言だろう。しかし、果たして、本当に? 見かわしあって互いに相手の考えを探り合う。その様子に慌てるのはアースを迎えに来た男――
「さぁ、皆さん、早くあちらへ―― 一座の公演が始まりますよ」
なんとか気を
そんな家臣を気にすることもなく若い領主はアースに向かう。
「さぁ、急げ――わざわざ迎えに来てやったのだ。嫌だなどとどの口が言う」
「ここで会ってやるとは言った。が、おまえの館に行く約束などしていない。馬車に乗る約束もな」
「生意気な――では改めて命じる、わたしの馬車に乗り、わたしの館に同行しろ。そしてそこでわたしのためだけに竪琴を鳴らし、その歌声を聞かせろ」
「断る」
「うぬぅ……身の程知らずめ、おまえに拒む権利などないと判らないのか?」
「思い上がりはそちらであろう。領主なら、何をしても許されるというわけではない」
「判ったようなことを――我が領内はわたしの考え一つですべてが決まる……わたしは父のように甘くはない。確かに領民が飢えれば税も取り立てられなくなる。だから今まで通り、苦しい時には施しもしよう。だがその見返りに、すべてを求めて何が悪い? 領内にある物も人もすべてわたしのものだ。そうでなければ、誰が領主などになるものか! 堅苦しい決まり事や、クソ詰まらない訴えの仲裁や、そんな事を誰がしたくてするものか!」
「ほう、なるほど――」
アースが
「それで、気に入った娘や幼い子どもを、親の断りもなく無理やり館に幽閉したと言うのか?」
「むっ……」
「さすがにこの街では悪事の露見を恐れて
顔色を変え言葉に詰まる若い男、家臣が慌てふためく中、
(どういうことだ?)
(詩人が言ったのは真実か?)
(まさか、そんな――)
フッ、と若い男が笑いを漏らす。笑いはすぐに高笑いに変わる。
「何を馬鹿なことを言い始める? それとも頭がイカれているのか? 哀れんでやろう。面倒を見てやる。館に来い」
それをアースが無視する。
「この街は治安もよければ人も多い。だから誘拐できなかった。もっと田舎であれば、人目を避けることもできる。だから欲しいと思えば手っ取り早くその場で連れ去った――好みは薄い色のブロンド、そう言えばおまえの髪もそんな色だな」
「
とうとう若い男が腰の剣を抜き放つ。観衆から悲鳴があがる。
「そうとも! 我が母と同じこの髪、母が美しいと
アースに
「おやめください。お心をお鎮めください」
「ええぃ、煩い、おまえも牢に入りたいか?」
家臣を振り払う若い領主、アースは領主にも家臣にも気を止めた様子がない。
「なるほど――それで、どうして竪琴を所望した?」
冷ややかなアースの言葉に少しの
「その竪琴でなら、巧く
「お母君が亡くなられ、お寂しいのは判ります。でもそれは、こんなことでは埋められるものではないと、お判りでしょう?」
振り払われても
急な突風に桜がさらに散り、落ちていた花弁とも混じりあい、宙一面の薄紅色が視界を遮る。誰も皆、腕や
「なんと愚かな……」
やんだ風の代わりに、落ち着いた声の男が呟く。
「我が息子がこれほど愚かだったとは」
「父上! いつからそこに!?」
治まった桜吹雪から現れた男に若い領主が驚きの声をあげる。驚くのは若い領主だけではない。観衆も突然現れた男に目を見張る。領主さまだ、と聞こえてくる。
「さぁ、いつからなのか……」
父と呼ばれた男が思い起こす。窓辺に届いた手紙の紋章には見覚えがあった。早く読まなくてはいけないと感じ、急いで読んでみれば恐ろしい事が書かれていた。
私兵に命じて館中を探ると、地下の牢に何人もの虜囚を見つけた。若い娘や幼い子どもたちだ。食事や水は与えられているようで、命に別状があるようではなかったが、皆一様に髪を刈られている。
事の次第を虜囚に問えば、手紙にあった話とほぼ違わない。息子の仕業で間違いなかった。もちろん、息子と言えど看過できるはずもない。母を亡くし、
さぁ、行くぞ、と兵たちに命じ、息子の部屋へ向かおうとした時、急に目の前の景色が変わる。宙に浮いているような感覚に戸惑っていると、不意に美しい音色が聞こえてきた。見降ろせば、桜の広場、曲芸一座のテント脇、馬車から降りてきた息子の姿、集まった大勢の人々が見える。そして一部始終を上から見て、聞いた。
突風の中、ゆるゆると地上へと降ろされる。気が付けば、率いるはずの私兵たちが後ろに控えていた。手紙の魔法が私兵もここに運んだのだろう。
だが、手紙に
「おまえから、領主の座を剥奪する――捕らえよ」
父親の声に力なく
領主の地位を取り戻した男がアースに問いかける。
「手紙を寄こしたのはあなたでしょうか? あの紋章はどこかで見たことがある――ご身分をお明かしいただけませんか?」
「手紙? さて、何のことだろう?」
表情を変えることなくアースが答える。
「わたしはアートロス、西へと旅をする者」
竪琴をサックに仕舞うアース、マントを裏返し羽織り直してフードを被ると、まだ何か言いたげな領主を置いて広場を立ち去る。
そしてアースは……テントにこっそり忍び込む若い男女の姿を、視界の端に捉えていた。
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