6  拒まれた男

 フィルたちが泊っている宿屋の一階のレストランにはアースだけが残されていた。他の客は祭りや曲芸見物が目的、まだ寝ているのだろう。レストランに他の客はいない。


 それを見越した亭主はアースとフィルにカウンター席を使うよう指定した。配膳の手間が省けると言うものだ。さっさと出かけてしまったフィルと違って、食事が終わった後もアースはのんびりとお茶を楽しんでいた。自然、宿屋の亭主がカウンター越しにアースの相手をすることになる。


「アンタたち、部屋は別がいいと言うし、昼間も別行動のようだし、一緒に旅をしているんじゃないのかい?」

手持無沙汰に亭主が問う。


 お茶のカップを口元に運んでいたアースがカップを受け皿に置く。

「たまたま道行みちゆきが同じなだけだ――茶をもう一杯貰いたい」

はいよッと暇を持て余している亭主がポットを手にし、すぐにカップにお茶を注ぐ。


「旅は道ずれってか? 最初に見た時は、男同士でのか、って思ったけれど、どうもそうじゃあなさそうだね」

それにアースは答えない。答えないどころか顔色一つ変えはしない。


「それでどこまで行くんだい? この街は通り道なだけのようだが?」

「わたしは西へ――アイツの行き先は聞いていない」


「それじゃあ、どこかでお別れか。二人で組んでの商売ならば、実入りもいいんじゃないのかい? あんたが人を呼び寄せて、あのヒヨっ子が掠め取る――取り分はどうしているんだ? アンタのほうが多く取りそうな雰囲気だけどな」

これにもアースは答えない。やはり表情を変えず、熱い茶に息を吹きかけている。


 どうやら亭主、フィルの商売を掏摸すりと見抜いているようだ。まぁ、客の商売をひと目で見抜けない宿の亭主じゃ、その宿はすぐに潰れると相場が決まっている。吟遊詩人のアースが見物客を集め、その客の懐をフィルが狙うと勘繰ったようだが、そのあたりは見誤っている。フィルがアースの客を狙うことはあっても、それはアースのあずかり知らぬことだ。


 亭主はアースの表情を読み取ろうとしたようだが、そう簡単におもてを変えるアースではない。諦めたのか話題を変える。


「ところで噂になっているんだが、近隣では最近、かどわかしが流行っているそうなんだ――アンタ、旅の途中で何か聞かなかったかい?」

「拐かし?」

「おうさ、若い女や子どもが急にいなくなる。帰ってくるはずの時間をずっと過ぎても帰ってこない――総出で探すがさっぱり行方ゆくえが判らないそうだ」


「いなくなった者たちに、何か共通点はないのか?」

「そうそう! それも噂になっている。みんな金髪、しかも白っぽい色――この街じゃ、今んところ被害はないが、余所よそじゃそんな髪色の娘や子どもを外に出さないようにしてるって話だ」

「ふうん、物騒な話だな――親爺おやじ、わたしは部屋に戻る。かねはここに置くぞ」


 アースが立ち上がり、カウンターに金を置く。金を手にして亭主が聞いた。

「そう言えば、アンタたち、いつまでこの街にいるつもりだい? 何日部屋を空けておけばいいのか、聞いておきたいんだがね」

「それならば、明日にはこの街を出る――親爺、西へ行く馬車を知らないか? 同乗させて貰いたいのだが……荷台で構わない」


「あぁ、それならおあつらえ向きに、バグが隣町に買い出しに行くと言っていた。俺も駄賃を渡していろいろ買って来て貰う――帰りは荷台が満載だが、行きはからで行く。交渉すれば乗せて貰えるよ」

「ならば頼んで貰えないだろうか? 二人分だ」

「いいとも、お安いご用さ。だが前払いだ」

言われた金額を追加でアースがカウンターに置いた。そのうち幾らがバグに渡されるのだろう――


 曲芸一座のテントから漏れ聞こえた話――領主さまが金髪の娘がいるなら見てみたいと仰っている。それと先ほど宿屋の亭主から聞いた噂と重ね合わせれば、一つの仮説が立てられる。ならばどうするか?


 そんなことを考えていたアースを、昨夜の男が訪ねてきたのは昼間近のことだ。

あるじが出向くと申しております。桜の広場、曲芸一座のテントの前……昨夜、竪琴を弾いていらしたあの場所に竪琴をお持ちください。ご案内いたします」

「いや、場所は判っている。先に行け。わたしは所用を済ませてから行く」

「いいえ、ご同行ください。お連れしろと言付いいつかったのです」

「ならば、この話は――」

「いえ! いいえ、それはもっと困ります――判りました。必ずお越しください」

すごすごと引き上げるしかない男だ。


 男が帰るとアースは便箋びんせんを取り出し、何やらしたためる。封筒に宛先を書くと便箋を入れた。封筒に差出人の名はない。


 綴じ目に蝋を垂らすと、紋章の入った指輪を外して押し付ける。そして唇に当てた指をクルリと回し、封筒を指す。

「刻限までに受け手に届き読了されよ。受け手以外に開かず読ませず、誰に妨害されもせず」

呟き終わると、向けていた指先で封筒の四隅に一度ずつ、トンと触れた。

「さて、誰に届けて貰うかな――」

視線を窓の外に向けるアースだった。


 広場の桜は満開を過ぎたようだ。少しでも風が吹けば花弁はなびらが宙を舞い、そうでなくても終始ひらひらと、少しずつ落ち続ける。そこかしこの吹き溜まりに花弁の山ができるのもすぐだろう。


 曲芸一座のテントの前にはすでに観客が並び始めていた。少しでも良い場所で見たいのだ。チケットの料金は一律、席が指定されているわけでもはない。チケットを売りさばく小屋には今日も『完売御礼』と張り紙されていた。


 その小屋の向こうに、昨日と同じ豪華な馬車が停まっていて、そのあたりでウロウロしているのはアースのもとに使いに来た男だ。アースを認めると駆け寄ってきた。


「お待ちしておりました。いらっしゃらないのではないかと冷や冷やしていたところです」

暗にアースの到着の遅さをなじる。それを無視してを進めるアース、昨日、歌った場所へ向かっているようだ。


「こちらです、こちらであるじが待っております」

慌てて男がアースを引き留める。


「あの馬車でございます。どうぞお乗りに――」

「馬車に乗る約束などしていない……昨日と同じ場所で竪琴を披露する」

「いや、そんな……少しお待ちください」

男は血相変えて馬車に駆け戻る。あるじにアースの意向を伝え、指示を仰ぐのだろう。


 まったく気にする様子のないアースは、言葉の通り昨夜と同じ場所に着くと、深くフードを被っていた黒青色のマントを脱ぎ、裏返して羽織り直した。裏側は燃える朝の空を思わせる赤――フードは被らない。彫像のように美しい容貌と、腰まで届くブロンドがあらわなままになった。


 輝きを放つ黄金の髪、朝焼けのような赤いマント……それだけでも充分に人目を引く。さらに竪琴を取り出して爪弾き始めれば、周囲は次々に目と耳を奪われる。


 軽やかな曲調に乗せて、吟遊詩人が春を詠う。温かな日差し、優しく頬を撫でては過ぎる柔らかな風、たおやかに揺れる花が甘い香り解き放つ春……若者よ、春を知りめし若者よ。心躍らせよ、若者よ――歌声は甘くはかなく、耳に心地よく響く。舞う花弁のように優しく心に触れてくる。


 曲芸を見に来ていたはずの人々の足が、吟遊詩人を求めて止まる。中には並んでいた列を離れ、わざわざ近寄ってくる者もいる。あっという間に人垣ができ、吟遊詩人を取り囲んでいく。


 そこに無粋な声が響いた。

「通せ! どけ! 誰もその竪琴の音を聞くな、竪琴を見るな! 詩人の歌を聞くのもダメだ! 見るのも禁じる! 詩人から目をらせ!」

人垣を掻きわけて来るは一目見て貴族と判る、まだ若い男――後ろからそわそわとついてくるのは使いの男だ。


 若い男は人垣の前列に出ると観衆を舐めるように見渡した。

「この詩人はわたしのものだ。竪琴もわたしのもの。誰も見るな、聞くことも禁じる――判ったらさっさと立ち去れ。散れ、目障りだ!」

使いの男が何とか宥めようとしているが、若い男はまるで気にする様子もない。


 いったん演奏をとめた詩人が再び竪琴を奏で始める。

「おまえ! 詩人! わたしの言葉が聞こえなかったか? おまえは今日からわたしのものだ。わたし以外にその調べを聞かせるな。姿を見せるのも許さない――早く馬車に乗れ。我が館がおまえの住処すみかとなる」


「断る」

竪琴を奏でながら詩人がはっきりと言い切った。

「はぁ!?」

「お断りだと言ったのだ――わたしを縛ることができるのはわたししかいない」


 フン! と若い男が鼻を鳴らした。

「このわたしを誰と思ってその口をく。いいか、わたしはこの地の領主だ、誰一人逆らわせはしない」


立ち去るか迷っていた観衆が、驚いて若い男に視線を向けた――

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